減刑嘆願という「メッセージ」
暮らし減刑嘆願とは読んで字のごとく、刑事裁判にかけられている被告への判決が軽くなるよう訴えかけることで、嘆願書の提出やデモ活動といった形で表れます。これは被告への刑罰を和らげたいという単純な善意だけとは限りません。寧ろ、刑事事件の被告を通して社会に「メッセージ」を訴えかける、社会活動としての趣の方が強いです。
騒音に悩む人々が決起
代表例として挙げられるのが、1974年に起こった「ピアノ騒音殺人事件」です。団地で下の階に住む一家が毎日ピアノを鳴らしていたという背景から、同じく集合住宅での騒音に悩んでいる人々が同情し、大規模な減刑嘆願運動に発展したと言われています。特に、これは死刑判決に関わる裁判だったため、ソースによっては助命嘆願と表記されることもあります。
母子3人を殺害し、遺族から極刑を望まれていた被告を、騒音問題という同じ境遇で悩む人々が助命しようと運動を起こしたわけです。そこに何らかのメッセージ性を感じるのは自然ではないでしょうか。被告を、騒音問題に立ち向かった英雄として持ち上げていた者もいた筈です。
事実、「犯人の気持ちも分かる」「犯人は自分たちの代わりによくやってくれた」といった意見が噴出しており、「騒音被害者の会」なるものも組まれていました。幾つかのテレビ局がこの事件の特集番組を放送していますが、唯一被害母子に寄った視点で放送した局が、同会から猛抗議を受けたという逸話もあります。
助命の嘆願書は100通を超えましたが、被告はこれの証拠採用を拒否しました。事件前から極端なまでに音へ過敏だった被告は、留置所でも些細な音に悩まされており、自ら死刑を望んでいたからです。しかし現在に至るまで死刑は執行されておらず、既に国内最高齢の死刑囚と言われています。
この事件と助命嘆願に加え、騒音問題が原因の犯罪が相次いだことで、国民の騒音に対する認識は急激に高まりました。具体的には、ピアノに弱音装置が取り付けられたり、全国に相談窓口を設けたりされています。「事件を機に近隣住民が静かになった」と喜ぶ声が出た一方で、音大生などが「イタズラ電話や貼り紙の被害を受けている。気持ちは分かるが、嫌がらせではなく話し合いをしてほしい」と訴えており、過剰反応もまた浮き彫りとなりました。
青い芝の会、反発!
1967年、寝たきりの27歳息子を無理心中目的で殺害した父親が逮捕されました。原因は介護疲れと、受け入れ先となる障害者施設の不足にあるとされ、同じく重度身体障害の子を持つ親たちが集まり減刑嘆願運動を起こしました。この父親は心神喪失を理由に無罪を言い渡されています。
また、1970年にも重度の知的・身体障害を持つ息子を絞殺した母親が逮捕されています。こちらも母親への同情から減刑嘆願運動がなされており、こちらは有罪ではあるものの執行猶予3年の軽い判決でした。
障害を持つわが子を殺害した親が、世間から同情され減刑を求められた2つの事例。これらの動きに黙っていられなかったのが、脳性まひの当事者団体「青い芝の会」です。彼らから見れば、障害を持つ身内への介護疲れが理由なら、殺人さえも同情を受け正当化されるという状況でした。まさに、「いつ介護者から殺されてもおかしくない、生存権の危機」と受け取った訳です。
青い芝の会は、これらの減刑嘆願へ更に抗議してきました。自分たちの命もかかっている訳ですから、その姿勢も「自分たち脳性まひ者は、健常者から『本来は生きてはならない存在』と認識されている。そのような健常者社会へ“強烈な自己主張”を行っていく」と強固なものです。対案を求められれば「まずは我々の問題提起を受け止めよ」と突っぱねました。
同会は昭和時代、乗車拒否に対しバスジャックで報復する川崎バス闘争などでいわゆる「オラオラ系」なイメージが強いです。しかし、当時の障害者を取り巻く状況は劣悪なもので、ある程度手荒な真似をしないと権利を勝ち取れない側面もあったのではないでしょうか。
介護疲れが理由の殺人に対する減刑嘆願は、悩み苦しんだ親への慈悲のつもりだったのでしょうが、青い芝の会はじめ多くの障害当事者にとっては看過できない活動でした。重大な刑事犯罪への減刑嘆願は、強烈なメッセージ性を持つことが往々にしてありますが、その意図は最初から本人の手を離れているのかもしれません。この件の場合、無自覚な差別意識と言ってしまえばそれまでですが。