発達障害のグレーゾーンとは〜私はどこにいけばいい?

発達障害

unsplash-logo Jeremy Bishop

発達障害のグレーゾーンとは、発達障害の「傾向」は認められるものの、正式な診断がおりない「狭間」にいる人々です。白(障害のない人)か黒(発達障害者)、どちらにも当てはまらないのでグレーゾーンと呼ばれます。グレーゾーンの人々は、自分のあいまいな立ち位置に対し、周囲の理解を受けにくい孤独や自己肯定感の低さなどの苦しみを抱えます。グレーゾーンの特徴や悩み等について、私の体験等もふまえて紹介します。

発達障害の診断はおりない?

最初に私の話をしたいと思います。幼少期の私は、典型的な「自閉スペクトラム症」の特徴を表していました。視線を合わさない、人の呼びかけに反応しない、話さない、自分の興味のある遊びしかしない、感覚の鈍さなどが見られ、今も一部が残っています。しかし私の母は、私が障害児だとは到底信じることはできませんでした。私は、正式な診断を受けることなく、一定期間通っていた療育も断念したようです。小学校に入ると、周囲との違和感は学年が上がるにつれて強くなりました。私は勉強ができず、指示を理解できず、先生に怒られてばかりでした。同級生からも、私の容姿や態度に関する陰口や仲間外れ、ドッチボールや鬼ごっこなどで私を標的にするなど、いじめも受けました。やがて私は、学校に通えなくなりました。

その後、母方の実家である海外と日本を行き来し、中学校は別の県に通っていました。しかし、そこでも同級生のノリについていけず、トラブルから陰口もたたかれました。日本の学校は合わない、と悟った私はオセアニアの国に留学しました。その国の高校は私に合っていたので、落ちこぼれだったはずの私の成績は伸びました。卒業後は、帰国子女枠で合格した日本の大学に入りました。実は大学に入る直前、読書に目覚めていた私は「発達障害」の本を読みました。自閉スペクトラム症の項目は、特に幼少期の私に当てはまることが多いな、と思いました。その時点では「もしかして私は自閉スペクトラム症だったのか」、と疑問を持っても、診断を受けに行く選択肢には至りませんでした。大学ではいじめはありませんでしたが、「人と何を話したらいいのか分からない」、「同級生が興味を持っていることに、同じように興味を抱けない」、「人にどう見られ、どう思われているかが怖い」、と真剣に悩みました。今は周りを見るようにし、知らないことはとりあえずメモをし、興味を示すようにします。けれど本来の私は、自分の興味のあることばかり熱中し、大切な用事を除き、他の情報には目もくれない所があります。最近は特に聴き取りの弱さに悩み続け、工夫をしていないと、友達との日常会話や電話対応すらままなりません。相手がどう思っているのか、表情や雰囲気、言葉のニュアンスから理解するのは、マンガやアニメの知識を応用して何とか想像します。それでも察しの悪さはそのままで、相手が疲れているかどうかも、相手から言葉で伝えてくれないと中々気付けません。「変わっている子」、と言われ続けた私が生まれた時から今まで抱えてきた違和感。その正体を知り、悩みに終止符を打ちたい、と強く思いました。私は「発達障害」の診断と対人関係の悩みを解決するために、発達障害に詳しい心療内科を受診しました。私は※WAIS(ウェクスラー式成人知能検査)を受け、私の母からの聞き取りや私自身のエピソードなどの情報を集め、主治医にも伝えました。

結果、発達障害の「傾向」はありますね、と言われただけで終わりました。

※WAIS(ウェクスラー成人知能検査)は、IQ(知能指数)を言語性IQ(知識や言葉の理解、耳で聴いた情報を処理する等の能力)と動作性IQ(パズルや視覚処理など、ものや現象を認識し、推理し、操作する能力)、全体性IQ(総合能力)に分けます。検出されたIQが、平均値からどの程度離れているかで、その人のIQとその特徴を判断します。子ども向けのWISC(6歳〜15歳)や、WIPPSI(2歳6カ月 〜 7歳3カ月)もあります。WAISは、16歳〜89歳。IQ70未満だと、知的障害と判断されます。

発達障害なのか健常者なのか

WAISの検査を受けた結果、全体値ではIQ90前後で、平均〜平均よりやや低めでした。一方、IQ全体が平均値にありましたが、特定の項目が異様に低く、他項目との差の大きさを以下に確認できました。

・「作動記憶」(話を聞いて理解しながらメモを取る、話す、計算するなどのマルチタスクをこなす能力)
・「聴覚情報処理」(耳から情報を聞いて理解し、計算や判断を行う)
・「知覚統合」(パズルや間違い探し、話を要約する、手先の器用さ)

この三点だけは、IQ65前後で異様に低かったのです。この現象はディスクレパンシー(各項目のIQとの数値の差)と呼ばれ、この数値が強く出る場合は、知的障害を伴わない発達障害の可能性が高くなります。

しかし残念ながら、発達障害の検査でWAISを使うことは多いですが、あくまで知能の平均を測定する検査であり、発達障害の有無を検査してくれるのではありません。しかも、大人になってから受診を始めた私は、発達障害の診断基準を満たさない状態に成長していたのです。もしも、幼少期に診断を受けた場合、基準を余裕で満たした可能性は高いです。幼少期とは違い、今の私はこだわりがあっても時に妥協する必要性や、相手を気遣う協調性、話を聴く姿勢を学習できているため、人とのコミュニケーションに目立った問題は見られません。結局、私は発達障害者なのかそうでないのか、という答えはあいまいなまま、訳がわかりませんでした。WAISの検査結果は、私の発達障害の診断と特性を証明しうるのか、主治医にもう一度聞いてみました。すると、「傾向がある」というあいまいな答えのみで、「自閉スペクトラム症ですね」、という言葉は一度も出なかったです。恐らくその主治医は、発達障害というラベルをつけることで、私が発達障害者であると過剰に反応し、ショックを与えかねないことに慎重な人だったと思います。

では、私は一体何なのだろう、という気持ちになりました。発達障害という診断名は告げられない。それなのに、診断の下りていない障害者も通える福祉センターへの通所申請のために書いてもらった主治医の意見書。そこには、「発達障害・不安障害」、と明記されているのです。その時、たまたま私が不在中に、意見書が自宅に届きました。中身を読んだ私の父親は、「こんなの見たらショックを受けるだろう」、と意見書が私の目に入らないように気を遣っていました。しかしその意見書は、発達障害の診断の下りないわたしにとって、私という人間の一部、私の感じてきた苦しみを表す貴重な証拠のようなものでした。

今までの私、苦しみは、どこへいけばいいのか

発達障害の診断は下りない、けれどその傾向はある、でも普通にもなれない、じゃあ私は一体何なのか。同じ福祉センターに通っていた利用者さんと交流し、20歳になって初めて親友を得たことは、私の人生で貴重な慰めとなりました。その中には、当然発達障害の人もいたので、互いに共感し合える所がありました。自助グループに見学しに行っても、私より障害が重かったり、重複していたりする人達の輪に入れないことも多かったです。しかも、興味が限定されていることや、海外を行き来したことで一般常識もよく知らないため、人との何気ない会話が苦手です。私は、自分の微妙な立ち位置や、自分が結局何者なのかについて悩み続けました。本当は自閉スペクトラム症の特性や過去の心の傷からくる自己肯定感の低さ、人との関わりにおける緊張と恐怖、周囲のように普通に就職して働くことへの不安等について、支援を受けたかったです。しかし、私は障害というレベルまでには至らないため、福祉サービスの受給要件も満たせない、手帳も交付されない、精神科・心療内科は治療と診断はできても人間関係や生活の悩みにまでは深く対応できない、と私は諦めました。

それでも、発達障害のことを忘れることはできませんし、忘れたくはありませんでした。それは同時に、私が今まで感じてきた「生きづらさ」も全てなかったことにするのに等しいからです。実際、大人になったらだいぶ改善した点はありますが、発達障害の特性の一部は、今も私に残り続け、良くも悪くも私の生き方や人格に影響を与えています。それでも私は、診断は下りないけど確かに発達障害を持つ人なんだ、と認めたかったです。周囲にも発達障害の「傾向」があることや、それゆえに聴き取りの弱さやメモに関する配慮についても伝えてきました。そんな中でも私は、「発達障害と言っているけど、そんな風に見えない。自分がそう思いたいだけなんじゃないのか」、と周囲は心の中では私の言うことを信じていないのではないか、と内心不安もありました。実際、会話の聞き取りが苦手な私は、大人数の飲み会やそこでの司会役はできません。そのことを相手に相談しても「ま、そこは自分で何とかして」、としか言ってもらえませんでした。

それでは、私の今までの苦しみも孤独も、ただの私の努力不足と甘えだったのでしょうか。私は個人的に、自閉スペクトラム症の傾向を持って生まれてきたことに後悔はありません。むしろ、そのおかげで私という人間が形成され、母や一部の人に愛されるキャラになりました。自分にとって興味のあることであれば、人並み以上の集中力や根気、真面目さ、記憶力などの特性に助けられてきたことも多いです。それでも自閉スペクトラム症な私は、自分らしく生きようとすると、悪気なくやってしまった無神経な対応で誰かを傷つけるか、周囲から攻撃やいじめのターゲットにされるかです。かといって、周りに合わせようとしても、会話についていけないなどの特徴を見透かされているかと思うと怖かったです。ひどくなると体調を崩してしまうこともありました。

支援の対象にもなれない、障害のある人・ない人の輪にも入りきれない。そしたら私は、一体どこへいけばいいのでしょうか。

最後に

幸い、私には私のことを愛し理解してくれる母と父、その他恩師や友達がいます。たとえ、発達障害の特性やそれゆえに抱く苦悩を理解されることはなくても、私を好きになってくれた優しい人達に感謝しています。最近は、私自身のお話や大学時代に培った知識などをネットを通じて伝える活動に、やりがいを感じています。今まで人付き合いでも仕事においても不器用で、社会や誰かの役に立てているという実感はなかったです。ですが、今は自分の好きなことを「特技」として発揮でき、それが「誰かの役立っている」と実感できています。そのおかげで、私は自信を少しずつ取り戻している気がします。さらに、今の活動を通じて初めて分かったことが、もう一つあります。大学に入ってからの私は「落ちこぼれ」から「優等生」になり、周囲からも絶賛されました。それでも私は、ただ好きなことへの勉強に夢中になり、その結果良い成績を収めたことは純粋に嬉しかったです。それでも私は、根っこの部分には自分を肯定しきれないところがありました。何か嫌なことがあるとすぐに、「私はダメな人間だ」、と自己否定に走るクセが中々抜けませんでした。

しかし、今の活動とそこで出会った優しい人達との交流やサポートのおかげで、私はようやく「孤独感から解放された」のです。

たとえ学力や能力が高くても、自分は誰かに受け入れられている実感がなければ、「孤独」のままです。そして障害者に限る話ではありませんが、友達や家族がいても自分の悩みや苦しみを「理解されない」ことも、孤独感を生みます。発達障害のグレーゾーン同士で、悩みを理解し合える「仲間」がいて、初めて人(私)は自己肯定感を得られたのではないか、と思います。

今の活動と出会い、私の特性に理解を示してくださった方々に、心から感謝します。

最後までご拝読ありがとうございました。

参考文献

・姫野桂(2018)「発達障害グレーゾーン」扶桑社新書

・「ウェクスラー式知能検査 活用ガイドライン」
http://www.rehab.go.jp

・「WAIS-IIIとは?〜成人ADHDが理想の生活を目指すブログ〜」
https://www.yomocracy.com

*Misumi*

*Misumi*

自閉スペクトラム症のグレーゾーンにある、一見ごく普通のネコ好きです。10代の頃は海外と日本を行き来していました。それもあいまってか、自分ワールドにふけるのが、ライフワークの一つになっています。好きなものはネコ、マンガ、やわらかいもの、甘いもの、文章を書くこと。最近は精神保健福祉士を目指しながらコミュニケーションを学び、今後の自分について模索する心の旅人。

自閉症スペクトラム障害

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