相模原殺傷事件から3年になりました・後編~隔離と線引きへの本能

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◀過去の記事:相模原殺傷事件から3年になりました・中編~植松被告と面会した篠田編集長の足跡

3年前に起きた相模原の殺傷事件ですが、この事件で初めて津久井やまゆり園の存在を知った方も多いと思います。そして、障害者施設は人里離れた山麓などに建てられる傾向にあることも知れ渡りました。

植松被告の凶行によって浮き彫りにされたのは、人間が誰しも持っている潜在的な隔離への欲求です。それは障害者に対してだけでなく健常者同士でも言えることであり、未だに「価値・無価値」の線引きを勝手に行って悦に浸る人間は少なくありません。

分かりにくいと放り出したくなるのはある種の本能に近いです。しかし、その本能に疑問を感じることが人間らしさではないでしょうか。「内なる植松」から逃げずに対峙することで、人間として一皮剥けるのではないかと思います。

障害者施設の性質

重度の障害者を対象にした施設というのは外部との交流が少なく、ほとんど隔離と言ってもいい状況です。やまゆり園の元家族会代表だった尾野剛志氏によれば、「子どもを施設に入れたきり会いに来ない親や、亡くなられても同じ墓に入れない身内は実際に存在する。」とのことです。植松被告自身、会いに来ない家族や喜びを表現しない入所者に苛立ちと無力感を覚え、体罰など勤務態度が悪化した経緯があります。

篠田博之編集長からインタビューを受けた、重度の障害当事者である海老原宏美氏も、「生まれた子が障害を持っていると、周りは祝ってくれない。障害者は生まれた瞬間から歓迎されていない。」と人の業(カルマ)について語っています。

とはいえ、施設に預ける家族全てが隔離を目的としている訳ではありません。寧ろほとんどの家族は「介護する力も時間もない」「自分は仕事で両親は老齢、配偶者も病気になってしまい介護が出来なくなった」などやむを得ない事情で施設に預けており、時間を割いて面会にも訪れています。

施設か?地域か?

「障害者は施設へ」という固定観念を打ち破るかのように、重度障害者が地域で暮らしていくための支援体制は育ちつつあります。グループホームや訪問介護など、福祉的支援次第では地域で自立して暮らしていくことが理論上可能な領域まで来ているのではないでしょうか。(ただ、施設にはいつでも介護の手が回る長所があるので、コロニー型が前時代の遺物だと一概に言えない面もあるのですが。)

尾野氏は事件直後こそ「地域に暮らせる場所は少ないのではないか」と疑っていましたが、訪問介護などの支援を受けながら地域で暮らす重度障害者を何人も見て考えを改め、今では息子のアパート暮らしに向けて準備を進めています。

しかし「施設から地域へ」とは簡単に動きません。地域のグループホームが大型化することで、実質施設と変わらなくなるという懸念もあります。また、保育園や児童相談所の建設が反対された事例を踏まえ、グループホームなどの建設が周辺住民の反対に遭う可能性も指摘されています。

やまゆり園の再建計画に対して、コロニー型の障害者施設は時代に逆行するという反発がありました。だからといって地域に小規模のグループホームを建てるとしても、円滑に迎え入れられるのかは疑問です。重度障害者のライフスタイルを考えるにあたって、ここでダブルバインドを起こしている場合ではないと思うのですが。

「生きる資格」の線引き

人は誰しも潜在的な差別への意識・願望・欲求を秘めているものですが、普段はそれを表出せずに社会生活を営んでいます。ところが、ネット上の匿名空間ではそうした「頭の中の排泄物」がバラまかれており、大昔のパリのような様相を呈しています。公共の場で「頭の中の排泄物」を「お漏らし」してしまうケースは有名人でさえありますね。

植松被告がしたような「生産性」の傲慢な線引きは、今もネット上で対象を変えて行われています。オタク叩き・独身いびり・非正規労働者批判などは、時に過激思想や自己責任論との高い親和性を見せつけながら盛り上がっています。直接「死ね」と言っていなくても、生存する資格や条件を勝手に決めた挙句その埒外に蹴り出そうとする時点で一緒ですよね。

ただ、差別意識への対峙や抵抗は本能に逆らうためしばしば苦行となります。私も就労継続支援B型事業所に居た頃などは、「あぁ、あの人は一生B型に留まるんだろうな」と思ってしまい、言わないだけでも精一杯だった時期があったので、あまり偉そうなことは言えません。(さすがに同じ作業所で生産性の線引きなどはしません。)

「内なる植松」に向き合う一助としては、「生きるべき」という大前提を崩さないことが挙げられます。エビデンスなど二の次にして「何が何でも生きるべき」と考えることで、差別意識は多少なりとも中和されることでしょう。

なぜ「パンドラの箱」という題名なのか

植松被告の手記などを含めて出版された「開けられたパンドラの箱」ですが、なぜ「パンドラの箱」が題名に選ばれたのでしょうか。それは、潜在的な差別意識や欲求は誰もが抱いていると突き付けられたからだと思います。いかなる綺麗事も通用しない頭の中の紛争を、各人が対処せねばなりません。

無尽蔵に湧く差別願望を上手に処理できる人はまだ少ないままです。そのまま事件が風化してしまえば、相模原の教訓は何一つ活かされなかったことになるでしょう。「生産性」で線引きする思考に甘えず選民思想に迎合しないでいることは、ただ苦しいだけでなく発言に矛盾や二枚舌を生みかねないリスキーな姿勢です。「お前は植松が無期懲役になってもいいのか!」という藁人形論法も受けるでしょうし。

まずは自分自身の弱点という「マイノリティ部分」に目を背けず受け容れたり、「お互い様」の思考を磨いたりすることが、「パンドラの箱」に残された希望を見出す第一歩となるのではないでしょうか。

参考文献

差別とは何か?「社会の役に立たない人は無価値」と信じる人たちへ(原田 隆之)|現代ビジネス|講談社
https://gendai.ismedia.jp

「生産性」の呪いに抗うために ? 相模原殺傷事件から3年 ? 個人 ? Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp

相模原殺傷事件(やまゆり園事件)から3年。パンドラの箱の底にあるものは(碓井真史) ? 個人 ? Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp

障害者の暮らす場、施設か地域か 事件2年半で考える会:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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