おっちょこちょいで、いらんことしい

暮らし 発達障害

私の母は、出かけるとなかなか帰ってこない人だった。
ショッピングが大好きで、スーパーやデパートをあっちこっち歩き回るのが日課。何も買わないウインドーショッピングのときもあれば、なかなか気に入ったものが見つからずに長引くこともあった。母の口癖は「家でじっとしているのは大嫌い!」。そんな母についたあだ名は“鉄砲玉”。飛び出すと、なかなか帰ってこないからだ。

そんな母の子どもである私は、やっぱり落ち着きのない子どもだった。そして私の娘も――これまた「お世辞にも落ち着きがあるとは言いがたい」タイプ。親子三代そろってADHDと診断された。つまり我が家は由緒正しい(?)ADHD家系と言えるのだ。

ADHDは昔は「発達障害」と呼ばれていたが、今では「発達神経症」と言われるらしい。呼び名は変わっても、注意力が散漫で落ち着きがなく、考えなしに動いてしまう――そんな特性は変わらない。

私自身も「おっちょこちょいで、いらんことしい」だと自覚している。
子どもの頃、お風呂でふと洗面器の底を見ると、ベルサイユのばら風の薔薇の絵が少し浮いていることに気づいてしまった。気づいたが最後、石鹸箱の角でこすってみると薔薇がはがれてきた。それが面白くなり、つい全部こすり落としてしまったのだ。結果――洗面器には大きな穴。母にこっぴどく怒られたのは言うまでもない。

そんな調子は大人になっても変わらない。友人からもらった金属ダンベルで筋トレを始めたときのこと。見よう見まねで「イッチィー、ニィー……」と振り上げた瞬間、ダンベルは後ろのデッキケースのガラスを直撃。粉々に砕け散り、修理代に5,000円。後悔先に立たず――これも私の常套句である。

それでも、人生はなんとか続いていく。
気づけば、怒られてばかりいた子どもが母を見送り、やがて自分も見送られる側になる。長いようで、人生はあっという間だ。

ADHDの生きづらさは確かにある。人と比べれば、何度も失敗しないと学べないし、一生かかっても追いつけないことがあるかもしれない。だけど、比べて落ち込むだけが人生じゃない。

今日も私は、“私なりの生きづらさ”と折り合いをつけながら生きている。
そして明日、ほんの少しだけ――昨日の私より、ましな自分に成長していると信じて。

コマッタ

コマッタ

コマッタです。
あわてんぼうで、おっちょこちょいの忘れん坊。
ADHDのちょっと困った日々をお伝えしていきたいと思います。
恥ずかしながら、年齢と血圧は少し高めです。

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