映画の中の障害者(第8回)「梅切らぬバカ」
エンタメ(C)2021「梅切らぬバカ」フィルムプロジェクト
挑発的なタイトルに込められた意味
新潟水俣病を描いた佐藤真監督の伝説的ドキュメンタリー映画「阿賀に生きる」上映と追悼会が 5月の連休に新潟安田で開催され、全国からゆかりの人が集い私も参加してきました。地域住民、支援者、高齢者、障害者、移住者、アーティストなどごちゃ混ぜのカオスな空間で、子ども連れもいてどんな風に成長するんだろうと想像してしまいました。映像作家の方も多く、その中で映画「梅切らぬバカ」(2021 年)の監督も来られていて、最近鑑賞したタイミングも重なったので今回取り上げたいと思います。
自閉症の中年・忠男を塚地武雄、その母親を加賀まりこが演じ話題となった本作は、当初何だか炎上マーケティングの匂いがする挑発的なタイトルと敬遠して、劇場は見逃してしまいました。タイトルは「桜切るバカ、梅切らぬバカ」ということわざから取ったもので、意味は「樹木の剪定には、それぞれの木の特性に従って対処する必要があるという戒め。転じて、人との関わりにおいても、相手の性格や特徴を理解しようと向き合うことが大事であることを指す」とのことです。実際、配信で鑑賞した本作は「いやバカはそっちじゃないか」という直球なメッセージで、役者陣の演技も素晴らしく上映時間も70 分で無駄を削ぎ落とした見事な作品でした。監督もてんかんを持つ当事者として覚悟を持って創作していると感じます。
※障害者ドットコムでも監督インタビューされており合わせて読んでいただけたらです。
※ネタバレあります
多面的な日常に宿る排除
山田珠子は、息子・忠男と二人暮らし。毎朝決まった時間に起床して、朝食をとり、決まった時間に家を出る。庭にある梅の木の枝は伸び放題で、隣の里村家からは苦情が届いていた。ある日、グループホームの案内を受けた珠子は、悩んだ末に忠男の入居を決める。しかし、初めて離れて暮らすことになった忠男は環境の変化に戸惑い、ホームを抜け出してしまう。そんな中、珠子は邪魔になる梅の木を切ることを決意するが・・・。
(公式サイトより)
作品のテーマは「地域で暮らす障害者」であり、一見「ああ、福祉映画ね」と思われがちですが、本作はそう受け取られる紋切り型な演出や設定を周到に避けています。ありふれた日常は様々な人生や時間・空間が交差していて、それを映せるかがテーマ性の強い作品の成否を分つと思いますが、そういう意味で本作はさりげないカットや会話などでちゃんと日常を映すことができています。これは、監督が以前精神障害者のグループホームのドキュメンタリーの編集に携わった経験が活かされているのでしょう(母親が占い師とか近所にある牧場という設定も身近にそうそうないけどありそうという妙が活かされています)。そのような生活にある多面性を描いているゆえに、それでも排除される障害者という不可思議さが際立ちます。
地域住民の「不安の正体」
この作品ではグループホームへ反対する住人が描かれています。そこで思い出したのが以前、新潟で今も続いている「相模原事件を考える勉強会」で見た「不安の正体〜精神障害者グループホームと地域」というドキュメンタリー作品です。これは梅切らぬ同様、住宅街にできたグループホームへの反対運動との軋轢の記録で、顔は写りませんが、「幻覚幻聴で人を殺すんじゃないか」「白紙に戻して欲しい」など住人の生々しい声色から精神障害者への異様なまでの偏見・憎悪が伝わります。
このような反対運動は度々起こりますが以前、東京青山に児童相談所を作ろうとしたところ「高級住宅街の地価が下がる」と一部で反対運動が起きて全国ニュースになってしまい、結果的いけすかない富裕層の冷たい町として価値を大きく下げてしまいました。私なんかは、こういう反対運動をする者たちこそ、有事の際にデマをばら撒き危害を加える反社会的勢力で、山奥に隔離して欲しいと願ったりするのですが(そもそも障害者差別解消法違反)、実際は真逆なことがこれまで行なわれてきました。また「梅切らぬバカ」では住民の意見を尊重する、中立を装う行政が描かれています。「不安の正体」を企画した池原毅和弁護士は、「ちゃんと施設を設置できている地域は行政が毅然とした態度を打ち出している。中立は逆に紛争を解決させず、分断を生む」と述べています。映画の中では行政は機能せず、結局、忠男は住民の反対運動によってグループホームに居れなくなってしまい実家に戻ってしまいます。
子どもたちに賭ける
この映画で印象的なのは渡辺いっけい演じる隣家の父親役です。権威主義的で調子の良い典型的な日本人像と重なり、初めは、忠男に警戒的でしたが日々交流していく中で変わっていきます。そのきっかけが子どもというのは示唆に富みます。まだ社会化されていない子どもには、人間が本来持ち合わせている、異質なものや人とつながろうとする本性が大人に比べて現れやすいのではないでしょうか。反対運動する住民も幼少期から生活の中で障害者はじめ様々な属性の人と慣れ親しんでいたならば違っていただろうと考えさせられます。 映画最後は新しい隣人とのつながりが生まれ、きっとそうした小さな変化の積み重ねが社会を変えていくのだろうと希望を見出すことができました。
参考リンク
公式サイト
https://happinet-phantom.com/umekiranubaka/
監督インタビュー
https://shohgaisha.com/column/grown_up_detail?id=2469
ドキュメンタリー「不安の正体 〜精神障害者グループホームと地域」
https://www.lowposi.com/gh/