映画の中の障害者(第3回)「ジョゼと虎と魚たち」(アニメ版)
エンタメPhoto by Geoffrey Moffett on Unsplash
今回は「ジョゼと虎と魚たち」のアニメ版(2020年)について考察します。ちょうどストリーミングサービスも始まりましたので、ぜひご視聴の上読んでいたただけると幸いです。
※ネタバレあります
実写版:前時代の同時代性
さて繰り返しとなりますが、田辺聖子原作の「ジョゼと虎と魚たち」の実写版(2003年)は映画的(映像美や演出、役者陣)には優れていましたが前時代的な障害者観を伴う作品でした。そして作品が発する「障害者は差別を受け入れてタフに生きろ」という想像力がそのまま日本社会のマイノリティ(女性も含む)への手厳しさとリンクしています(そういう意味では同時代的)。
しかし、実写版は2000年代を代表する優れた恋愛映画として受け入れられて、身近にも大好きな作品と公言する者も多く、長年暗澹たる想いを抱えていました。表現は時に誰かを傷つけるものだし、障害者を差別的に描くこと自体は、それでも描かなければならないものがある場合は覚悟を持って描くべきだと思っています(深田晃司監督「淵に立つ」、イ・チャンドン監督「オアシス」など)。しかし実写版は何度も見てきましたが、凡庸な現実主義(マジョリティのファンタジー)しか見出せませんでした。このような経緯から、私は日本のサブカルチャー全般への違和感を強く持つようになったと思います。
アニメ版:進化する現実を描いた傑作
そして時は過ぎて2020年、アニメ版が制作されているというネットニュースを目にしました。また冷や水を浴びせられることへの不安を抱えつつも、明るいタッチのポスターに「もしかしたら」と期待も内まぜで、公開から数日後、行きつけのシネコンで鑑賞…まず結論から言えば前述の苛立ちを気持ち良いまでに乗り越える驚くべき傑作となっていました。普段買わないパンフレットも購入。以下、何が素晴らしかったのかパンフのインタビューも交えて考察します。
まず特筆すべきは、全体を通してあふれ出る多幸感と原作とも実写版とも異なる結末です。タムラコータロー監督はパンフのインタビューで「前向きなものにしたいという方針は明確に最初からありました」と述べていて、その監督の意図を汲み取って脚本を仕上げたのは桑村さや香さん。何より驚いたのは「自分は強い人間だと思っていた」恒夫が事故で車いす生活を強いられる設定です。色々障害をモチーフにした映画を見てきましたが、「健常者と障害者」という関係を「障害者と障害者」➡︎「障害者なんてものはそもそもいない。あるのは弱い人間が支えあうこと」という変遷を経た映画は見たことがありません(漫画では車いすバスケを描いた井上雄彦「リアル」)。障害を純愛ストーリーを盛り上げるための手段どころか、真正面から障害者差別の本質に向き合っています。桑村さんは「これから先これ以上の純愛ラブストーリーは書けないかもしれない」とまで語っていますが、これまでありそうでなかった画期的な脚本だと思います。
その他、アニメは普段あまり観ないのですが、単純に作画・美術面でも、大阪の街の景色など大変美しく終始画面に引き込まれてしまいました。ただ実写版と異なるタッチで拒否反応もあるだろうなと、レビューサイトを色々見ましたが好意的な感想が多くホッとしました。ああ、確実に時代は変わっていると高揚して映画館を後にしました。
ただ、一部では否定的な意見も見受けられ、その論旨は総じて「人間の汚さや弱さをリアルに描いた実写版に比べて綺麗すぎ、キラキラしすぎ」と言ったところです。しかし、前回指摘したように実写版のラストは本当に人間のリアルを描いていたのでしょうか?そもそも人間の本質とは何なのでしょう?
見過ごされてきた「人間の本質」
ここ数年で最も心を揺さぶられた読書体験は、ルドガー・ブレクマン「ヒューマンカインド 希望の歴史」です。この本は、つまる所人類がここまで繁栄してきたのは人間の「助け合いを好む本性」によるもので、それを人類史・心理学・思想史・経済史など具体的な事例を上げて明らかにしています。帯のコピーは「人間の本質は善」。
わたしたちに、この考えをもっと真剣に受け止める勇気さえあれば、それは革命を起こすだろう。社会はひっくり返るはずだ。なぜなら、あなたがひとたびその本当の意味を理解したら、この世界を見る目がすっかり変わるからだ。では、この過激な考えとは、どんな考えだろう。それは、「ほとんどの人は本質的にかなり善良だ」というものだ。(ルドガー・ブレクマン「ヒューマンカインド」より)
そしてアニメ版はこの「ほとんどの人」に希望の光を当てた作品と言えます。もちろん、ブレクマンも述べるように人間は複雑で多面的です。善と悪がせめぎ合っている(暗いニュースの多い昨今尚更)。しかし、実写版に表されるサブカル界隈の「一部」は、あまりに「暗い人間観」に光を当てて、開き直りに近い態度を発信してきたように思えます。それが諸外国に比べて日本人のマイノリティへの著しい冷たさにも少なからず影響しているというのは考えすぎでしょうか?(参照:「人助けランキング、日本は世界最下位」英機関 日本は冷たい国なのか)
奇妙なことに、自らの本質は罪深いと信じると、人は心が休まる。そう信じれば、一種の赦しが得られる。なぜなら、ほとんどの人が本質的に悪人であるなら、約束も抵抗も無駄だからだ。(同書)
私がアニメ版を高く評価するのは、このような人間の多面性を踏まえた上で、「人間の善性」と「癒し以上の何かができるアートの力」を信じ、現実を更新できる力を持った作品となっているからです。さらに掘り下げれば、人間の人種、性別、言語、容姿、障害…などあらゆる違いはほとんど運次第(能力・実力ですら)。そういった偶然が折り重なって広がっている多様な世界を祝福しているとも言えるでしょう。そしてこの作品を観た若者らが新しい社会を作っていく…(たかがアニメに過剰に期待するなという声もあるでしょうが、結構人の動機付けには昔見た映画やアニメとか侮れない。ドラマの影響で看護師なった話とか身近でも多く、あのプーチン大統領もスパイ映画に憧れてKGB入ったと言っています。だから、作品の完成度と同じくらいに作品のもつ想像力に私はこだわりたいのです)
時代と共に更新される「ジョゼ虎」へ
絶賛ばかり述べてきましたが、アニメ版のジョゼに絵の才能がある設定(マジカルニグロ問題)や紙芝居で恒夫が立ち直るくだりは、確かに紋切り型でキラキラしすぎな感も否めなく、また時代と共に更新されていく必要はあるかも知れません。
障がいがある方を取り巻く環境も、原作小説が描かれた昭和、実写映画が作られた平成、そして今作の令和でずいぶんと変わっています。時代や世代に合わせた映画になっているので、10年後には古くなっていたとしてもそれはそれでいいと思うんです(タムラコータロー監督:パンフレットより)
田辺聖子原作の「ジョゼと虎と魚たち」(1984年)は、これからもバットマンやスパイダーマンの様に時代に合わせてリメイクされていくのでしょう。では2030年版を作るならこんなシナリオはいかがでしょう?恒夫とジョゼが結ばれて、結婚。(強制)出生前診断で胎児の障害が発覚。行政機関に堕胎を勧められるが話し合い出産することに。その決断で困難を抱えつつもやがて、家族3人が地域そして社会を変えていく・・・そんな話をとりあえず思いついています。(制作支援の方ご連絡お待ちしてます)
参考サイト
ジョゼと虎と魚たち(アニメ版公式サイト)
https://joseetora.jp/
「人助けランキング、日本は世界最下位」英機関 日本は冷たい国なのか
https://news.yahoo.co.jp/byline/iizukamakiko/20191017-00147100
ルトガー・ブレグマン「ヒューマンカインド 希望の歴史」
https://www.amazon.co.jp/dp/B099Z4D5MK/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_D075TSTFHMD901RCKYNA
マイケル・サンデル「実力も運のうち 能力主義は正義か?」
https://www.amazon.co.jp/dp/B0922GS8SL/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_GN21ECVAX8KGQPMRBTFG