ブラック企業に勤めて、まさか自分がうつになるなんて~前編

うつ病

出典:Photo by Nik Shuliahin on Unsplash

超絶ブラック企業で自らを犠牲にし働き続け、「うつ病」にかかりました。「うつ病」は、所謂「心の風邪」などという簡単な病気ではありません。病にかかって始めて体験する「辛さ」を少しでも多くの方に伝えられればと思います。

超絶ブラック企業への就職

私が就職した企業は実は超絶ブラック企業でした。

転職を繰り返し、ようやく自分が納得して就職が決まりました。応募職種は「一般事務」でしたが、面接時に「前職で経理的な業務をしていたのなら、経理事務での応募に変更してみないか?」との打診がありました。突然のことだったので、多少の違和感はありましたが、希望職種であったのと「一般事務職」よりも給与が高いということもあり、「経理事務職」で応募するという形になりました。面接後1日も経たずに採用の連絡が来ました。

その時は「ようやく就職先が決まった」と安堵したことが一番自分の中で大きく、「年齢的にも35という歳でこの会社以外拾ってくれるところが無いだろう」というネガティブな気持ちが強く、「本当にこの会社で大丈夫なのか?」という気持ちにはなりませんでした。

入社1年目からの違和感

私が入社した会社は運送業でした。それも中小零細企業の運送会社です。

私の携わる上司は、この道30年「総務・経理事務」の方でした。私は今まで経理職は一部業務だけの経験しか無かったのもあり、一から指導して頂けるチャンスだと思っていたのです。ただ、不穏なことに面接の際「ウチの業務は経理業務だけではないから。どちらかといえば総務的な業務の比重が多いので……」と言われていました。

この会社は所謂「一族経営の会社」で、しかも「トップが典型的な2代目社長」だったのです。また、役員同士が忌み嫌いあっているという状態でした。中小零細企業にはどこにでもあるようなことですが、一番の問題はこの2代目社長が自社の会社のことを全く知らないということであり、さらに会社を完全に私物化していたのです。3ヶ月もすると、次第にこの会社の本性が見えてきました。

本性はあまりにも酷いものでした。社長から「君の上司は仕事が出来ない奴だから、早く経理業務を覚えて、あいつ(上司)に任せている仕事を君にやってもらいたいから頼むぞ」と。また、「俺の指示は一言一句間違えの無いように各従業員へ伝えるように」最後には「会社の金はたとえ1円でも俺(社長)の許可なく使用することは許さないし、事前に許可を取るように」と直接言われたのです。これは消耗品を購入する際にも当てはまります。

正直驚きました。その時は、「はい」としか言えず社長室から退室したのですが、その旨を上司に話すと、「そういう社長だから、あんまり素直に受け止めなくていいから」と返事が返ってきたました。それからが地獄の始まりでした。

経理業務もまだ完全には覚えていないのにも関わらず、頻繁に社長に呼び出されることが増えていきました。社長が指示する業務はあまりにも幼稚で、「誰か自分の悪口を言っている従業員を見つけたらすぐに報告するように」「勝手なことをやっている従業員を見つけたらすぐに報告するように」「あの従業員は使えない」などばかりでした。一度、社長室に呼ばれると1時間は退室ができず、酷い時には午前中のほとんどが社長室ということもしばしありました。そうなると通常の業務が滞るばかりです。

社長の出社は週に2回のみであり、それも午前中のみの滞在です。それまでに指示された事への報告や、経理業務での支払い関係の説明、承認、押印をもらわなければなりません。しかし、他の事務スタッフも報告内容があるため、与えられる時間は限られており、すべてを報告する時間などありません。出社前日に報告内容を事前にメールで伝え、お時間を取ってもらう約束を取り付けるも、当日は時間通りに行くこともなく、最低限の報告しかできないこともしばしばありました。新しい業務をなかなか覚える時間も無く、月日だけが過ぎていったのです。

私はこの会社には長い期間居るべきではないと悟りました。1年間の間に上司に指導いただき業務を覚えて転職しようと考えていたのです。しかし、その考えは脆くも崩れ去りました……。

ちょうど1年を過ぎたころ、上司の体調に異変が出始めました。そしてある日突然、上司から言われた言葉が「申し訳ないけど、来月退職することになったから。いまから総務業の引継ぎ作業を進めるね」とのことでした。私はあまりにも急であったため、「何故、こんな急にですか?」と訊ねました。すると上司は病気であることを打ち明けてくれました。「すぐに治療を始めないと命に関わるため退職せざる得なくなった」と。「ちゃんと一人前に育てようと思っていた。なかばだったのに申し訳ない。後は頼む」と。そうしてほとんど引継ぎも出来ないまま取り残されてしまいました。

孤独との闘い

上司が退職をしてからはもはや悲惨としか表現できない状態でした。元々2名体制で「総務、経理、人事、社長秘書」を行ってきたところを独りでやることになりました。その内の【総務】【人事】【社長秘書】に関しては全くのド素人です。それでもやるしかなかったたので、自分でネットで調べたり、会社で契約している「顧問社労士」に電話をして教えてもらったりとしながらやりくりをしていました。

社長の方には「早々に後任を居れて下さい。1人でやるには限界です」とお願いをするも、「経理や総務のような仕事は、しっかりとした人間じゃないと下手をすれば会社が倒産する可能性があるからそんな簡単に決めれない」と言われました。求人応募が来るにも関わらず、書類選考で不採用ばかり。役員の方に不採用理由を聞くと、社長は「高学歴の人間は理屈っぽいから嫌だ」「転職回数が多い人間はすぐ辞めてしまうからダメだ」「女性は嫌だ」等々。すべては、社長が操れる「イエスマン」のような人材を欲しがっていたのだとその時にわかりました。その割には私に向かって「即戦力な人材が欲しい。お前の求人のやり方が悪いから人が集まらないんだ」といわれる始末でした。

その頃の私は、日々の業務に追われ休みもまともに取れず、就業時間なんてあって無いようなものでした。休みの日のほとんどを出勤に充てて通常業務の遅れをなんとかカバーしている状態だったのです。経理的な仕事は会社のお金が他の従業員に分かられると困るため助けてもらえません。総務的な仕事についても個人情報の関係があるため助けてもらえません。何一つ助けてもらえる要素が無かったのです。

そんな日々が約2年半続きました。何度も「辞めたい。辞めたい。今すぐ逃げ出したい。全てを投げ出して逃げれればどんなに楽か」と思うようになっていき、そのうち「社長が出社する日は休みたい。休めば何も言われない」とういうような感覚になっていったのです。出来ないものは「出来ません」とハッキリ言えなかった自分の性格が大きな原因かもしれません。また偏頭痛をもっていたため、社長が出社の日の前夜からは体調がすぐれないこともありました。それでも「休んでも誰かが代わりにやってくれるわけではない、むしろ自分の首を自分で絞める行為になる」と思い、気力で出勤をしていたのだと思います。

このような状況下に置かれていた場合、すぐに辞める人がほとんどだと思います。たった一人の従業員が退職しただけで会社が潰れるような組織なら、最初から潰れているのと同じだと。自分はただの従業員であって、責任を押し付けられる筋合いは無いと。

残念ながら私は、「自分が逃げると会社が潰れてしまう。職場の同僚に迷惑をかけてしまう。途中で逃げ出すなんてカッコが悪い。それだけは絶対にできない」と過剰な考え方をしていました。

うつ病を発症

2年半後、ようやく念願叶って後任が決まったのです。私は「この苦しい状態から解放されるのだ」と心の底から喜びました。その理由としては、後任の方はかつての上司同様に私より年上で経験豊富だったからです。最初の内は、「会社の事を1から教えて、徐々に慣れていってもらえば、自分の負担は減るだろう。そこまでの辛抱だ」と思っていました。

しかし、2ヶ月もすると私が入社した時と同じようなことになってしまいました。入社直後は社長から過度の期待をされ、可愛がられていたのです。後任が社長の例の"指示内容"通りの事を「正直に」するたびに、周りの従業員との軋轢が生まれていきました。そのクレーム対応も私のところにくるようになりはじめたのですが、当の本人は何も感じていない有様。仕事を頼んでもやっている振りだけで、実際のところは私が休みの日に出勤してカバーをしていました。

社長からは「一人補充してやったのだから、さっさと仕事を教えて、俺の仕事をこなすようにしろ」「お前の教え方が悪いからいつまで経ってもお前がしんどいだけで、俺には関係ないことだ」と。そのうち、後任の方も社長の期待に応えられなくなり、社長の評価は下がる一方でした。

ある時、私は社長室に呼ばれ驚愕の事実を伝えられることになったのです。「あいつはもう使えないから、入社半年したらクビにする」と。その時、ついに私の中で張り詰めていたものが完全に切れたのです。

「今まで必死に一人でやってきたのに……。ようやく自分の業務量が減ると思ったのに……。今まで教えていたのはなんだったのか……」

その日はもう自分自身どのような業務をしていたか覚えていません。次の社長の出社日にはもう体調が悪く欠勤の連絡を入れました。社長から返ってきた返事は「お前は仕事を休みすぎる。転職活動でもしてる可能性があるし、本当に体調が悪いなら病院に行って診断書をもらって提出するように」とのことでした。

もう限界です……。携帯で自宅付近の心療内科を調べ、当日に診てくれるところがないか10件近く電話をし、やっと見つけたクリニックに行くことにしました。私の心は藁をもすがる気持ちでした。今の状態をすべて話したところ、先生から「いますぐ会社を休みなさい。もうゆっくり休んでいいから。すぐに診断書を書いてあげるから」といわれました。下された診断は【抑うつ状態】でした。

私自身、その診断内容に一切驚きませんでした。「やっぱりそうだったのか……」はっきりと診断されたことにより、「すべてが終わったんだ……」という思いでした。診断内容を会社に報告すると、「診断書は必要ないから。とりあえず今日は休んだらいいから」とのことでしたが、もう自分の中では「これ以上会社にはいけない。もう無理。なにも考えられない」

こうして私は【うつ病】を発症してしまったのです。

▶次の記事:ブラック企業に勤めて、まさか自分がうつになるなんて~後編

優男

優男

超絶ブラック企業に人生を狂わされた40代前半の男性です。
自分の心の弱さが原因でうつ病を発症して、約1年の治療により、現在「就労移行支援サービス」を利用するまでになりました。
現在は障がい者雇用を目指し日々奮闘中です。
私と同じような境遇の方がもし居られれば、このコラムが少しでもお役に立てば幸いです。よろしくお願いいたします。

うつ病

関連記事

人気記事

施設検索履歴を開く

最近見た施設

閲覧履歴がありません。

TOP

しばらくお待ちください