柔道、剣道、ドッジボール…格闘技の授業における教師と生徒の責任とは

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Photo by Anna Saveleva on Unsplash

格闘技と言われると大体の人にとって遠い存在に感じるかもしれませんが、人生の中でほぼ確実に何度か触れている筈です。武道でも代表的な柔道と剣道、そしてボールを使った格闘技とも言われるドッジボール、これらは義務教育の段階で触れることになっています。(本稿で扱う格闘技は、原則これら3種目を指すこととします)

大人でもプロの格闘家が保険会社から敬遠(嫌厭?)されるほど危険と隣り合わせなのですから、無知な上に力加減も知らない子どもへ教えるとなると尚更大変なはずです。教える大人と教わる子ども、両方がしっかりしていないと大小様々な事故に繋がります。逆に言えば、事故や怪我が起こった時は、どちらか或いは両方に問題がある訳です。

受け身をマスターしないと重篤な事故に

まず柔道と指導中の事故は切っても切れない関係です。授業で後遺症が出るほどの事故は1998年~2009年の間で9件だけですが、部活動だと勝つことが目的となるあまり安全面が軽視され、同じ期間での事故数は50件と跳ね上がります。中には死亡事故もありますし、件数は部活動の中でもワースト1です。

柔道の指導中に起こる事故の原因は頭部や頚部の怪我、すなわち受け身が取れなかったことです。ゆえに、時間をかけて受け身の取り方を身体へ染み込ませねばなりません。唯一の安全器具となる受け身をマスターした上で、受け身の取りやすい技から徐々に、技一つでも段階的に教えていき安全面に多大な配慮をします。

学校での柔道は3年かけた長期的な指導計画を組みます。特に最初の1年は受け身と礼儀作法に集中していてもいいぐらいです。他にも、力量差のある生徒同士が当たらないよう気を配ったり、日常で技を濫用しないよう指導を徹底したり、指導者は幅広く多くの物事を見なくてはいけません。体調も殊更に大事なファクターで、取れる受け身も取れなくなるなら休ませるのが賢明です。不調の生徒を甘えだ仮病だといって無理矢理練習させるのは、柔道を教える人間として極めて“態度が悪い”と言わざるを得ません。

面金の意味を考え直そう

剣道で一番きつい練習が「面打ち」です。敢えて乱暴な言い方をすれば、面打ちは互いに竹刀で頭を叩き合う修羅場に過ぎず、面越しでも非常に痛くて後にも頭痛や脳震盪が響きます。実体験として、帰宅後激しい頭痛に襲われてその日何も出来なかった事があります。勉強どころではなくなるので、頭部への配慮が欠けた剣道は他科目の教師にとっても迷惑千万と言っていいでしょう。

剣道に造詣の深い指導者は、頭痛や脳震盪で練習を中断せざるを得ない事態が起こらないよう気を遣うそうです。手ぬぐいの巻き方を含めた面具の準備だけでなく、攻撃側にも力加減の配慮を求めたり防御側に面金で受け止める姿勢を教えたりする必要があります。「痛いのは当たり前」で思考停止するのではなく、痛みでのたうち回れば練習効率も下がるのだと認識を改めましょう。

そもそも面具はヘルメットと違い頭頂部を守るものではないのですが、生徒どころか教師すらその認識に欠けているケースが往々にしてあります。面具の金属部分である「面金」が何のために存在するのか、そこから学習し直す必要があるでしょう。

頭頂部へのダメージを防ぐには、竹刀を面金で受け止める必要があります。特に背の低い生徒は頭頂部に直撃しやすいため、面金で竹刀を受けることから指導するのを怠ってはなりません。ただ、手ぬぐいを正しく巻き面金で受け止めてもなお頭部へのダメージが響く生徒もいます。より頭を守れる面クッションの持参を咎めないのも指導する側の“作法”と言えるでしょう。

ドッジボールはほとんど子ども側の問題だが…

ドッジボールは子ども達が休み時間によくやっているイメージが強い反面、競技シーンでは「格闘技」として例えられることもあるほどアグレッシブなスポーツです。つまり、遊びと競技の立場を都合よく使い分けるニクイ球技です。ドッジボールの本質は「避ける(Dodge)」ことなのですが、子ども達にとっては知ったことではありません。

本来、ドッジボールは顔面ないし頭部には当てても外野へ追い出せない「顔面セーフ」のルールがあり、競技シーンでは何の得にもなりません。しかし、勝ち負けよりも特定の誰かを痛めつけるのが目的ならばどうでしょう。極端に言えば、内野に留めたまま延々と顔面にボールをぶつけ続ける暴力を、“試合”の名のもとに正当化出来てしまいます。これが、遊びと競技を都合よく使い分けるということです。(しかし、わざと外野に当てるような話は聞かないのが不思議ですね。顔を狙うのも外野を狙うのも、ふざけているのは一緒の筈ですが)

学内ドッジボールにおける最大の病理は、クラスの人間関係が丸ごと持ち込まれることです。休み時間にわざわざ呼ばなくても、学校には強制参加のレクリエーションがあります。そこで低スクールカーストの児童を標的にボールを延々と投げ続け、見世物にしてしまうであろうことは想像に難くないでしょう。低カーストは大抵体育の成績が低く運動も苦手ですから、投げ返しても通用しませんし避け続けるのも限界があります。醜く避け続けるさまを見て笑うのもセットです。

「他人へ故意にボールをぶつけて楽しむ野蛮な球技に存在意義はあるのか」という疑問は、子どもから大人まで一定数が持っています。なんなら、体育嫌いやスポーツ嫌いを生む元凶としてドッジボールが名指しされるくらいです。さすがにスポーツ嫌いの原因をドッジボールひとつに求めるのは酷ですが、存在意義を疑問視されるのはそれぞれのクラスメートや担任の責任と言っていいでしょう。

問題の大半はプレーする児童の態度に因りますが、教師もあながち無関係とは言えません。これも実体験ですが、教師の方がふざけてボール2個でやるダブルドッジボールを提案したことがありました。お陰で顔面にクリーンヒットしてしまい、以来球技そのものがトラウマとなります。しかも学年が進むにつれてドッジボールは神格化され、「みんな参加すべき」「サボりは許さない」「嫌う奴は頭がおかしい」という意識が児童にも教師にも共有されていました。トラウマのケアも出来ない癖して、自分たちの常識と快楽には忠実な様には非常に迷惑しましたね。

痛みを軽減するためには柔らかいボールを採用するのが有効ですが、掴みにくいというだけで、学年が上がって体力がつくほど硬いボールになっていくのが実際の所です。或いは足元だけ狙うようにするのも良さそうですが、バウンドしやすいのを嫌う子はそんな配慮をしないでしょう。

私情もあってだいぶ長くなりましたが、こんな感じです。ドッジボール嫌いを作るのは取り組む児童たちに問題があるのですが、年端も行かぬ子らに解決できるはずもないので、結局のところ教師など大人の資質に左右されます。

サディスティックな欲望を満たす場ではない!

学校における格闘技の取り扱いですが、やはり「格闘技の授業はサディスティックな欲望を満たす場ではない」という前提を固く持っておかねばなりません。児童生徒の中には一定数、授業なのをいいことにストレス解消やいじめの延長として取り組む者はいるでしょう。

教わる側の態度は勿論大切ですが、それを律するのはやはり教える側の大人たちです。「危ないので廃止」論に辟易するのは分かりますが、柔剣道やドッジボールに限っては言われる方にも問題があります。その問題を上手にケアしながら競技の楽しさを教えられるのが理想ですね。そういう気配りが出来る人間なら体育教師などやっていないと思いますが。

参考サイト

柔道の授業の安全な実施に向けて(PDF)
https://www.mext.go.jp

剣道は叩かれると痛い?面を打たれて痛い原因と対処法を徹底解説!
https://kensaru.com

ドッジボール ケガの実態から考える
https://news.yahoo.co.jp

ドッジボールは暴力・イジメだと感じる“被害者側”の意見と私の実体験
https://note.com

必死に逃げ回る人間を的にするドッジボールは「人間狩猟ゲーム=弱肉強食思想」の教育だと断言できる理由
https://president.jp


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遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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