双極性障害〜社会復帰から悪性症候群にかかるまで

うつ病 双極性障害(躁うつ病)

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うつ状態から双極性障害に移行し自宅療養を4年程行った後に、就労移行支援事業所に数ヶ月ほど通いましたが体調が悪い日が多く休むことが多くなった時、私は就労移行支援事業所を辞めるという決断をしました。そんな中で幸運にも派遣での仕事得た私が悪性症候群に発症することになった経緯をお話しします。

就労移行支援に通所するに至った経緯

平成26年2月頃私はハローワークで仕事を探していました。仕事が中々決まらない中でハローワークの職員さんが私に助言をしてくださいました。「就労継続支援A型で探してみたことはありますか?」私は就労継続支援A型事業所に興味を持ち、新大阪の事業者に連絡して面接に臨みました。その結果、ブランク期間が長いのでA型で雇用することはできないという結果に終わり、まずは就労移行支援に通所して体調が整えばA型就労継続支援にステップアップできるという内容でした。

就労移行支援事業所からのドロップアウト

平成26年11月頃私は就労移行支援事業所のサービス管理責任者に通所を辞めるという決断を伝えました。当時の私の精神状態では安定通所も望めない不安定なものであり、週に1日は休むといった具合で通所率は90%くらいでした。

自暴自棄!?間違った暴露反応妨害法で健康に

私は就労移行支援事業所を辞めた後、自暴自棄になったのか向精神薬の服用をしませんでした。間違った暴露反応妨害法により完全断薬したのです。スキームはこうです。

(A)精神疾患を治療するには薬が必要!!
(B)薬を飲まないと離脱症状がでて余計にしんどい状況になる。
(C)ここまでしんどいのは薬のせいかも知れない??
(D)あれ?断薬しても離脱症状起きないな・・・。

上記の(A)〜(D)のループさせた行程を自分で勝手に行い、向精神薬の全部を漸減して完全断薬に成功したのです。

運に恵まれた。派遣の仕事を選考過程なしでGET

完全断薬した後もしばらく体調不良の時期が続きました。就労移行支援は辞めたものの職探しはしておりました。複数の派遣会社に登録していたもののブランク期間の事を尋ねられ苦しい言い訳をして落ちることが続きました。しかし、平成27年4月派遣会社から1本の電話が私の人生の転機でした。それは面接選考が無い企業様で私が希望すれば採用して頂けるという内容でした。この時、私の預金残高はほぼ無い状態にまで減少していたので正に救いの神が降臨したように思い二つ返事で働かせて頂きました。

いきなり7時間45分勤務残業無しはスモールステップ??

平成27年5月の連休明けから5ヶ月という期間で、契約書は3ヶ月毎に交わすクォータ—契約でした。昔やっていた仕事に内容は近いとはいえ、やる事は全く違うので体調に不安を抱えながら勤務しておりましたが、幸運にも派遣先から現状の仕事段階では残業はしてはならないとお達しがあり、9時出勤で17時45分退勤の日々が続きました。就労していないゼロの状態からフルタイムに近い勤務で、所謂垂直立ち上げを行った私の心身、昔とった杵柄とはよくいったもので、やり方は知っているというだけで意外と普通に勤務できていました。

心身の回復はある日突然やってきた。

当初、同じ派遣元から3人派遣され契約期間目安は5ヶ月だと言われていましたので、9月から違う職場を探し始めた私。担当営業の「これからどうしますか?」の問いに新しい職探しをする旨を回答する私。仕事しないとご飯が食べられないのですから。そして、ほぼ次の仕事が決まりかけた頃に事態は動きました。なんと、私が更新を前提としておらず職探ししていることが耳に届いたらしく、トイレの前で待ち伏せされ慰留を受けることになりました。

私は悩みましたが、仕事ぶりを認めて頂けたと素直に飲み込み契約を更新しました。その後、派遣開始から5ヶ月目の終わりが差し掛かった時点で機材の都合で平日は出張でホテル暮らし、週末は自宅に帰る日々が半年程続きました。出張6ヶ月の期間の最初の1ヶ月目のある日、突然私の心身を蝕んでいた抑うつ気分が蒸発したように、とってもスッキリした気分になったのです。

悪性症候群は突然に

平成27年11月頃からスッキリした気分になった私は順調に仕事をこなせていたと思います。半年間の出張を終え、大阪に戻って来た後も事業所内での勤務地変更などもありましたが、平成28年11月くらいから異変が始まりました。仕事上のストレスも少しあったのかも知れません。最初は3人でやる仕事を2人に縮小され、閑散期は1人で現場仕事をしていましたが、繁忙期になり、1人では捌けない状態に陥った時に補充された人員は、仕事を発注している会社が雇った派遣社員でした。私は仕事を受注している側の派遣社員ですので、道理でいえば指導はできないのです。発注先の社員から指導を公にお願いされれば引き受けるのですが、私の頭でっかちの部分がそれを許しませんでした。また、仕事は増えているのに使用できるパソコン台数も減らされ13.1インチのノートパソコン1台で仕事をする非効率さもあり私は途方に暮れていました。本当にノートパソコン1台では仕事にならず、最低でもノートパソコン2台が必要な環境だったのです。

平成27年11月19日(土)ガンダムORIGIN 4の劇場公開日に異変が起こりました。頭の思考回路が完全におかしくなっていたのです。人と喋っている時の感覚からおかしかったのです。例えばAさんが私に「明日、職場に就いたら朝一にはこの仕事をお願いしたい。」と言ったとします。そして私の頭の中で無意味な変換が始まるのです。「お願いしたい。この仕事を朝一に職場で明日」こんな感じに変換されるのです。この時私は躁状態のピークであったのかも知れません。

顕著だったのが発明妄想です。平成27年11月19日(土)朝一に映画鑑賞して終わり次第休日出勤でした、そして家に帰り発明したい内容をマインドマップした時、双極性障害の特性である観念奔逸が炸裂して一気に全身状態が悪化していきました。平成27年11月21日全身状態が悪化していながらも出勤。なんとか通常業務を終えた後、帰宅時に問題が発生しました。家に帰ろうとしても帰れないのです。地下鉄の駅で乗り換えが必要なのですが、注意を払おうと意識しても乗り換えする駅を乗り過ごすのです。乗車駅→乗り換え駅で駅に到着していることを認識できずに通過する。これを何回も繰り返してしまいました。多分1〜2時間程格闘していたと思います。

何とか家に帰宅してもマインドマップが面白くて止められない状態が続き、とうとう私は錯乱を起したのでした。気づいたらパソコンと会話しているような状況でした。パソコンとの会話を終え、今度はスマートフォンと会話するような状況になりました。昔、Androidのスマートフォンで1文字検索した場合、フィードバックを伝える画面が表示されていましたが、夜中永遠とその工程を水分も摂らずに行っていたのでした。夜が明け、妻と子どもが起きてきた頃には既に廃人になっていました。訳の分からない事を紙に書こうとする自分とそれを阻止する妻。そんな修羅場でした。

22日の朝、妻に「仕事休むなら派遣元に連絡しなよ」と言われましたが、連絡したかどうかの記憶は私にはありません。その後の私は完全に意識障害になっていました。当時小学6年生の子どもに私誰だか分かる?と尋ねられ私は「パスワード」と答えたそうです。その後に断片的な記憶が残っているのが、なぜか突然母親が現れたシーン、救急隊員に囲われたシーン、病院の急性期病棟の入り口をくぐった時のシーンなどの断片的なスクリーンショット的な記憶だけあります。
※日付を断定して書いてはおりますが意識障害下での曖昧な記録に基づいておりますので若干のずれはあります。

3週間意識不明

私が目覚めて意識がはっきりした時、3週間程の日が経っていました。ベッドには拘束用のベルトで身体拘束されていました。入院日時を確認した所、11月25日となっていました。悪性症候群と横紋筋融解症を患っていたそうです。横紋筋融解症は横紋筋という筋肉が溶ける症状で尿道カテーテルを通じて排出された尿の色は真っ黒であったと聞きました。体重は20キロ程落ちていました。

発生原因は不明

悪性症候群は向精神薬の開始、中断に伴って発症することが多く、2年間も薬を全く飲んでいなかったため原因は不明です。と主治医に告げられました。悪性症候群は発生機序が解明されていないので、私のようなケースは珍しすぎるのだろうと思います。

結構、長文になりましたので今回はここまでにしたいと思います。自分の判断で薬を止めることの危険性、主治医にそのことを伝えていなかった結果の重大性に焦点を当てて読んで頂ければと思います。次、機会がありましたら急性期病棟、慢性期病棟、解放病棟に入院して回った体験談を投稿させていただければと思います。

▶︎続きのページ:双極性障害〜私の入院体験記

参考文献

悪性症候群
https://medicalnote.jp/

機械仕掛けのマリオネット

機械仕掛けのマリオネット

双極性障害の40代男性です。平成19年にうつ病を発症。経過療養中に双極性障害に移行。一度は社会復帰を果たすも悪性症候群を発症し退職。現在は復職目指して訓練中です。

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