双極性障害で措置入院をさせられて~キャリアウーマンからの転落

双極性障害(躁うつ病)

出典:https://www.photo-ac.com

31歳で躁状態になり病院に連れていかれ、措置入院された体験談を書いていきたいと思います。
双極性障害については、当サイト内 「双極性障害(躁うつ病)とは?うつ病とは違う!その症状や原因、治療法は」「北杜夫と双極性障害?家族とともに歩んだ日々」 をご参照ください。

仕事と海外旅行・コンサート三昧の20代

大学卒業前に父と母方の祖父が他界し、今まで自分を守ってくれていたものが崩壊。銀行ATMの使い方もわからない母と取り残されました。自分が早く一人前になり母を守らなければという使命感から、母の出身地である関東に総合職として新卒入社。神奈川県に転勤し、売上最下位の売り場を売上1位に押し上げ毎月上位3位には入るようにしました。同期がみな行っている本部研修に行かせてもらえないので、少しひがんでいたのですが、新人の私の売り場が本部研修のモデルケースになっていたことを後になって知りました。同期男子にくらべても出張が多く、自分ではわかってませんでしたが、幹部候補生だったらしいです。連続した休みは取れませんでしたが、給料はそれなりにあったので、高級ホテル宿泊や観劇など楽しみました。家庭の都合で大阪に戻ってきてからは、経理の仕事をしながら、料理教室やボクササイズ、コンサートやエステなど、仕事と趣味のメリハリはついていたと思います。

興奮しすぎて不眠そして家出

身体の不調を感じだしたのは20代後半でした。相変わらず海外旅行など楽しんでいましたが、耳鳴りやひどい肩こり、めまいに悩まされるようになりました。内科、整形外科、耳鼻咽喉科、歯科、どこに行っても異常はありません。合格率7%の国家試験合格後、期間限定のパートに行きました。大手有名商社の系列子会社で、本社ビルの中に会社がありました。入力作業のパートのはずなのに、他のパートさんたちと仕事内容が違い、変に思っていました。配属3日後、上司に喫茶店に誘われました。上司は新規事業を立ち上げるために転職してきたものの、一緒に事業を立ち上げていく部下がいなくて困っていたそうです。何人もの男性を面接したそうですが、これという人がいなかった。フジコさんを見てピンと来た。フジコさんが合格した国家試験の内容も活かせるし、事業部長付になるよ、と新規事業の内容を熱く語ってくれました。私は舞い上がりました。女性は結婚・出産で仕事覚えたころに退職されると困る、と面接ではっきり言われたこともあります。何人もの男性よりも私を選んでくれた!なにげなく応募したパートの仕事から、資格が活かせる仕事ができる!正社員になれる!ものすごく興奮しました。そして眠れなくなってしまいました。

躁状態になり浪費そして措置入院

頭が常に回転している感じで全然眠れないのです。今ならわかるのですが「極度の躁状態」です。そこからの記憶はあまりないのですが、3日は寝てなかったことは覚えています。とにかく眠らないと仕事にいけない、家にいると眠れない、夜中にスーツケースを持って、タクシーでホテルに行きました。5,000円強のタクシー代も釣りはいらないと1万円札で支払いました。当時の大阪府知事が泊まっていたフロアの高級ホテルに泊まり、宿泊代は7万円でした。浪費する完全な躁状態です。せっかくのチャンスを逃してなるものか、という気持ちが強く、とにかく眠って仕事に行くことしか考えられず、自分の状態がおかしいことにまったく気が付きませんでした。家に帰ったところで病院に連れていかれました。精神科です。即、措置入院になりました。仕事は退職、せっかくのチャンスは潰れました。気が付くとベットに拘束されていました。こんな目にあわせやがって、私には恨みと憎しみしかありませんでした。精神科の医師には罵詈雑言を浴びせました。トイレに行きたいと叫んでも無視され、拘束が外されたと思ったら、おまるのようなトイレで若い男性看護師が見てる前でした。恥ずかしさでおしっこが出ないと嘘つき呼ばわりされ、これ以上の屈辱はないほどの辱めを受けました。

さいごに

医師には「心因反応」と言われました。悪い事ではなくすごく良いことがあったのに、理由がさっぱりわかりませんでした。最初うつと診断され、その後双極性障害と診断されるかたは多いですが、今思うと私はいきなり躁状態で措置入院でした。双極性障害の診断はむずかしく時間がかかると言われています。

▶︎続きのページ:双極性障害で措置入院からの脱出~退院後はハイハイでトイレへ

参考文献

「双極性障害(躁うつ病)とは?うつ病とは違う!その症状や原因、治療法は」
https://shohgaisha.com

「北杜夫と双極性障害?家族とともに歩んだ日々」
https://shohgaisha.com

フジコ

フジコ

31歳のときに双極性障害を発症して入院し、8年後の夏オリンピックのときに再発入院。
また8年後に躁状態になったが自発的に対処できたため入院はせず。
その後主治医の許可が出たため、現在は就労移行支援施設で訓練中。
障害を隠して仕事をしてきたが、障害者雇用枠での長期就労を目指す。

双極性障害(躁うつ病)

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