注意欠陥や衝動性、整理整頓ができない、などなど、実は原因は同じかもしれない。利用者さんから学んだ大切な心の焦り。(『発達障がい~神からの贈り物~』第25回)
『発達障がい ~神からの贈り物~』 第25回 <毎月10日連載>
福祉職員になって13ヶ月が経ちました。そしてこのコラムは確か3年目、月日が経つのは実に早く、更に忙しい毎日が余計に時間を短く感じさせます。
発達障害者、特にADHDなどの多動系の人たちは仕事のミスが多かったり、部屋が片付けられなかったり、衝動的な買い物や、歩行中に肩や足が様々なものにぶつかったり、生活における困りごとは多岐にわたります。私自身はこれまでコミュニケーションを根本から掘り下げたり、自己受容などを深める中で、人間関係でのトラブルは過去とは激減しましたが、上記のような注意欠陥的なものや衝動性などは毎日のように繰り返しています。
ただ、過去のように自己否定の呪縛に取り付かれていたときは、それらの問題が人格形成そのものに大きく影響するほどのものでしたが、今では『そんなこともある』『誰でも多かれ少なかれミスはする』というふうに受容できるようになったことでミスの数は激減しているように思います。しかし、やはり時々重大なミスを犯してしまうもので、この問題の根の深さをずっと実感し続けていました。
そんなところに、あるヒントが与えられました。
現在の私は就労継続支援B型作業所の生活指導員での仕事の時間が多いのですが、ある利用者を観察するところから得られました。その利用者さんは所内でもよく問題を起こしてしまいます。たいていは不必要なときに出しゃばってきて大きな失敗をしてしまったり、人とすれ違うときには必ずと言うほど肩がぶつかったり、目の前しか見えていないと言うか、必要以上に自分の必要性をアピールしようとか、そういった心の焦りをいつも持っているように見えます。
そんな利用者さんのことを当初はやはり苦手にしていました。答えは簡単、私自身に似ているところがあるから。なので、その人から何か学べないか、ずっと考えていました。
当所では送迎サービスを行っていますが、運転手として私がその人のところに行くことが多くあります。過去に家の鍵をかけ忘れたことがあったようなのでしっかり施錠しているか見て欲しいとの申し出があったので、毎回玄関がしっかり閉まっているか見るようにしています。その際に気づいたのですが、車が到着して、玄関に出てくる際に、大きな荷物をせわしなく持って靴はかかとを踏んだまま、そのまま外に出てから玄関先で靴を履いて鞄の中から鍵を探す、毎日のようにこれを繰り返すのです。『人を待たしてしまってはいけない』という気持ちがそうさせているようにも思いますが、結果的にあわただしく、ミスも増えてしまいます。その後、その人を見ていると常に焦って、横着な 行動をしているように移りました。
文明社会が進み交通も情報もスピードがどんどん速まって、それに見合った効率化は人類にとっては大切なものかもしれません。しかし、ミスの多い人たちに共通する部分として、心の焦りから何かを効率的や合理的に行おうとして問題を大きくしているように思えないでしょうか?この場合の効率化は別の表現では横着そのものではないでしょうか?
そう思い、わが身を振り返ってみると、私自身もそういう横着が染み付いていると思います。2年ほど前から前日に準備することをようやくこの歳になって覚えてからはかなりましになりましたが、やはり効率的に行動しようとか、工程を簡略化しよう とか、そういう気持ちがいろいろな私のミスを増やしているように思います。部屋が片付かないのもまた使うものは直さなくて良い、つまり整理整頓よりも効率化を優先して、いつの間にか何がどこにあるのかわからなくなってしまいます。肩が他人に当たってしまうときも、できるだけ効率的なルートを通ろうとか、早く行動しようとか、そんな気持ちから生まれていると考えられます。衝動性も自己否定を解消しようと何かに飛びついてしまうことから来るように思います。または向き合いたくないものから目を避けたい時なども。
しかし、心の焦りが解ったとしても簡単に焦らなくなれるわけもないでしょう。過去に学習塾で凡ミスを繰り返す生徒にどうしたらミスがな くなるかを尋ねたところ、『落ち着いて行動する』と皆口を揃えて言いますが、その後も彼らの凡ミスが減ることはありませんでした。
ではどうすれば良いのか?
ここでもう一度先ほどの利用者さんのことに戻ります。その人はその後玄関の施錠ミスは無いようですが、毎日のように玄関先で焦ってしまいます。実際にはミスが無いのだからそれでも良いのかもしれません。しかし、きっとそういう部分から直していかないともっと大きな焦りの時だけ焦らないようになどなれるわけがありません。何事も基礎が重要。スポーツでも一流選手は基礎を大事にします。当たり前にできることなのにそこを抜こうとはしません。
考えてみれば、私自身が心の焦りと向き合わないのに他人に指導などできるでしょうか?その利用者さんを見て学べることがあれば、まず私自身が学ぶ、そうするときっとまわりも学んでくれるのだと思います。子育ては親の学び、などとも言われますが、教員と生徒、支援者と利用者、などについても同じことがエいるように思います。
上記のことに気づけてから、まだたったの数日。しかし、私の生活は大きく変わり始めているように感じます。何か心に余裕が生まれたというか、時間が少しゆっくり流れるような、そんな風に少しずつ思えてきています。
世間は師走の忙しい時期、そんな時に少し心に余 裕を持たせられるようになる気づきを与えてくれた利用者さんに感謝です。
注意欠陥多動性障害(ADHD)