「傘泥棒」が証明する“守護範囲外”への残酷さ

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Photo by Andrew Butler on Unsplash

「落とした財布が警察を通じて帰ってくる」「深夜に出歩いても安全」「震災の被災地でも順番待ちをする」これらの特徴でもって、日本は治安がよく日本人は礼儀正しいと喧伝されることがあります。確かに海外ではありえないことかもしれません。五輪中のパリでサッカーのジーコ元監督が車上荒らしに遭ったニュースなどを聞けば尚更です。

しかし、傘立てに差していた傘がいつの間にか盗まれる経験もまた日本人の多数が持っています。治安がよく礼儀正しいと言われている一方で、傘泥棒はいつもどこかで体験談や対策法が話し合われる、奇妙な二面性です。少しの雨宿りで凌げるイギリスなどの雨と違い、日本の雨は長時間しつこく降り続けるため、傘の需要が高いのも一因となるでしょうか。

傘泥棒の加害者心理としては、主に「借りるつもりで盗った」「傘立ての傘は公共財産だと思っている」「傘は天下の回りもの」などが語られているそうです。盗んだ傘が本来の持ち主に帰らない以上、いずれも詭弁や屁理屈の領域にすら届かない妄言でしかないですね。そもそも盗むこと自体がおかしいのですが。

より常態化(重症化とも)した傘泥棒は、急な雨に遭えば躊躇なく傘立てを漁ったり、傘立てにある沢山の傘から気に入った物を吟味したり、傘立てに立てる方が悪いなどと言いだしたりします。何なら、より大きい自転車ですら「ちょっと歩くのダルい」「防犯登録から持ち主に帰るだろう。借りてるだけ借りてるだけ」などと考えながら鍵をこじ開けてまで盗んでしまいます。

自転車はさておき、治安がいいはずの日本でここまで傘泥棒が横行するのは何故でしょうか。私は、傘が“保護対象”や“守護範囲”に含まれていないからだと考えます。持ち主不明の財布や災害時の配給などは、多くの日本人が“保護対象”として捉えている為、自己中心的な行動は慎まれます。しかし、傘立ての傘は“保護対象”でないため、様々な自己正当化のもとで容赦なく盗まれていきます。

財布は“守護範囲”に入るので、警察に届けて持ち主へ帰らせるべきとされる一方で、傘は“守護範囲”に入らないので、持ち主の事を考慮などせず盗んでもいいと思われているのが現実です。

これを人間に置き換えるとこうなります。身体障害者は“守護範囲”に入るので配慮のもと社会に組み込むべきとされる一方で、発達障害者は“守護範囲”の外にあるので拒否や排除は許される…という、差別や選り好みにしか見えない字面です。

日本各地で横行する傘泥棒が突きつけた真実とは、人は“保護対象”や“守護範囲”に含まれない層や物事へはどこまでも酷薄で無慈悲になれるということです。なお、傘泥棒は当然ながら窃盗罪に該当しますが、証拠の残りにくさなどから検挙はほぼ不可能だそうです。

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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