私と障がいとの付き合い(後編)うつ病になることで~得られた人としての幅

うつ病

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◀過去の記事:私と障がいとの付き合い(前編)うつ病になるまでの経緯~もがき続けていた頃

ファストフードチェーンで12年働いましたが、病気になり退職してしまいました。その後は障がい者支援で3年ほど働いている中で、色々な精神疾患にかかってしまいました。これは、支援する側から、支援を受ける側になった私の体験談です。

メンタルコーチとの出会い

A型事業所を辞めた後は障がい者枠での求人を探していましたが、暫定支給の僅か一ヶ月間で辞めてしまった自分に一体何が出来るのかが解らなくなり迷っていました。

一回落ち着いて、今後の自分の将来と向き合おうと思い、色々な就労移行支援事業所を探し始めました。何ヵ所か見学をして一番自分に合った事業所を選びました。それが今通所している事業所です。そこで出会ったメンタルコーチの方の講座で私の考え方が私を追い込んでいることに気付いたのです。

今まで私は、周囲の人の価値観や評価を気にして生きていたのです。もちろん会社組織にいたのですから当然なのですが、私自身が変える事が出来ない人の考え方まで気にしてしまっていました。

サービス業ではこうあるべきだと思い込み、障がい者支援ではこうあるべきだ思い込む、私の中での理想を追い続ける事で上司や同僚の考えに勝手に不満を持ち、勝手にストレスをためてしまっていた自分に気付いたのです。そして、どう考えれば自分が楽に生きていけるのかを少しずつ実践していくことにしました。

自分を認めてあげる事

病気になった自分は何もできない人間だと思ってしまっていましたが、自分の過去と向き合うことで、意外と経験が豊富だなと気づきました。アルバイトながらマネジメント経験もあり、人材育成の経験もあります。支援員として障がい者の方と向き合う事を大切にしてきた経験と、自分自身も障がい者である等、一人の人間としての経験はとても大切な事だと気付いたのです。

私にとって障がい者であることは決してマイナスだけではありません。支援者と利用者の両方を経験したことが私の人としての幅をより広いものとしてくれました。

人生は常に勉強

学生時代から勉強は苦手で成績もよくなかった私ですが、アルバイト等を通じて社会に出ての勉強は苦になることはありませんでした。それと同じ様にうつ病や精神障がいも、自身の経験値を上げる勉強になっていると感じていく事ができるようになりました。そして、自身と向き合い、過去の経験を元にプレゼンテーションを同じ利用者の方の前で行うことで、更に自己理解を深める事ができるようになり、今の事業所で様々なチャレンジを行うことが出来るようになったのです。

考え方の変化 完璧主義からの脱却

人からどう思われているかの評価や、違う価値観を求められる事でしんどくなってしまっていましたが、人の評価や価値観は私が変えられる物ではないので気にせずに自分自身がどうしたいか?どう考えていくのか?を大切にして日々を生活していくことにしました。こうすることで、私自身のことで精いっぱいになり、あまり周りのことが気にならなくなります。

こうすれば出来ると思っていても、それはあくまで私の正解であって他の人は違う答えを出すこともあります。また、ゴールと思っている所も人それぞれ違いがあるので、自分では完璧だと思っていても、他の人は全然出来ていないと言うこともあります。そう考えると完璧を求めても仕方が無いと感じ、自分のことでは自分が納得することが出来れば良いと感じられるようになりました。

現在、就労移行支援事業所に通所しながら長期就労を目指しています。今では、私自身が変化をすることでストレスを感じる事が少なくなり、今後、社会復帰を目指す中で一つ自信を持つ事が出来るようになりました。。また、物事の捉え方を変える事で、自分自身に余分にかけていたストレスを上手くコントロールしながら生活をおくっていくことが出来ています。

木場 新太

木場 新太

25歳の時に適応障害を発症。その後33歳の頃に不安障害やうつ病になり、障がい者手帳を取得して現在は就労移行支援事業所に通いながら、長期就労とメンタルコーチになることを目指して日々奮闘中です。

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