「リカバリハウスいちご」の渡邊洋次郎さんを取材しました

依存症

大阪府大阪市の依存症回復支援施設「リカバリハウスいちご」に支援員として勤める渡邊洋次郎さん。彼もまた薬物やアルコールの依存症と診断され、精神病院への入院や刑務所への服役を経て、同じ依存症の人を支援する施設で働くようになりました。

そんな渡邊さんにインタビューする機会が得られました。安全基地のない幼少期から流れるように非行へ走った思春期など、転落と生き直しの半生が語られます。

生きにくさを誤魔化すツール

──この業界(生活支援員)に入ったきっかけを含め、生い立ちを聞かせてください。

「アルコール依存症の診断を受けたのは20歳の頃で、同じ時期に薬物とか非行とか自傷行為もありましたが、これらが医療で扱われているとは知りませんでした。依存症は医療だけでなく司法分野も入ってくるややこしいものですが、共通するのは『生きにくさ』の表れでしょう。根底にある『生きにくさ』、他人を信用できなかったり安心する場所が無かったり自己肯定感がなかったり、それらを埋め合わせるものがアンチソーシャル的なものだったという」

──気になったのは少年時代です。非行に走っていた時どのような気持ちだったのでしょうか。

「自殺スレスレまで自傷行為をした時に、『言いたいことがあるなら言葉で言えばいいのに』と病院にまで言われたことがあります。しかし本音を言って誰が受け入れてくれるでしょう。特に精神病院では本音を言おうものなら隔離病棟へ移すではありませんか。確かに暴言を吐いたり感情的になったりはしましたが、自分の意見を表明すること自体に失望もしておりました。昔、母でさえ仕事で忙しい所に寂しさを伝えると幼心に分かる程困惑されたものです。黙っていれば、何も伝わりはしませんが波風立たせることもなくなると学習したわけですね。『自分のような矮小な人間が声を上げて、周りの手を止めるなどおこがましい』とさえ考えており、生まれたモヤモヤを非行で処理して無かったことにしていました」
「小学生の頃は虫を食べて引かれる程度でしたが、中学に上がるとシンナーや万引きなどを覚えていったわけです。両者は傍から見れば違うでしょうが、自分にとってはモヤモヤの誤魔化しに使うツールが年齢によって変わっただけに過ぎませんでした。見て見ぬふりをしようとしたものは幼少期も思春期も同じです」

生きるのが下手な一家

──親の愛情など「環境がよければ」と思うことはありますか。また、自分の特性などの分析などはありますか。

「後になって思うのは、『愛着』が母子関係だけでなく人間関係全般から形成されることです。自分が必要とされていないという思いがありましたね」

──その自分が大事でないという思いはいつ形成されたのでしょう。

「人と向き合うとき、能力や知性どころか存在自体の無価値さを自分に感じることがずっとありました。父に正座させられたうえ2時間も説教され続けた時、母が『絶対聞いてないと思う。聞いてたら復唱できる筈。』と横入りして拗れたことがあります。小さい頃から、家族の中でさえ自分を曝け出しても受け入れられる土壌がありませんでした。家族自体がピリピリしていて、父もアルコール依存症かつ機嫌の読めない体質なので、自分が自分でいられる安全基地など無かった訳です」

──お父様が酒に逃げて依存症になっていった背景は何でしょう。

「父は元々運送業で、運び先の若い職員によく叱責されていました。それで家では酒を飲みながら愚痴っていた訳です。外では強く出られない内弁慶体質で生きるのが下手だったのでしょう」

──お母様や過去のことを水に流したのは凄いと思いますが、それでも許せなかったことはありますか。

「その時欲しかったものや感情はその時に貰えませんでしたが、後に違った形で貰っている筈。それを他人の中に求めていましたが、人は誰もが不完全なまま生きていくという思いはあります。言いたい過去は山ほどありますが、それを言ったところで今の自分を生きる以外ないですし、自分の面倒を見るのは自分だけです。環境やきっかけ、振り返る過去が何であれ形成された今の自分をどう扱うかですよね」
「自分にも妹をいじめていた時期がありました。殴るだけでなく泥棒までさせて、失敗すればまた殴る。理由は自分でも分かりませんが妹を支配しようとしていたのは確かです。20歳ごろの時、自傷行為に使う包丁を持って『死んでやる』と泣き叫んだ時に、妹が『そんなに死にたいなら殺してやる』と包丁を奪って刺そうとしたことがあります。同時に警官が入ってきたので事なきを得ましたが、それから自分は精神病院へ入院し10年ばかり絶縁状態となりました。母から聞いたところ、『刺そうとした時、兄の顔が見るに堪えなかった。人として落ちぶれていく顔だった。』という気持ちだったようです」
「出所後は徐々に母とも妹とも再会し、昔のことで謝罪しました。妹は『そんなことあったかしら』という建前でしたが、身体の古傷が覚えている筈です。妹もまた自分を受け容れながら生きていたのでしょう。今でも姉含めて会うことはありますが、血縁以外で『家族』と呼べる繫がりではないように感じています。それぞれが『個人』として生き、家族としての役割は捨てました」

──それぞれにとっての幸せを追求するのが今の生き方なんですね。

「そうですね。妹に謝罪したり親と関わったりするのは、申し訳なさ以上に自分の『渡邊洋次郎』としての人生を固めるために必要なプロセスでした。親は特別というよりも、人生の中で出会った人々の一部として、自分の中でどう整理していくかですね」
「年齢が亡き父に追いつこうとしていて思うのは、生きるのが下手で酒に逃げていた父にも本人なりの責任や重圧があったことです。墓参りという形にはなりましたが、父とも和解したつもりです。『生きるのは下手だがそれでも生きている』『人間嫌いをやめ、他人を受け容れられるようになる』と墓前で誓いました。このような墓参りとなったのは、一方的な申し訳なさだけでなく、自分らしく生きるために必要だったためでもあります」

再出発できる職場

──同じ苦しみを持つ人に寄り添う仕事をされていますが、そこで感じていることについてお願いします。

「自分のような同じ依存症患者が支援施設で働くと『当事者スタッフ』と呼ばれますが、仮にガソリンスタンドなどで働いていれば『当事者スタッフ』などとは呼ばれません。元依存症だから採用されたというような切り取り方をされるのは心外ですね。出所して依存症の治療を続ける『生き直し』の中でたまたま今の職場を選んだというだけです。別の働き口に魅力を感じればそれを選びますし、世界中を旅したいと願えばその準備をします。どうして支援施設だけが特別でありましょうか」
「ただ、精神病院や刑務所に入った過去を隠さなくていい場所ではあります。一般企業でそのような過去を明かせば同僚にいい顔はされませんよね。その点では依存症に関わる職場が向いているかもしれません。履歴書を書けば職歴に大きな空白の出来る自分のような人間が、45歳相応の振る舞いや経験値を求められても無理です。たとえ中学からドロップアウトしようとも、現時点の自分からスタートできる環境が今の職場にはあるのだと思います」

偏見や自己責任を越えるために

──他に発信したいこと、伝えたいことはございますか。

「(精神病や前科持ちなど)一般の理解を得にくくなった人は結構います。大学の講演に呼ばれたときも『経歴だけで怖い人だと思っていた』という学生のほうが多いです。それでも話が進めばレッテルに囚われなくなり、講演の終わりには『渡邊さんって承認欲求が強かったんですね』と言われます。中には『強い承認欲求は僕らにもあります。』という学生もいました。満たし方の社会的是非によらず、根底にある承認欲求そのものは皆同じという知見を得たことで、身近な我が事として考えられるようになったというのです」
「よく『一生精神病院なり刑務所なり入っていればいいのに』と放言する者はおりますが、その人をどこまで分かっているのでしょうか。社会に出て働く元依存症患者のことを理解しているのでしょうか。自分も依存症の看板を常にぶら下げている訳ではないので、街を歩けば何の変哲もない男です。逆に言えば、雑踏の中に精神病・依存症・前科持ちがいても看板が無いので気付きません。ただ言葉のイメージだけで判断しているに過ぎないので、実際に本人と接して話を聞く機会は持つべきですね」
「依存症は確かに病気なので医療でも扱われる分野ではあります。加齢でアルコール依存症になる例もあるので一概には言えませんが、自分が体感した自傷行為・アルコール・薬物依存の限りでは“社会の問題”がどこかで関わっています。非行にしろ自傷行為にしろ、環境のしんどさや学校構造の生きにくさに原因があるのではないでしょうか」

──社会より個人に責任を求める風潮がありますよね。

「もう一つ思うのは、勝ち負けや強弱や賢愚の境界が社会に染みついていることです。その境界をクリアした者しか受け入れられない環境や人間関係があります。例えば、今の自分に役職がつけば様々な人と関わり合えますが、反対に仕事を失えば単なる不審者でしかありませんよね。小学校や中学校にしても、絶対である学校に適応できるかが全てで、適応できず非行や不登校になろうものなら本人だけの責任となり学校構造が責められることはありません。こうした生きにくい仕組みから溢れた人々が、非行や自傷行為を拠り所とするわけです。勉強などで必死にカバーしなくても受容される環境とはとても言えず、協会の向こう側を越えなければ居場所はありません」
「生きやすい環境を作るならば、社会の仕組みそのものが変化せねばなりません。一人だけ幸せなど論外です。仮にこの『渡邊洋次郎』一人だけ依存症も自傷行為も無くなったとて、社会がそのままでは歪みでしかないです。どこまでも自己責任の世界で仕組みに苦しめられた人のため、仕組みから変えて皆が生きやすくなれば自分も生きやすくなります。それを皆で考える機会が欲しいですね。窮屈にする側はその場限りでは楽でしょうが、誰にも弱点がある以上一歩間違えれば締め付けられる側に回るかもしれません。当事者や支援者だけでなく、外部のあらゆる方面からも参加して考えていくのが大事だと思います」
「かくいう自分も、中学で非行に走っていた頃は学校に対して偏見を持ち、ワルでない子を見下していました。しかし就職して我慢を覚えると同時に、彼らなりの我慢へ気付けるようにもなりました。何も知らないくせに偏見だけで決めつけていたのは自分も同じです。だからこそ、昔ワルではなかった人を含め様々な過去を持つ人々と出会っていきたいです。自分に出会って欲しいのと同様に、自分も出会っていきたい、世界に向けて自分を開いていきたいと思っています」

障害者ドットコムニュース編集部

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