双極性障害の大切な人の死別と心療内科の初受診

双極性障害(躁うつ病)

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母の死は私に非常に強い影響をもたらしました。母の死が私のメンタルの不調の引き金となったのですが、私は初め精神疾患だと考えていませんでした。食欲の減退や嘔吐といった症状なので内科に診てもらっていました。しかし症状は一向によくならなかったので心療内科を受診しました。心療内科での受診は私にとって初めてのことばかりでした。この経験を紹介したいと思います。

母の死

私は高校の卒業式の日に、急に病院に呼び出され、母が余命三ヶ月だということを知らされました。私は実家で母と二人暮らしだったのでとても強いショックを受けました。毎日自転車で30分かけて母のいる病院に通っていました。あと3ヶ月でこの世から母が存在しなくなることに恐怖を感じていました。昔から一人で時間を過ごす事ができない人間でした。できる限り一人でいる時間を少なくするために、大学を休むこともなく通いました。また、アルバイトをはじめました。半年後、母は亡くなりました。今までのように母の病院に行かなくていいようになりました。夜は一人で過ごす事になりました。寂しさを紛らわせるために、お酒を飲みながら深夜に歩き回るようになりました。ある日の夜、大きな国道の横断歩道で足が自然に止まりました。歩行者用の信号は赤です。しかし足が勝手に進みます。遠くの方の車のライトが私を照らしています。クラクションを鳴らされましたが私に鳴らしていることに気づきません。車のランプが近づいてきて目の前がだんだん白い光で満たされてきます。そして車はすごい勢いで私を避けて走り去っていきました。初めての自殺未遂でした。私はショックを受けました。「さみしいからこんなことをしようとするんや」と思い、今まで以上に大学の勉強、サークル活動やアルバイトに打ち込むようになりました。

初めての心療内科

そうしている間に季節は夏になりました。そしてある日、熱中症で倒れ、救急車で運ばれました。そこからご飯が食べられなくなり、嘔吐や身体にだるさを感じるようになりました。初めは内科に行きました。胃カメラ等、様々な検査をしましたが身体に異常はありませんでした。医師から処方された様々な胃腸系の薬を飲みましたが、全く改善しませんでした。私はメンタルに問題があるのではないかと思い、心療内科を受診しました。当時の私は精神科という言葉に怖いイメージを持っており、比較的敷居が低いイメージがある心療内科を探しました。今思えば大きな差異は無いと思います。そうして初診を受けました。はじめは心理検査をしました。紙を渡され木の絵を描いてくださいと言われました。次に簡単な計算をしたり、ロールシャッハテストを行いました。結果については何も教えてくれませんでした。次に診察を受けました。主治医の印象は穏やかで優しい感じでした。私は初めに「神に見離された気がする」と言いました。すると主治医はいきなり真顔になって「神が見えるんですか?」と聞いてきました。その時私はしまったと思い、たとえ話であることを一所懸命に説明しました。そうすると主治医の顔はまた穏やかな顔に戻りました。結局鬱の診断を受けました。カウンセリングと薬の服用が始まりました。しかしカウンセリングは私に向いていませんでした。私はあまり自分のことを話さないので、カウンセリング中も黙っていることが多く、カウンセラーさんもどうしたらいいかわからず困っている様子でした。カウンセリングの料金が高かったのもあって、カウンセリングはすぐに辞めました。今もこの病院でお世話になっています。

母の死は親離れできてない私にとってとても強い悲しみでした。この苦しみが一生続くのかと思っていましたが、時間が経つにつれて悲しみが薄れていきました。少し冷たい感じがしますが、人間が生きていくのには必要なことだと私は思います。また、初診の際は医者との相性があるので、合わないと感じたら病院を変えることが必要になってくると思います。しかし必ず自分に合った医者がいます。生きることだけはあきらめないでください。

ヒロシ

ヒロシ

双極性障害の20代男性です。大学1年生の時に母の死をきっかけに発病しました。何とか単位を取得し、4年半で卒業後、教員免許を取得するためさらに3年間大学に残りました。趣味は読書とスポーツ観戦です。カラオケでよく歌う曲はクレイジーキャッツの「悲しきわがこころ」です。

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