「障害は個性」って本当?発達障害がある私の解釈

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最初は「障害は個性」だと思わなかった

私のペンネームは“みにくいアヒルのおっさん”ですが、現実の白鳥の子は3ヶ月で空を飛べるようになるそうです。社会という大空へ飛び立つべく訓練を受けている今でこそ、落ち着いた毎日を過ごしていますが、発達障害と診断された去年の今頃は人生に絶望していました。診断を受けてホッとしたのも事実ですが、欠陥人間だと宣告されたに等しいと感じて「この先、自分には人生を楽しむ権利はないんだろうな」とすら考えました。このコラムのタイトルでもある「障害は個性」と当時の主治医から言われても全く受け入れられず、それどころか強い反発心を覚えました。「個性じゃなくて汚点だよ。その考えは間違いだ」と。そして「障害は個性だ」なんて高らかに言うような恥知らずにだけは決してなるまいと、固く心に誓ったのでした。

年の瀬になって就労移行支援に通い始めてからも、長らくその考えは頑として変わりませんでした。当時は自分の中のマイナス面ばかりに目を向けていたので、むしろ確信を募らせていきました。自己肯定感は低くても「その考えだけは正しい」と確信していました。数ヶ月が過ぎ、社会復帰を目指す中で、さすがに自己肯定感が低いままでは弊害が多過ぎるだろうと気づいて、自己肯定感を高める努力を始めましたが、それでも「障害を個性にできるのはごく一部の天才だけだ。自分には関係ない」と強く信じ続けていました。

考えが変わったキッカケ

「障害は個性なんかじゃない。汚点だ」という考えが根底にあったせいか、自己肯定感を高める努力を始めて3ヶ月程過ぎても、ほとんど効果を実感できませんでした。それどころか、精神的な疲労からか重度の鬱状態に陥ってしまいました。その頃に、自室でサラリーマン時代に作った資料集を見つけて、自分で言うのはおかしいかも知れませんが、資料の完成度の高さに思わずビックリしました。この出来事は自己肯定感を高めるキッカケになりましたが、同時に「過集中がなければここまで頑張って資料を作れなかった」と感じられたので、「努力すれば障害特性を個性にできるかも知れない。そうすれば少しは社会で役立つ人間になれるかも」と思い始めることができました。

現在の私の考え

結論から言えば、障害そのもの=個性だとは思いません。「個性」を別の言葉で言い換えると、「個人の特性」ですが、だからと言って、何でもかんでも個性だと決め込むのは危険だと思っています。個性とは、キラキラ輝くものであって欲しいと思います。例えば、自己主張ばかりしていて、他者の意見に全く耳を傾けようとしない特性だと、自己中心的で他人に迷惑をかけ続ける言動を改めようとしない限り「個性」ではなく「クセ」が強い人だと考えています。「個性だから仕方ないじゃないか」と開き直る態度は論外です。自己理解を深め、コントロールすることを覚えた上で「障害は個性」が成立するものだと思います。具体的には、自己肯定感を高めるように意識し、日々の訓練の振り返りによって自己分析と反省を積み重ね、自分の本質と特性を理解し、苦手分野への対処法と配慮希望を見い出し、同時に他者への配慮や感情のコントロールを学んでいく中で、障害特性を個性化できるようになるのではないかと考えています。

まとめ

最後に、障害を個性にするために必要だと感じたステップを次にまとめてみます。
①自己肯定感を高める
②自己理解に努め、特性と対処法を見つける
③自己反省は「ダメ出し」ではなく、改善点を見つけて工夫を重ねる

大変な努力が要りそうだと感じる方もいらっしゃるかも知れませんが、楽しんで作業するよう意識してもらえたらと思います。私も引き続き努力を重ねていきますが、少しでも多くの方が生き辛さを軽減して楽になれたらと思い、この記事を書きました。もちろん世の中の全員に好かれることは不可能ですが、一人でも多くの人に「障害も個性だね」と認めてもらえるように、力を合わせて頑張りたいと思います。

みにくいアヒルのおっさん

みにくいアヒルのおっさん

広汎性発達障害・注意欠陥多動性障害の40代。いつか“白鳥”なれるよう、自分の輝ける場所を求めて、社会復帰への訓練を受ける日々を過ごしています。座右の銘は「諦めない」!

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