発達障がい〜神からの贈り物〜

column3月号 貴重な鬱の時間(『発達障がい~神からの贈り物~』第100回)

発達障害

画像:Photo by Marishka Tsiklauri on Unsplash


『発達障がい ~神からの贈り物~』 第100回 <毎月10日連載>

今回で100回目のコラムですね。ご愛読者のみなさまに改めて感謝申し上げ、次は200回を目標に進んでいく所存です。引き続きご愛読いただけますようお願い申し上げます。

さて、今回は鬱の時期の私の経験を少し綴ってみます。

30代のほぼ全てを鬱で過ごした私ですが、振り返ってみると貴重な時間だったと思います。この期間に放送ディレクターや映像や音響のエンジニア、スタジオミュージシャンなどなど本当に派手なキャリアを積ませていただいた。(何れもやり過ぎて身体を壊したり、スキルアップの速度が速いことで妬まれて人間関係を壊したりで期間は短かったですが。)

しかし、私にとって貴重だったのは派手なキャリアが積めたからではありません。鬱で引き篭もり的な生活をしたり、不眠症から昼夜逆転の生活を送る中で膨大な空虚な時間に苛まれ、その時間の重さから逃げるためにずっと本を読み続けた、この経験こそが私にとってかけがえのない貴重な時間だったと考えています。

休みの日は古本屋で買い物かごいっぱいの本を仕入れて家で読破してゆく、気がつくと書庫の中で生活を送るような毎日。仕事に少しでも関係しそうな書籍やライフハック系のもの、哲学や宗教を解説するもの、その他自身に必要と思えるものは片っ端から開いていきました。私の部屋には数千冊の本が何本もの柱のように積み重ねられました。

現在の私は知識は悪だと説明する機会が多いが、それは上記のように膨大な知識を頭に詰め込んだ後にその価値を自身で確かめて不必要な知識を捨てることができた結果であって、知識を得ること自体は否定していない。だが、このような経験を社会生活を送りながら得られるだろうか?私は鬱で社会生活に制限がかけられ、だからこそ知識の拾得と取捨選択ができたのだと考えています。

鬱の後期は知識の習得に加え、得た知識を徹底的に頭の中で整理していった。だんだんと自分が苦しんでいた理由が見えてくるようなそんな気がしてきた。鬱は深く悩み続ける人が多いと思うが、私自身も深く深く自身の苦しみに悩み続けだんだんと出口が見えだした

結果的に出口にいくまで悩み続けさせてもらったというのが私の認識です。一般的に鬱患者に深く悩まないようにアドバイスすることが多いようだが、私は上記の経験から悩むこと自体はとてもよい経験だと思うと伝えています。更に鬱自体が自身の存在意義を感じたり人間形成にとても良い時間になり得るとも述べています。これらは私自身の経験から得たもの、決して気休めのような言葉ではありません。

本当に長い期間を暗闇で暮らすことにはなったが、だからこそ微かな光でもありがたく感じるようになった、鬱の経験があったからこそです。

次回も私の鬱の経験を素にお話ししていくつもりです。次回は101回目、お楽しみにいただけると幸いです。


公式ブログ https://ameblo.jp/suzie-net

Kei(ケイ)スズキ

Kei(ケイ)スズキ

★個人学習塾えるすた講師
★いずみハッタツ友の会代表、高知大学農学部卒
★過去職歴:放送ディレクター、スタジオ・ミュージシャン、カメラマン、道化師、学習塾経営、Webプログラマーなど
★10年の鬱の後に発達障害の診断を受ける。現在はピアカウンセリングサポートにも積極的に関わる。自称『人生を楽しむパイオニア』
公式ブログ https://ameblo.jp/suzie-net

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