双極性障害の高校生

双極性障害(躁うつ病)

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私が正確に双極性障害だと診断されたのは19歳になった頃でした。しかし思い返してみると、高校生の頃から気分が異常に高揚することがありました。親や友人からおかしいと言われることが多かったですが、私自身はあまり気にしていませんでした。そのような中で双極性障害をと共に過ごした高校生活を紹介したいと思います。

初めは鬱からでした

私は高校に入学してラグビー部に入部しました。練習はきつく、顧問も厳しく、殴られることもありましたが何とか続いていました。しかし約1年後部員不足になり、ラグビー部は解散してしまいました。私はラグビーにそこまで熱中していたわけではありませんが、部がなくなってからとても強い虚無感に襲われ、無気力になってしまいました。それから遅刻や学校を休むことが多くなりました。気分が下がった状態は1ヶ月くらい続きました。つらい時期でした。

鬱から躁へ

しかし1ヶ月たつと、私の気分はよくなってきました。体調もよくなったので何かしたくなり、格闘技をすることにしました。格闘技は痛い事やつらいことも多いですが、自分が強くなっていくことが実感でき、私は熱中しました。それと同時に気分も高揚していきました。私は片道20Km以上ある家から高校までの道のりを、走るようになりました。さらに砂袋をリュックに入れて走るようになりました。朝は4時頃に起床し、筋力トレーニングを行い、学校まで走りました。そして授業を受け、放課後道場にいき、9時ごろ帰宅し、次の日の予習を行い12時に眠るという日々が続きました。さらに生徒会長に立候補し、当選し、保護者説明会や海外の修学旅行生の対応など学校運営にも積極的に取り組みました。その頃の私は、毎日が楽しくて仕方がありませんでした。誰とでも話し、野に咲く花にも話しかけ、眠る前は毎日遠足の前の夜の様にわくわくしていました。修学旅行は、ノロウイルスに感染し、高熱、嘔吐と下痢が襲いましたが、躁のおかげか全く気にならず楽しく過ごす事ができました。また、学校をずる休みして一人で全国各地に旅行に行きました。野宿したり、ネットカフェに泊まったりして宿賃を安く抑えました。一方で周囲の人の話を聞かなくなりました。また、イライラすることも多くなりました。些細なことで怒りだしたり、友達と喧嘩することもありました。自分のやりたいことのために学校を休むこともあり、先生から怒られることが多かったですが、逆切れしていました。しかし恵まれていたのか、私の周囲の人は今まで通り仲良く接してくれました。このような日々が2年続きました。

受験について

私はAO入試という方法で大学を受験しました。この入試は、学力を全く見ずに、面接や小論文等で合否を決めます。そして受験は10月くらいで、一般の大学受験のシーズンとかぶりません。私の受験した大学では、60分の講義を受講し、その講義についてテーマを決めて小論文を書きました。また、新聞のきれはしを渡され、その記事について10分間話すという面接がありました。これだけで合格するか決まります。AO入試は私の受験した大学だけでなく、全国の各私立大学で行われています。倍率は正直高いです。私の受験した時は9倍でした。運の要素が強いです。正直一般入試の方が倍率は低いです。しかし鬱症状のために受験勉強できなかった場合、少しでも合格できる可能性がある以上、受験する価値はあります。これからさらに受験の種類が増えるので、障害の特性上、受験勉強が難しい人でも大学で学べる機会が増えると思います。だめでもともとでAO入試を受験してみましょう。

高校時代は躁状態が多かったのですが私にとってとても楽しい日々でした。私は鬱状態でも出来る限り学校に行くようにしていました。鬱状態で学校にいかに通うかが重要になると思います。無理をしてはいけません。しかし特にやりたいことがない場合は、高校だけでも卒業しておく方がいいと思います。授業中寝てしまっても、保健室登校でもよいのです。今通っている高校をやめて、通信制高校に通ってもいいのです。とりあえず高校は卒業しておきましょう。仕事を探すときに自分を助けてくれます。

ヒロシ

ヒロシ

双極性障害の20代男性です。大学1年生の時に母の死をきっかけに発病しました。何とか単位を取得し、4年半で卒業後、教員免許を取得するためさらに3年間大学に残りました。趣味は読書とスポーツ観戦です。カラオケでよく歌う曲はクレイジーキャッツの「悲しきわがこころ」です。

双極性障害(躁うつ病)

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