片耳難聴について~深刻でないものの確実に生活を不便にしている私の障害
暮らし 身体障害出典:Photo by Jessica Flavia on Unsplash
「産まれつき左耳の聴力が全く無い」と医師に診断されたのは、私がまだ小学校へ上がるかどうかというころでした。
当時の自分が何をどう感じたかは、もはや忘れてしまいましたが、その日から今日まで片耳が聴こえないことを特段悲観的に捉えはしなかったと、ハッキリいい切れます。
私個人の経験においては、片耳難聴が私に致命的な損失を与えたことはありません。
ただ一方で大人になった今、自分の生活に小さな、しかし確実な不便さを感じることも増えてきました。
コミュニケーションの取りづらさ
誰かと喋るとき、私は基本的にその人の左手側、つまり私の右耳がその人に向くように位置取ります。
もし最初の立ち位置が逆だったとしても、一言断ってから自分が聴きやすい方へ移動するようにしています。
それが気軽にできる場合は、会話をするのにほとんど問題はありません。
しかし、その場の流れで逆の位置に立たざるをえず、さらにはその位置を変えるのも困難なとき、というのはままあることです。
友人と居酒屋で談笑するならまだ気は楽ですが、会社の上司と話しているときや取引先との商談なんかで、それが起こると必要以上の緊張を強いられます。
かつて営業職をしていた際、車の運転中に助手席の上司から話しかけられ、それが仕事上大切な話なのか雑談なのかわからず運転に集中できなかった、なんて思い出もあります。
隣で上司が喋っていることはわかる、しかし肝心の内容が聴き取れないのです。
私にとって人と喋ることはかなりの集中力が必要な行為で「何か別のことをしているときに話しかけられる」というシチュエーションは大きなプレッシャーとなります。
他にも、遠くから呼びかけられても声がする方向が分からない、不意に話しかけられたときに返事ができないなど、小さいながらも不便な場面が多くあります。
一見して分かりづらく自己開示が難しい障害であること
社会に出ると、おたがいに深くは関わっていない取引先など「そこそこの関係値で続く間柄」が増えていくと思われます。
そういった人たちと関わる中でどこまで自己開示するべきか、そのラインの見極めが非常に困難です。
正論をいえば「関係値にかかわらず全員にいう」で間違いありません。
ですが、片耳は聴こえるのでその場の会話をしのぐくらいならできなくはないのです。
恐らくですが、よっぽどでないかぎり自己開示以外で他人が私の片耳難聴を見抜くことはないと思います。
また、自分一人への配慮のため、その商談なり現場仕事なりが終わるまで他人に気を遣わせ続けるのも、正直なところ気が引けてしまいます。
そうなると、わざわざ開示し理解してもらう手間を思えば「自分でなんとかした方がこの場全体が楽なんじゃないか」とも考えてしまいます。
前職で新しい取引先に向かうとき、そういった線引きを考えるストレスがいつも私の肩にのしかかっていました。
配慮して欲しいこと
もし開示があったなら、まずはそのまま受け入れて欲しいです。
そして、おたがいに話しやすい立ち位置や喋り方を見つけて下さい。
話しかける際は「今、話しかけても大丈夫?」とひとこと添えてくれると、とても安心します。
返事や相槌がなかったり、話の内容が分からなかったりしたときに、どうか気を悪くしないで下さい。
悪意があって無視したり聞き返したりしているわけではありません。
「今の話、聴きづらかった?」
「うん。ごめん、もう1回いってくれる?」
というやり取りを気兼ねなくできる雰囲気を一緒に作って貰えると、嬉しく思います。
親しい間柄であれば、肩を叩いたりジェスチャーを交えたり、声以外の方法でもコミュニケーションを取って貰えると、きっと助かると思います。
おわりに
以上、私の小さな不便さの話でした。
自分のことばかりを話してしまいましたが、逆の立場に立ったときに私自身がどう振舞うべきかも、しっかりと考えなければなりません。
片耳難聴に限らずとも一見して分かりづらい障害を抱えている人は世の中にたくさんいて、その人それぞれの不便さに悩んでいると思います。
ともすれば見逃してしまいそうな、その不便さに目を向け、手を差し伸べられる人間であろうと、思いながら日々を過ごしています。
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