処罰感情に寄り添えば、必ず損をする
暮らしPhoto by Bermix Studio on Unsplash
2017年に神戸市で起こった5人殺傷事件が、一審に引き続き二審でも無罪判決となり、検察の上告断念により確定しました。俗に「哲学的ゾンビ事件」と呼ばれるであろうこの事件は、被告が心神喪失の状態にあったとして刑事責任能力を否定されています。
これに当然の如く反発する意見が噴出しました。心神耗弱で無罪判決を受けた被告は釈放されるのではなく、「措置入院」として精神病棟に入れられる訳ですが、そんな事情など知ったことではないといった調子です。実際に知らないのでしょうけれども。
我々素人が刑事裁判へ示す反応は、概ね「処罰感情」によって左右されます。処罰感情とは、事件の責任者が罰されることの期待を指し、納得のいく罰が提示されることで満たされます。これが満たされなかった時の反応からして、人間の欲求でも原始的な領域に近いところにある感情ではないでしょうか。正義中毒とも遠からぬ関係がありそうです。
刑事は勿論、民事のニュースでも処罰感情に基づいた意見がしばしばみられます。例えば、迷惑行為に対して法的措置をとると言えば拍手喝采で迎えられます。まるでコロッセオの観客です。しかし、移り気でエモーショナルな世論に寄り添うような、言い換えれば“媚びる”ような身の振り方は、長期的にみると大きく損をすることになるかも知れません。
引き際を知るスシロー
処罰感情に寄り添った対応は、いずれ裏切られ大損をする…そう訴えたのは、報道対策アドバイザーとしても活動されているノンフィクションライターの窪田順生(くぼた・まさき)さんです。窪田さんはダイヤモンド・オンラインに、「ペロペロ少年」に対するスシロー(運営:あきんどスシロー)の動きを論評する記事を寄稿しました。
「ペロペロ少年」とは、スシローの店舗内で醤油差しを舐め、その迷惑動画を世に広めた少年のことです。スシロー側は少年の家族に対して約6700万円の損害賠償を求めて提訴、その動きはネット上で拍手喝采となりました。「毅然とした態度が素晴らしい!」「少年の将来を潰しまくって、見せしめにしてやれ」と大盛り上がりです。
ところが提訴から3か月後、「少年側が責任を認めた」とした以上の情報が明かされぬまま裁判は調停となりました。この「不完全燃焼」「尻切れトンボ」といえる結末に、かつてスシロー側の提訴を激賞した人々は多大なフラストレーションを溜め込んだことでしょう。
窪田さんは、訴訟取り下げに至ったスシローを「英断」「至極真っ当な経営判断」と評価しました。仮にこのままネットの処罰感情に寄り添い、訴訟を続けていたらより大きなリスクを背負い打撃を受けていたというのです。(別に少年の行く末を案じてのことではなく、企業の危機管理としての評価です。)
もし少年への法的追及を続けていたら、スシロー側には3つの大きなリスクが降りかかっていたと窪田さんは説明します。ひとつは「業績低迷の原因探しに繋がる」、ふたつは「勝訴したところで客足は戻らない」、みっつは「スシロー側で不祥事が発覚した時のダメージが激増する」です。
ひとつ目の「原因探し」とは、言い換えれば「迷惑動画以外にも業績低迷の原因があるのではないか」という疑いの目です。迷惑動画で客足が遠のいたとしても一時的なことで、スシロー全店が大打撃を受けたと訴えるのは「感情的には共感・同情できる話だが、科学的でもなければ論理的でもない」そうです。
加えてスシローには、ペロペロ少年より半年以上も前から「おとり広告」などの不祥事を繰り返す“前科”がありました。 もし少年側との争いが長引けば、やがて「ペロペロ少年をスケープゴートにして、過去のやらかしから目を背けているだけでは?」と勘繰られてしまい、更なるイメージダウンに繋がったことでしょう。
ふたつ目の「客足」も同様で、仮に勝訴して損害賠償を得たところで、スシローへの客足が戻るかどうかには寄与しません。法廷闘争に様々なリソースを割いてまで、人々の「処罰感情を満たしたい」という低俗な欲求を叶えてやる義理などない訳です。
強烈なしっぺ返し
窪田さんが訴訟続行における最大のリスクとして挙げたのが、「スシロー側で不祥事が発覚した時のダメージが激増する」、すなわち強烈な“しっぺ返し”です。民事で被告を厳しく罰すると、「お前はどうなんだ」と同様に厳しい目線が原告側にも注がれます。
厳しい目を向けられた状態で何かしら不祥事が明らかになると、今度は自分たちが「処罰感情を満たすためのポルノ」にされてしまいます。内部からの「告発ドミノ」も引き起こすでしょう。「他人を厳しく攻撃していた者は、『逆風』になった時にその攻撃は『ブーメラン』としてすべて自分に返ってくる」というのが窪田さんの弁です。
窪田さんは直近の実例として、女優の広末涼子さんの不倫騒動について会見を開いた夫のキャンドル・ジュンさんを挙げました。ジュンさんの会見はネット上で「家族思いのいい父親じゃないか」と感動や称賛を巻き起こしましたが、それはごく短期的なものです。窪田さんに言わせれば「危機管理的には『失敗』だと言わざるを得ない」会見でした。
ジュンさんは「子どもを誹謗中傷から守りたい」としながらも、広末さんについて言わなくてもいい事を話してしまい、余計に状況を悪化させてしまいました。しかし、本当の問題は会見の後です。なんとジュンさんの関係者らが週刊誌に、暴力や金銭問題、そして不倫疑惑までも告発してしまいました。告発の動機が「広末さんが凄く叩かれていたから」であることから、これは偶然ではありません。
窪田さんは、ジュンさんが会見を開いたことで「偉そうなことを言っておいて自分はどうなんだ」と一部関係者から反感を抱かれ、週刊誌への告発を決心させたのではないかと分析しています。従って、裁判の調停を決断したスシローの対応は、引き際を弁えた「英断」といえるでしょう。処罰感情の赴くまま好き勝手に物申す民衆は、何の責任も取ってくれませんからね。
では、途中で取り下げるような法的措置を何故検討するのかというと、株主を納得させるためだそうです。迷惑動画などの不祥事で最初に影響を受けるのが株価です。株価の急落は株主にとって心穏やかでは居られません。そこで法的措置の検討を示唆し、株価と株主が落ち着くのを待つのが多くの企業でとられる手法で、本気で訴訟に乗り切る例はごく僅かとなります。
窪田さんの記事を読んでいく中で、「そういう社会の溜飲を下げるためにやるものではない」という一文が深く突き刺さりました。大衆の処罰感情に乗っかったことで大損をしたジュンさんの顛末は、まさに「地獄への道は善意で舗装されている」を地で行くものだったことでしょう。
「逆張り野郎!」と罵られて
窪田さんは飽くまで「企業の危機管理」という観点で語っており、少年の将来を案じている訳ではありません。それでも処罰感情にそぐわない記事を書いたことで、多数の「お叱り」が寄せられてきました。ネット上で「逆張り野郎」「中学校からやり直せ」などと叩かれただけでなく、リアルの会食中にもよく知らない人から説教までされたそうです。
何故窪田さんがそこまで言われるのかというと、端的に「ウザい」からでしょうね。処罰感情を満たしてスカッとしたい時に、水を差すようなことを言われたら、「なんだこの空気読めない奴は」と思ってしまうのも無理からぬことです。
私も「心神喪失無罪=釈放ではない」みたいなコラム(あれも哲学的ゾンビ事件の関連)を書いたことがあります。理解を示す反応はそれなりにありましたが、やはり「納得がいかない」という感じの反応もまた見受けられましたね。「分かっていても心情的には納得しがたい」ならまだしも、「18%は(措置入院から)退院してるじゃないか」「日本国内の詳細なデータは無いんだろ」と食い下がるような意見には少し引きました。
ですが、ああいう移り気でエモーショナルな意見こそ真に受けてはいけません。窪田さんが別の記事で「『勧善懲悪のリンチショー』を楽しんでいる野次馬」と例えていますが、これは秀逸ですね。野次馬の卑近で低俗な処罰感情などに寄り添ったところで、簡単に裏切られて梯子を外されるのは目に見えています。経営者でなくとも、周りに乗せられることなく中長期的な目線をキープしたいものですね。
参考サイト
「ガッカリだ!」スシローとペロペロ少年の和解に失望の声が続出…それでも“英断”だったと言い切れるワケ
https://diamond.j
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