不寛容が溢れる社会の根源に迫る〜『リリアンの揺りかご』神戸金史監督インタビュー

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テレビやSNSでは伝えきれない事実や声なき心の声を発信し続ける本気のドキュメンタリー作品に出会える場として開催されてきた「TBSドキュメンタリー映画祭」。4回目の開催となるTBSドキュメンタリー映画祭2024で上映される作品の一つ『リリアンの揺りかご』の、神戸金史監督へのインタビュー記事です。この作品は、リリアン・ギッシュ主演の無声映画「イントレランス(不寛容)」に乗せながら、津久井やまゆり園事件(2016年)を起こした 植松聖死刑囚と、在日ヘイトデモなどに通底する「不寛容」を追っていった記録となっています。

最初は見ててウンザリだった


神戸金史監督

この映画を作り上げるきっかけについて教えてください
「かなり長い時間をかけて作ったことになります。相模原の事件(相模原障害者施設殺傷事件)が起きた2016年7月、その時はたまたま東京へ単身赴任していました。事件自体もショックでしたが、ネットで犯人の植松聖死刑囚に理解を示す言説もまた見ていてウンザリしていました。メディアにはアンプの役割があるため、犯人の供述などを伝えると憎悪を拡散してしまわないかという恐怖感もありました。生命の平等を訴えても、ネット上では冷笑に遭うだけです。事件の3日後、障害を持つ子の親として何を考えて来たか時系列にまとめると、社内外での反響が大きく、TBS『NEWS23』から『朗読をつけるので最後に解説をつけてくれないか』と言われました。これが全てのきっかけです。まさかプライベートで書いたことが仕事のプロジェクトにまでなるとは想像もしていませんでした」
「この文章には作曲がついてTBSラジオとの共同制作番組の計画も持ち上がり、その中で植松に面会する必要性も生まれました。最終的に事件の3年後に1時間のラジオドキュメンタリー番組『SCRATCH 差別と平成』を放送しました。さらに翌年これをテレビ化したのが『イントレランスの時代』(2020年)、そしてドキュメンタリー映画『リリアンの揺りかご』(2024年)へと至ります。ラジオの『SCRATCH』というタイトルは“地面に線を引く”という意味ですが、線を引いた向こう側の尊厳を認めない考え方は、植松死刑囚にしろ在日ヘイトにしろ、根底が共通ではないかとかねがね思っていました。80分映画として作り直す際、ヘイトスピーチだけでなく歴史修正主義も進んでいることも取り上げ、現代日本の『不寛容』をありのままに映していこうと考えました」

憎悪は歴史さえ改竄する

──過激なヘイトに熱狂的なファンさえもつく現象はなぜ発生するのでしょう
「簡単には断言できませんが、ネットの匿名性が大きいと思います。私に面と向かって、『障害者は社会の迷惑だ』と言う人は今まで一人もいませんが、匿名の世界であれば好きに言えてしまいます。植松死刑囚が事件を起こした時から、喜んだり嗤ったり嘲ったりする人々はそういう心理だったのでしょう。誹謗中傷していた人が、特定され民事訴訟によって謝罪するケースも相次いでいますが、その背景も同様といえるでしょう」
「障害者施設は人里離れた山奥に建てられることが多かったです。見たくないものや不都合な現実を避けようとする高度経済成長期の心理と合致していたのではないでしょうか。経済発展や福祉拡充とは裏腹に、障害者の姿が目に見えなくなっていきました。それに、(相模原の事件が起きた)「津久井やまゆり園」自体も、一つの秩序として成り立っていく中で変質していく訳ですね。創設当時の人たちが退いて、民営化も進んで低賃金となり、働く人についても光が当たらなくなっていきました。また、入所者の家族が年老いて来なくなるなどで、他人の目が入りにくくなりました。施設側も内情を明かすのには消極的で、長居されると困る様子でした。それで事件後、介護していない時間の方が多かったことが明らかとなりました。植松死刑囚自身も『とてもいい職場だった。何故なら、何もせず見ているだけでよかったから』と言っていました。そこで働く中で、こういう職場に金が下りるのは無駄ではないのか、障害者がいなくなれば社会の負担が減るのではないかと考え出したと言うのです。私は、外から見えにくい運営スタイルこそが植松死刑囚の思考を形成した土壌ではないかと思っています。全て施設のせいだと言っている訳ではありませんが、事件の大きな背景ではないでしょうか」
「付け加えると、2000年代から『自己責任』が流行り出しました。中流意識が薄れる中で分断と階層化が進み、他人への思いやりが欠如していきます。これも事件が起きた社会的な理由の一つではないかと思います」

──ある調査で、いわゆるネット右翼は40代、年収500万の中産階級が多いというデータがあったのですが
「統計的にはよく分かりませんが、経済格差で困窮した人が多いというような単純な話ではなかったのです。これは国民の幸福度の問題ではないでしょうか。経済的には不自由していなくても、職場での扱いや家庭での関係など、誰でも何かしらの不満を抱えています。どういう人がヘイト言説に傾倒するかは区切れないのではないでしょうか。フラストレーションを障害者などマイノリティに向けてぶつけるのは、差別の構造として非常に分かりやすいと思います」
「階層に関係なく拡がっているのは実に恐ろしい事です。歴史の流れを辿る中で、70年ごとに時代が大きく変わっていると感じることがあります。戦後80年が迫る今、生き証人がいない中で色々な解釈をして、後付けで架空の歴史を史実と勘違いし、改竄へと繋がっています。“関東大震災に伴う虐殺は無かった”などという荒唐無稽な言説は、90年代初めには存在しませんでしたが、目撃者が亡くなっていき、デマが生まれてきました。差別をする人も抗議する人も『どっちもどっち』という意見がありますが、これは非常に危険なことです。ファクトとデマを『多様な意見』として同レベルに扱えません。同様に、差別と反差別でも『多様な意見』として同等に扱われるかもしれません。今回の映画で大きく扱っているテーマでもあり、中立を装って毅然とものを申さない社会は、再び大虐殺を起こしてしまうかもしれません。植松死刑囚の事件が更なる大事件の引き金になりはしないか、そういう危機感も盛り込んでいます」

──ファクトとデマの違いすら分からなくなっていく感じですか
「そうなってしまったら、ジャーナリストや歴史学者には大きな責任があるでしょう。映画の中で私は『明らかなデマを信じる人達』と表現しています。ファクトとデマを平等に扱う事こそ、却ってメディアの職業倫理に反するのではないでしょうか。これは現在のメディアを担う世代に対する私の意見でもあります。下手に中立を装って欲しくはありません。『障害者だから殺されても仕方ない』などと思っている人がいるならば、それこそ差別として許してはなりません。ファクトとデマの中立報道があり得ないように、差別と反差別の中立報道もまたあり得ないのです。中立を装って『どっちもどっち』を振りかざす人間は増やしたくないです。」

植松との面会に「飽きた」


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──植松に面会してきた経験をすべて出し切れましたか
「個人的には、そもそも事件を直視したくなかったんです。1年経っても覚悟は決まっていませんでした。しかし、若い記者が植松へ面会したのを知って、自分も逃げてはいけないと思い、ようやく会いに行く決心がついたわけです。ところが、実際に会ってみると拍子抜けするほど普通の青年に見えました」
「最終的に6回面会しましたが、何処まで行っても考えが浅はかだった印象は変わりませんでした。段々と面会に疲れてきたんですよね。恐怖に呑まれることは無かったのですが、浅はかなので掘り下げようがないんです。事件そのものを筋で追っていくのは担当記者の仕事で、私がやるのは障害者の親としての顔も持つ唯一の記者として植松に問うことです。単なる記者ならずっと面会を続けていたでしょうが、私は6回で彼との会話に“飽き”ました。私のやるべきことは、私の目に映った植松を一人称視点で描くことであって、掘り下げは客観報道をする別の記者が適しています。主観報道として私が見た分はここまででいいと思うと、疲れてきたし、私自身が全てをやる必要は無かったと思っています」

──作中にも言及された「植松の浅はかさ」についてもう少しお話を聞かせてください
「植松はやまゆり園の近所で生まれており、散歩する入所者を見たことがあるそうです。なので、元職員としてだけでなく、地元から犯罪者が出てしまったショックもまた大きかったのです。やまゆり園の近所で生まれ育ちながら、障害について深く思考した経験が無かったのだと思います。話をしていて、障害に関する知識が感じられないというか、不勉強な印象を受けました。結論を拙速に出している訳ですね。意思疎通が出来ない奴は駄目だと。そもそも、意思疎通の判断基準自体が短絡的でした。刺す人をどうやって決めたのかと問うと、『おはようございますと声をかけて、名前と年齢と住所を言えた人は刺していません』と答えました。名前や年齢が言えなくても意思疎通は出来ますし、快不快や好意や嫌悪感を表出することも出来ます。そもそも、突然夜中に血まみれの男が刃物を振りかざしながら『おはよう』と呼び掛けて、私達は『はい、おはよう』と答えられるでしょうか。そこに人間観の浅さを感じました」
「植松死刑囚はやまゆり園の関連施設含め四百数十人を殺せると、安倍元総理に手紙を出そうとしたことがあります。障害者を殺すことで報奨金が貰えないかと期待する内容でした。数年で出所して謝礼が貰えると思い込んでいた訳です。障害者を殺して褒められると本気で思っていたならば、人間社会への認識もまた甘くて薄っぺらいと思います。また、彼はドナルド・トランプ米大統領を『本音でものを言える』と激賞していましたが、これも『障害者はいなくなればいいと皆が本音では思っているはず。トランプに倣い自分も本音を叶えれば、社会から歓迎されるだろう』と考えてのことだったのではないかと思います」
「安倍元総理やトランプ元大統領を味方と思い込んでいた植松死刑囚は、いわば『時代の子』です。『時代の子』とは、北九州市にある八幡東キリスト教会の奥田知志牧師がおっしゃっていた言葉で、『助けて欲しいときに助けてと言える社会でないと、こういう事件は起きる』とも仰っていました。自己責任主義、格差の拡大、トランプ現象…これらは私達が生きている時代の『一側面』に過ぎません。その『一側面』しか見なかったのが、植松死刑囚なんでしょう」

刃は自身にも向く


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──植松死刑囚にリアルで共感する人への取材は考えましたか
「考えてはいませんが、身の回りには一定数居るでしょうね。ただ、障害者の親として直接悪口を言われたのは、人生の中でハガキ一枚だけです。そういう人は、ヘイトスピーチをしている人の中には一定数居るでしょうね。敢えてやまゆり園事件についてどう思うか質問はしていませんが、ヘイトスピーチは、植松死刑囚の考え方と底流で重なっているように、私の目には映りましたこの映画は、主観報道する私を客観的に報道する作品でもあります」

──フォン・ガーレン司教のことやALS患者への嘱託殺人など様々なことが思い出されまし
「映画『月』のように挑戦的な作品が出来ていますよね。それ自体は問題提起にもなるし悪い事とは思っていません。障害者の家族で高く評価する人もいれば、障害者施設の職員で批判する人もいて、色々な意見があっていいでしょう。ただ個人的には、障害者施設で働く人々への敬意が無いなと感じました。働く喜びややりがいが描かれてないんですよね。所々非現実的な描写があり、演出だろうとは思いますが。フィクションとして割り切るなら、俳優陣も素晴らしかったですし、受賞は納得でしょう」

──大病で寝たきりになった上司の場面に、もう少し尺が欲しかった気もします
「植松聖とヘイトスピーチ、それから歴史修正主義にウェイトを置いたのが『リリアンの揺りかご』です。上司を取材するのに躊躇はありましたが、植松死刑囚の供述を知って、今まさに意思疎通できずにいる上司を無視してはいられないと決心しました。確かに意志の表出は難しいですが、私の知る彼なら『俺が役に立つなら』と応じてくれるでしょう。奥様が『神戸さんが取材に来ましたよ』と話しかけると、嬉しそうにしていましたから。奥様の態度にも救われましたね。上司のシーンは、私の身近にいる意思疎通できない人を描かなければ“逃げ”だという意識、そして奥様の献身的な姿を映そうとする意識の表れです。しかし、いざ問題に直面すると、困り果てて途方に暮れる人の方が多いのではないでしょうか。一線を引いてくる人は多いですが、誰もが最後には障害者になると思います。植松死刑囚に同調して喜ぶ人々に、自分にも刃が向けられるのだと伝えるため、上司のシーンを入れたのです」

現状は過酷だが、信頼を失うほどでもない

──ヘイトをめぐるさまざまな問題について、どう思われていますか
「世代論は危険だという前提でお話ししますが、差別言説を知らないまま先に触れて何かを好きになった人はヘイトに染まらないでしょうし、そういう人は増えていると思います。一方、あるコンテンツを頭ごなしに批判する人もまた多いです。このネット社会、魅力的なコンテンツに触れる人も居ればヘイト言説に触れる人も居ます。良さから触れた人は後から色々知っても考える余地があるのですが、最初にヘイトに触れた人が良さを受け入れることはまずないでしょうね。理解を示す人が増えるでしょうけれども、そうでない人も一定数は生まれると思います」

「報道において、『憎悪を拡散してしまうようなことやってはいけないのではないか』という躊躇をしていたこともありました。ごく一部の勘違いした人々をニュースでクローズアップする価値はないのではと思っていましたが、それは間違いだったかもしれません。報道しないことで、ネット上では『地上波で報道されない真実』として拡がるからです。2014年に福岡でヘイトデモを取材した時、あまりに汚らしい言葉ばかり飛び交うのでお蔵入りにしてしまいまったことがあります。その後悔から、当時の映像は『リリアンの揺りかご』に採用ています」

──最後に伝えたいメッセージなどをお願いします
「私は悲観も楽観もしています。社会の現状は厳しい状態に入ってきましたが、一方で、リアルで実際に話せば善い人の方が多いのは間違いありません。楽観視は出来ませんが、他人への信頼を失うほどでもないと思います。この映画を観て、ぜひいろいろな人たちの感想を聞きたいです」

『リリアンの揺りかご』(3月30日(土)より上映)

3月30日(土)14:00の回 上映後舞台挨拶
【登壇者】
監督:神戸金史
ゲスト:臼井賢一郎(KBCテレビ 解説委員長)

監督:神戸金史
ジャーナリスト:安田浩一
沖縄タイムス記者:阿部 岳
ノンフィクション作家:加藤直樹
予告編:https://www.youtube.com/watch?v=n6K9cwJot30
コピーライト:©RKB

「TBSドキュメンタリー映画祭2024」は、全国6都市[東京・名古屋・大阪・京都・福岡・札幌]にて順次開催中。
詳しくは映画公式サイトをご確認ください。
https://www.tbs.co.jp/TBSDOCS_eigasai/

障害者ドットコムニュース編集部

障害者ドットコムニュース編集部

「福祉をもっとわかりやすく!使いやすく!楽しく!」をモットーに、障害・病気をもつ方の仕事や暮らしに関する最新ニュースやコラムなどを発信していきます。
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