双極性障害〜私が双極性障害と診断されるに至った過程
双極性障害(躁うつ病) うつ病 暮らしこの記事では私が全般性不安障害からうつ病、更には双極性障害へと診断が変わっていった経緯をお話ししたいと思います。
最初は全般性不安障害の診断
平成18年の年末特定派遣の仕事をしていました。そして私は心療内科を受診しました。それは仕事に問題を抱えていたからです。今まではISO14001を取得している場所で勤務しており、紙媒体の削減に意識をしておりましたが転職先では複合機の評価業務を行うようになり紙はどんどん印刷して複合機のテストをするような環境におかれました。職場の人間関係も最悪でおまけに通勤も片道約2時間かかる状況で同じ悩みを頭の中でグルグル回転させているような状況で私の体が悲鳴を上げ始めたのでした。そして勤務先の心療内科に自ら受診しに行き診察を受けたところ、「あなたはあれこれ悩みすぎです。全般性不安障害です。」と診断されました。
全般性不安障害からうつ病への診断
平成19年1月もう私の心の中でうつ病は決まっていたのかも知れません。同僚から忘年会の席で聞いたというある一言を切っ掛けに私という人格は崩れ去りました。感情が崩壊して涙が止まらなかったのです。その夜私はこの職場は最後になるからと部下の一人を酒に誘いました。「これから俺は病院に行く明日からは現場に来ないから迷惑をかける事になってすまない。」そう告げた後に私は泣いた状態のまま、心療内科を受診しました。その時の医師から「あなたは完全にうつです。お薬出します。仕事はしばらく休みなさい。」と告げられました。
地元での病院探し
仕事を休業することになり、地元で病院を探していましたが、当時、心療内科の看板をかけている病院は多くはありませんでした。隣駅のクリニックをインターネットで見つけ通院しようとしましたが完全予約制で初診の方は数ヶ月待ちという状況でした。その時の症状は家の電話が鳴る音にさえ怖がり、暴力的破壊的な衝動も強く感じている状況でしたので一刻も早く受診したい旨を受付の人に伝えましたら、暴力的破壊的衝動があるなら、入院病床のある病院の方が良いですよ。と勧められました。
後日、その勧めに従い入院病床のある病院に予約を入れ受診したのが、今の主治医との出会いです。
仕事復帰への焦りからじっくり腰を据えない治療に
給与収入が無くなると生活そのものが出来ませんので、うつ病の療養は1ヶ月の休業で職場復帰しました。うつ病が完全には復調しておらず、数値で表現するなら20%くらいしか回復していませんでしたので職場での最長22時までの勤務は相当きつかったのは今でも覚えています。そんな私の心を支えてくれたのは迎え入れてくれた先の人間関係や職場環境が良かったこともありましたが、周りが私の能力を認めてくれて、信頼して頂けていた状況であったのが一番大きかったです。
仕事は続けて行ける状況であっても抑うつ状態は回復の兆しをみせてくれません。薬も色々試しました。デプロメール、パキシル、リフレックス、ドグマチールなど結構試したと思います。面白いと思った事は1回目パキシルで副作用が出て服薬を断念する機会があっても、違う抗うつ病薬を飲んでしばらくしてパキシルを再開しても今度は副作用が全くでなかったりしたことです。
抑うつ状態で車を運転するのは危険
昔、車を所有していた時は病院まで車で行っていましたが、やっぱり意識がはっきりしておらず認知の低下がありました。
平成26年道路交通法で『統合失調症など一定の病気の症状がある運転者への対策』で免許更新時や、取得時に「一定の病気等」に対する質問条項ができました。質問に虚偽の回答をした場合は罰せられるので、くれぐれも虚偽の申告はしないで下さい。質問に正直にうつ病や双極性障害、統合失調症と記載した場合、運転免許センターでは別室に通され聞き取り調査があります。私は面倒でしたので更新期限満了前までに運転免許センターに電話して臨時適正検査を受けたいとお願いして診断書を自宅に送付して頂きました。医師に運転免許の臨時適正検査の診断書をお願いして書いて頂いて、提出後しばらくしたら電話で運転免許センターから「臨時適正検査OKです。」連絡がありました。後日、運転免許更新時に別室には通されましたが所要時間は1分程度でした。
やっぱり、車の運転ってモラルの問題だと私は思います。『免許の更新期限までは現状乗っていても問題ないだろう。』と思われるかも知れませんが、いざ、事故が起きた時のことを考えてみて下さい。あなたが被害者になった時のことを考えてみれば答えは決まっていると思います。私も今になって昔のことを反省しています。
主治医の変更が病の悪化の原因に
私の通院日は土曜でした。仕事に影響させないためです。ある日、主治医が土曜日の担当から外れてしまい自動的に変更になりました。土曜日はやっぱり患者も多いので1人当たりの診察時間も短いです。新しい主治医は私の主訴も聞いているのか聞いていないのか分からないような状況で、妻曰くあの先生自体が病んでいると思というほどでした。
療養期は突然に
通院しながら仕事も何とか続けている状況でしたが、ある日突然その時はやってきました。リーマンショックの到来です。私の受け入れ先企業でも大量の派遣切りがあり、私も対象になりました。派遣切りは悲しい出来事でしたけど、社員さんから○○さんには残って欲しかったけど、会社がこんな状況なので申し訳ないと言われたことは今でも覚えています。
派遣元である会社は自宅待機などで雇用の維持に努め中小企業助成金なども活用して研修なども行っていましたが、雇用の維持が難しい状態だったらしくメンタルを1回でも病んだ人に対して退職勧奨が行われるようになりました。1人また1人と徐々に脱落していく人が増える中で会社は嫌がらせをしてきました。毎週のように東京に面談のため呼び出されたのです。私は大阪在住でしたので毎週新幹線に乗って退職勧奨をされに行き『ノー』と答える日々が続きました。
これ以上会社も無駄な経費をかけたくないようである日、突然電話で会社都合退職(退職勧奨)にする。退職金も(具体的な金額提示で)支給する。という内容で双方合意しました。これ以上時間をかけて交渉しても傷病などの理由により通常解雇されても仕方ないくらい私の病状が悪化していたからです。
療養期と障害年金申請
仕事を退職することになり、土曜日の診察にこだわらなくて良いようになった私は主治医を元の先生に戻しました。お金の面では在職中に障害者手帳精神3級を取得していましたので、支給日数300日で失業給付を受け、住宅ローンは債務返済支援保険で最長6ヶ月補填される状況になりましたのでじっくり治療療養に専念することになりました。住宅ローンの返済支援保険が切れる頃に主治医に障害厚生年金の受給申請をしたいとお願いしました。主治医の返答は一言で『まだ早い。』でした。
更に病院に行って診察を受け薬をもらうサイクル6ヶ月程経過した時、再度、障害厚生年金の受給申請の話をしたところ、主治医は応じてくださいました。
双極性障害の認知のはじまり
障害厚生年金の手続きを社労士に頼むとお金がかかります。当時でもうつ病での障害年金の認定は厳しいと言われていましたが、私は社労士に払うお金を惜しみ自分で申請する道を選びました。
初診日証明や障害厚生年金の申請に必要な書類は全て自分で揃えました。唯一、妻に手伝ってもらったのは病歴・就労状況等申立書の代筆でした。今は障害認定基準など公開されていますが、私が申請した時は専門知識のある人に頼まないといけない様なものでした。事実をありのまま、できることは書かないを徹底して記入しました。診断書の内容もあり結果として3年半程の遡及請求で等級は2級が認められました。
大金を手にして
障害厚生年金の初回振込額は結構な大金でした。初診日から障害厚生年金が支給前に頂いていた傷病手当金は併給調整されるという事は、障害年金を調べる過程で認知しておりましたので、障害厚生年金を受給してまず初めに取った行動は傷病手当金の併給調整で返す金額の算定と振込先口座を訪ねるといった行為でした。
併給調整で返した後のお金は自分で管理していましたので、欲しいものはすぐに買ってしまうような日々が続き、でも気分は上がってこないような状況が続きました。
ある日、金銭消費が激しい旨を主治医に話したことにより双極性障害の治療が始まりました。
双極性障害といっても様々な型がある。
双極性障害とは一般的に躁と抑うつの症状をくり返す病気だと思われていますが、実はそんな単純なものではありません。抑うつ状態と寛解域を行ったり来たりするのも狭義の双極性障害なのかも知れません。そして私は今、寛解域と軽躁状態を行ったり来たりする型の双極性障害になっています。
双極性障害はピッタリ合う薬が見つかれば格段に良くなると言われています。こんな私も投薬治療や入院治療、時には放置すれば死に至る病などに罹患などを経験しました。それはまた次の機会にお話ししたいと思います。
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