「おにぎり食べたい」中年男性の餓死が無視されなかった理由

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Photo by O'Connor Spencer on Unsplash

北九州市生活保護者餓死事件、いわゆる「おにぎり食べたい」事件は全国に大きなインパクトを与えました。飽食と言われた日本で餓死者が出たことや「おにぎり食べたい」と書き残されたメモが、一人の中年男性の死を今なお語り継がれる全国規模のニュースにまで押し上げたわけです。その後、日本国内では生活保護がどうあるべきか考える機運が高まったり高まらなかったりしましたが、今回語るのはそこではありません。

今にして思えば、生活に困窮していた中年男性の死によって世論が動くのは非常に珍しいことだったと思います。高橋まつりさんや木村花さんの死では、それぞれブラック労働やネット誹謗中傷について国ぐるみで考え直されたのですが、「若い女性の死でもないとまともに動けないのか!」といった不満の声もそれなりにありました。そこから考えると、「おにぎり食べたい」の中年男性に世論が震わされたのは異例中の異例といえます。

非業の死を遂げたとされる人を象徴として、斜に構えた言い方をすれば主張を補強する道具として利用するのはある意味合理的なことです。死者は養う義理も無ければ恩を返す必要もなく、とても都合の良い人材ですらあります。ですが「おにぎり食べたい」の男性にはもう一つ大きな特徴として、遺族が出てこない点がプラスで挙げられます。

政治批判に限らず何かしら強い主張をするときに「おにぎり食べたい」の男性を引き合いに出す。或いは、自己責任論を壊されたくないあまり真偽不明の噂を生やして撹乱する。これらに対し遺族の口から咎める言葉は出てきません。死んだ本人は何も言いませんが、本来は遺族の口が残っています。それがないという点もまた「おにぎり食べたい」の特異なところです。

背景のある死者は安全かつ低コストな「象徴」でもありますが、その分主張も薄くなる気がします。私もジョー・アレディなどを取り上げたことがあるので他人のことを言えた義理でもないですが、物言わぬ死者頼みで言説を組み立てる際の「薄さ」は覚悟しておかねばなりません。

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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