うつ病の人との接し方〜実体験をもとに振返る

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出典:Photo by Ryan Jacobson on Unsplash

8年前、私はうつ病になりました。あの頃は真っ暗闇のさらにどん底にいるような感覚で、何も見えず、何も響かずといった状態でした。ですが、家族や友人、支援者の方々がいたので昔ほどとまではいかないかもしれませんが、心身ともに良い状態に回復することができました。そこで、他のうつ病の方がいるご家族、ご友人、支援者様方の力になればと思い、私の実体験と、それをもとにしたうつ病の人との接し方を一例として紹介していこうと思います。

うつ病になったきっかけ

私は大学時代に適応障害になりました。原因は、卒業研究のために配属された研究室の教授と折り合いがつかず、精神的に疲弊してしまったためでした。

ある日の朝、いつもどおりに身自宅を整え、若干のゆううつ感と共に靴を履き、玄関から出発しようとしました。ところが、立ち上がろうとしたのに身体が、足がどうしても動かないのです。初めての体験だったのでとても驚き、慌てました。

勢いをつけようとしても、意識的に筋肉を動かそうとしても、どうやっても力が入りきりませんでした。例えるなら、エンジンをかけようとしても途中でぷすんと音を立てて切れてしまうような感覚でしょうか。あまりにも動けないので、金縛りなのかとも思いました。

「早く行かないとまた怒られる」、「卒業できなくなる」等とネガティブ思考がぐるぐると頭の中を駆け巡る度に身体が重たくなっていき、結局その日は欠席することになりました。

その後、部屋に戻ることはできたのですが、好きな事すらやる気になれず、布団の中で襲い来る不安や駆け巡る思考と独りで格闘していました。

そして、その日から大学に行かなくなりました。1日中「周りに迷惑をかけずに死にたい」と思いながら布団の中で過ごしていました。

心配した両親に半ば引きずられるように心療内科に連れて行かれ、そこで適応障害という診断をしてもらいました。本当ならばこの時点でうつ病と診断されても問題なかったのですが、今後就職するときに企業側に懸念されないようにと、先生側からの配慮で適応障害という事にしていただきました。

その後、診断書をもらい大学を休学し約半年間療養をすることになりました。

独りではない

休学したからと言って、急に体調がよくなるわけではありません。

朝は目覚めることが辛く、起きると自分の現状を直視することになります。「休学するほどだったのか」、「学費が増えて両親に迷惑がかかるぞ」、「弱い自分のせいだ」と、ネガティブ思考がぐるぐる始まります。夜は今日1日何もできなかったと自責の念に駆られ、さらにネガティブになっていきます。

家族の助けを得ながらなんとか行った病院でも、なにも思い浮かばず、一言も先生と会話することもできず、代わりに母親に療養中の生活面のことを話してもらっていました。酷い時だと、身体がうごかないので自分は行かずに母親に行ってもらい、薬だけもらってくるという事態もありました。改めて振り返ると、よくもあの真っ暗な状況から立ち直ってこられたなと思います。

ですが、これは決して自分自身だけの力ではなかったのは言うまでもありません。家族、友人、先生や、支援者の助けがあったからここまでこられたのです。

うつ病の人との接し方

そこで私が実際に家族や友人からしてもらって、気持ちが軽くなったことや安心したこと。そして、良かれと思ってしてくれているのだけど、ネガティブにとらえて不安になってしまったこと

この二つの視点から下記にいくつか紹介していきます。もし家族や友人に同じような境遇の方がいれば接し方の一例として、このような方法があるのだなと知っていただけますと幸いです。

気持ちが軽くなったこと、安心したこと

・そっとしておいてくれた

・毎朝挨拶してくれた

・手を握ってくれた

・すぐに症状がよくならなくても、焦らせるようなことをいわなかった

・考えさせるようなことを言わなかった

基本的には付かず離れず見守ってくれていたのがありがたかったです。一度、現状やこれからの事などを考え始めると、どうしても悪い方向へと向かってしまい気分が落ち込んだり焦ってしまったりするので、考えさせるようなことを言わないでおいてくれたことも助かりました。

毎朝、かならず両親が布団にうずくまっている私に「おはよう」と声をかけてくれたことや、たまに手を握ってくれていたことは、人の存在感を感じやすくてとても安心することができていたので個人的にお勧めしたいことです。

不安になってしまったこと

・何があったのか聞き出そうとしてきたこと

・励ましてくれたこと

・些細なことを出来た事として褒めてくれたこと

うつ病になって間もない頃、両親は「大学で何があったのか」や「通院行ってきてどうだったのか」など、心配して色々なことを聞こうとしてくれました。

私は元々自分のことをあまり人に話すタイプではなく、加えてうつ病で目の前が真っ暗なのに「話す」ということが苦痛でした。

「頑張って」ではなくても「大丈夫」「きっとよくなる」などの励ましも捻くれてとらえてしまい、「今は頑張っていない」とか「私は良くない状態で大丈夫じゃないのか」とか、ネガティブ思考の材料になっていました。

おわりに

自分の経験が他に困っている人の助けになればと思い、安心できた事、不安になった事を振り返ってみました。

うつ病となり布団にくるまっていた私が、いま症状もよくなり、就労移行支援事業所に通い就職のことまで考えられるように前向きになったのは周りの人達が根気よく関わってくれていたからだということを改めて感じました。

うつ病と一言でまとめても症状やトリガー、タイプは十人十色です。この記事はほんの一例でしかないですが、少しでもお役に立てることができれば幸いです。

六穀

六穀

大学の研究室で適応障害になりました。その後卒業、就職できたのですが、うつ病になり仕事を転々としていました。現在は就労移行支援事業所に通い、長く働けるように自身の障害特性や自己理解を深めながら就職を目指しています。趣味はゲーム、筋トレ。座右の銘は「好きなように生きて、好きなように死ぬ」。

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