ギャンブル依存症をご存知ですか?③〜私が見てきた依存症の例
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これまで過去2回「ギャンブル依存症」について書いてきましたが、これで最終回とさせて頂きます。今回は、実際に見てきたギャンブル依存症で身を滅ぼした人の例を書いていきます。最後までお付き合いお願いします。
ギャンブル依存症〜パチスロ編
今から十数年ほどの前の話です。当時、私が働いていた職場は、シフト勤務で土日やお盆、正月にも仕事があり、拘束時間も朝8時から夜は20時から21時とかなり忙しいかったです。当時私もスロットをしていましたが、使う金額は3万までと決めておりこのマイルールが、後から考えるとどっぷりとはまらずに済んだのかなと思っています。
当時は射幸性が高い4号機のスロットが全盛時代でした。そんなパチスロ全盛期時代、スロットやパチンコをする人がかなり多くいました。休憩時間になると、誰彼問わずパチンコ、スロットの話で盛り上がり、「いくら勝ったか、負けたか」の話で良く盛り上がっていました。当時、同僚だったAさんもそんなひとりでした。
Aさんは私とほぼ同時に入社した方で、よく仕事を一緒にすることが多かったです。休憩時間中の雑談もギャンブル中心の話題が多かったです。Aさんは、出会った頃はノーマル機(低リスク、低リターンの機種)をよく打っていました。しかし、職場の近くに大型のパチンコ店がオープンしてから、ハイリスクハイリターンの機種を打つようになりました。当時は1日で10万負けることもあれば、20万〜30万勝ったという話が雑誌だけでなく、身近に当たり前のようにあったのです。中にはスロットを打つだけで生活費を稼いでいる人もいた、そんな時代です。
射幸性が高いの機種を打つ様になってから、徐々にAさんに変化が見られました。仕事帰りにほぼ毎日、休日でも職場の近くのパチンコ店に通い続けているのを職場の人間によく目撃されるようになったのです。本人の自由なので構わないのですが、仕事の拘束時間が長く、年間休日も70日程度しかないなかで、Aさんは仕事以外の時間をパチンコ店で過ごしていたのです。さらに本業だけでなく、仕事が終わってからもコンビニの夜勤のアルバイトを始めるようになり、果ては会社に複数の消費者金融から、借金の督促の電話が掛かるようになってしまいました。
性格も変わってしまい、些細な事でイライラし同僚や後輩にをあたり散らすようになってしまいました。そのせいで次第にAさんは、会社で孤立していきました。私服もブランド品を好んで着ていたのですが、徐々に服装にお金を掛けていなくなっていき、やがて仕事の作業着が私服にしていました。これは私の偏見ですが、ギャンブルに嵌りだすと、ギャンブル以外の支出を減らそうとして、身なりに気を遣わなくなってきます。
次第に職場の人間とトラブルを起こすようになり、最後は上司にも暴言を吐いてしまうトラブルを起こしてしまいます。それから連絡もなく会社に来なくなってしまいました。会社から自宅に電話すると、彼の母親が応対したのですが、歯切れの悪い返事しか返ってこなかったそうです。聞いた話ですが、両親が借金を返済したようです。本人が依存症だと気付かずに親が尻拭いをしているようでは、同じ事を繰り返すだけです。
ギャンブル依存症〜競艇
上の話の登場人物の上司ですが、実は彼も競艇にはまり、離婚・自己破産をした過去がありました。かつては、1日で30万〜40万ほど賭けていたそうです。ひと月の給料をほぼ使っていたという事になります。はたから見れば無謀ともいえるお金の使い方ですが、本人たちには、何よりも代えがたい強い快楽をもたらしているのです。
最近、パチンコ屋のトイレなどで、「パチンコ・パチスロは適度に楽しむ遊びです」というキャッチコピーとご丁寧に相談窓口のポスターが貼られていますが、ブラックジョークにしては、シニカルな笑いしか出てきません。
3回に分けて書いてきましたが、簡単には抜けだせないのが依存症の怖さです。独りで悩まず、家族や相談機関を頼りましょう。
参考文献
LEGAL MALL ギャンブル依存症を克服して真っ当な生活を取り戻すための9つのこと
消費者庁〜ギャンブル等依存症でお困りの皆さまへ〜
https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_policy/caution/caution_012/
全日本遊技事業協同組合連合会(略称:全日遊連)
http://www.zennichiyuren.or.jp/activity/1.html
その他の障害・病気