「異彩を、放て。」長兄に影響されヘラルボニーを創業した双子の自叙伝

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Photo by Joshua J. Cotten on Unsplash

主に知的障害者や施設と契約を結んでアート作品に正当な芸術価値をつけ、福祉を起点とする文化創造と障害へのイメージ変容を目指す株式会社ヘラルボニー。その創業者である松田崇弥(たかや)・文登(ふみと)兄弟の自叙伝「異彩を、放て。『ヘラルボニー』が福祉×アートで世界を変える」(新潮社)を紹介します。

社名「ヘラルボニー」の由来は、4歳上の長兄である翔太さんが小さい頃自由帳に書き記していた言葉です。幾つも繰り返し書かれていた「ヘラルボニー」に、これといった意味はありません。創業の時に初めて、「一見意味がないと思われるものを、世の中に新しい価値として創出したい」という願いが込められました。

今回は本の紹介がてら、ヘラルボニーの前日譚となる部分を簡単にダイジェストしたいと思います。興味を持たれましたら、是非何らかの形でお買い求めになってください。

長兄への眼差しを変えたい

松田兄弟は双子で、その4歳上に長兄の翔太さんがいる家族構成です。翔太さんは重度の知的障害を伴う自閉症で、彼こそがヘラルボニー創業に大きな影響を与えました。

三兄弟は仲睦まじく、一緒にゲームをしたりスポーツの試合を応援したりして幼少期を過ごしました。体格で勝る長兄のパニックを必死に抑えるときもありましたが、進んで風呂掃除をしたり練習なしで鍵盤ハーモニカを披露したりと、良き兄の側面もまた持っていました。

しかし周りの眼差しが翔太さんに対して冷たかったこともまた、弟たちは既に気付いていました。「兄は会話もするし感情もある」などと信じてもらえず、嘲笑や憐憫を向けられるたび、悔しさと疑問が満ちていきます。「兄も同じ人間なのに」「『ふつうじゃない』のがそんなに悪いのか」

何度か揺らぎはあったものの、長兄への眼差しを変えたい思い自体は社会に出ても変わりませんでした。「思考停止で『障害者』という枠に押し込める、そんな社会にこそ『障害』がある」その思いが爆発するきっかけとなったのが、「るんびにい美術館」です。

アール・ブリュットに魅せられて

「るんびにい美術館」もまた、ヘラルボニー創業に大きな影響を与えました。るんびにい美術館はベーカリーカフェとアートギャラリーを兼ねた場所で、知的障害者らのアートを展示しています。母親の勧めで最初に足を運んだ崇弥さんは、これまでのアートと一線を画す確かな力に魅了され、すぐさま文登さんら後の中核メンバーを招待します。他のメンバーもまた、同様に圧倒または魅了されました。

るんびにい美術館で見た作品たちにこそ、翔太さんへの眼差しを変える手掛かりがあると感じた兄弟は、ほとんど勢いで「MUKU」を立ち上げたといいます。MUKUは障害者のアート作品を何らかの商品として社会の目に触れさせていくプロジェクトで、ヘラルボニーの前身ともいえる存在です。

障害者のアート作品を商品化し売り上げを作者自身に還元する構想もこの時生まれたものです。るんびにい美術館の関係者は、この構想を聞いて無名の若者たちに協力する決意を固めました。本書には、るんびにい美術館のアートディレクターである板垣崇志さんの語りも載せられています。

始まりの高級ネクタイ

MUKUが初めて世に出そうとしたのは、アート作品自体を柄とするネクタイでした。技術面などから断るブランドが相次ぐ中、意外なブランドが応じてくれます。明治時代から続く老舗の高級ブランド「銀座田屋」です。全国3店舗での対面販売しかしていない厳格なブランドですが、職人魂が騒いだのか乗り気でネクタイをデザインしてくれたといいます。

ネクタイを売り出すため、そして製作資金を集めるためのクラウドファンディングも開始しました。当時はそれほど一般的でもなかった中で、ラッパーのGOMESSさん、Get in touch代表の東ちづるさん、NHK盛岡放送局といった強力な助っ人がMUKUに賛同し協力します。

結局、目標額の4割程度しか集まりませんでしたが、MUKUの理念そのものは伝わりました。出生前診断の結果から堕胎しようかと悩んでいた夫婦が、MUKUの活動を知ったことで産む決断を固めたという手紙も届きます。「あなた達のネクタイを販売させてほしい」という要望も何社かから届きます。

一方で、一部の福祉関係者から心無いことも言われました。「百貨店に置くものでもあるまいし、高すぎる」「障害者の作る商品は安く売ればいい」「障害者支援が目的だから、デザインは二の次だ」と、障害者の可能性や都合を考えていない発言が福祉に携わる人間から出たのです。

MUKUを立ち上げるよりも前、翔太さんの通っていた施設で、商品やサービスが安く買い叩かれている現場を目撃したこともあります。これを是正し、公正な価格で取引されることもまた願いでした。

障害者が施設の工賃だけでなく、資本主義社会の枠組みで利益を得られる仕組みを作ること。これが松田兄弟の作り上げようとする新たなビジネスモデルです。その実現に向けた大きな一歩が踏み出されました。

ヘラルボニーの目指す場所

ネクタイのプロジェクトから紆余曲折を経てヘラルボニーの創業に至る訳ですが、これは「長兄・翔太が幸せになる社会を実現する」「知的障害者とその周囲が幸せになる社会を実現する」というミッションに人生を賭けて取り組む意思表示でもあります。その通過点には、福祉領域の拡張における日本のリーディングカンパニーになる使命も含まれています。

ヘラルボニーが目指しているのは障害者福祉の新たな選択肢を作ることで、アートはその「第1章」にあたるといいます。まずは芸術の特異な障害者から社会への接点を増やしていき、障害者への認識を「関係ないもの」から「身近なもの」へと変えていきます。

その後に始まる「第2章」は、芸術に限らず何か得意なことを活かして社会と関わっていくフェーズです。そうして障害者と社会の関わりが増えていき、いつしか健常も障害もない、かつて翔太さんに浴びせられた冷たい眼差しのない社会になるのが、ヘラルボニーの目指す場所です。

「障害は欠落ではなく、違いだ。『ふつうじゃない』ということは、可能性でもある。この世には、放たれるべき異彩が沢山ある」

参考書籍

異彩を、放て。「ヘラルボニー」が福祉×アートで世界を変える(新潮社)松田文登・松田崇弥

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

自閉症スペクトラム障害(ASD)

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