とにかく打ち込め(『発達障がい~神からの贈り物~』第15回)
『発達障がい ~神からの贈り物~』 第15回 <毎月10日連載>
ようやく待ちに待った冬季オリンピックの開幕ですね。訳あって私はテレビ観戦をしませんが、アスリートたちにとっては待ちに待った晴れ舞台を正々堂々と戦い抜いてもらいたいものです。
ここで少しスポーツについての話をします。オリンピックは誰もが華やかな舞台だと認識しているでしょうが、そこで競うアスリートたちのほとんどは決して華やかな人生を送っていないと言えるでしょう。生活が安定しているスポーツ選手などこの世にはほんのごく一部で、定職に就けずに自腹で合宿費を捻出…、なんて人がほとんどのようです。だからこそ待ちに待った晴れ舞台で輝いてほしいものです。
さて、ここからは発達障害、および自助会に関する話題。自助会に来る者のほとんどはなんらかの生き辛さを持っています。だから人生を何とか変えようと足を運ぶのでしょうが、彼らのほとんどは『周りの人たちと同じように楽に暮らしたい。』と述べます。それはまるで定型発達者たちは悩みや苦しみなど何もなく、発達障害者はそれだけで苦しいのだ、そんな風な固定観念に凝り固まっているように私には映ります。
仮に、大多数の人間が悩みや苦しみがなく、毎日を幸せに暮らしていたとして、そのような世の中に差別やいじめ、犯罪などが存在するでしょうか?本当に心から幸せだといえる人が他人を傷つけたり妬んだりするでしょうか?どんな人にでも悩みや苦しみがあるからこのようなことが存在する、私にはそう思えます。勿論それらを肯定するわけではありません。しかし、定型発達=幸せ、発達障害=不幸、こんなステレオタイプからそろそろ抜け出しませんか?
ここでもう一度オリンピックの話題を。世の多くの人たちが何故スポーツの祭典に熱狂的になるのでしょうか?きっとそこにはそれぞれの『夢』が存在するのではないでしょうか?生活を切り詰めてまで直向に努力するアスリートたちに私たちが諦めた夢を背負ってもらっている、だから熱狂するのだと思います。毎日が幸せでないからこそ、一瞬だけでもその夢を見続けたい、そんな思いがそこにあるのではないでしょうか?
人は誰しも見返りを求めずに必死に努力する人を応援したくなるものです。そこに諦めた自分の夢を乗せたいとも。つまり、世のほとんどの人は幸せでない、思い通りの人生を歩めない、だから必死に努力する人を応援したくなるもの。
定型発達であれ発達障害であれ、思い通りの人生を送れないのはきっと同じ。だったらアスリートのように何かに打ち込んでみませんか?発達障害者は能力の偏りがあり、他人から見ると羨まれるものを持つものが多く存在します。羨まれなくたって、自分が好きなことをやり続ける力を持った人間が実に多く存在します。その能力を直向きに努力し続けませんか?才能が開花するか否か、そんなことは後回し。先にも述べたように見返りを求めずに必死に努力する姿は人を魅了するものです。スポーツでなくてもかまいません。ダンスを踊る、絵を描く、歌を歌う…、やり続けられること、打ち込めることに心底向き合う、ただそれだけで、きっとあなたの生き方に共感する者、肯定する者 が現れるでしょう。
オリンピックはテレビの中のできごとではありません。私たちと同じ人間が、私たちと同じ時間を生きる生き様そのものです。きっと私たちにだって私たちなりに彼らと同じ生き方はできるはずです。
楽に生きようとするものは周りから妬まれ蔑まれる。一方で一所懸命に生きる人間は感動を呼び起こす。私は『打ち込める才能』を与えてくれた発達障害に心から感謝します。
注意欠陥多動性障害(ADHD)