相模原障害者施設殺傷事件、19人殺害の植松聖被告に死刑判決~共生社会へは寧ろスタート地点である

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本日3月16日は、相模原障害者施設殺傷事件における第一審の判決日となります。横浜地裁にて1月8日から公判が続いておりました。「生産性のない障害者は要らない」と掲げ19人殺害という未曽有の凶悪事件を起こした植松聖被告への判決が遂に言い渡されます。この判決は植松被告ひとりの処遇を決めるだけではなく、未だ共感する者もある優生思想への回答という重要な意味を含んでいます。

青沼潔裁判長が主文を後回しにすると、その時点で報道各社から速報が飛びました。世間の注目が大きいだけに主文後回しだけで速報となった形となります。傍聴席がコロナウイルス対策で10席程度に抑えられていたのも相まって、傍聴券の倍率は160倍にまで膨れ上がっていました。判決は死刑で、極端な優生思想に対して毅然とNOを突き付けることが出来ていました。

判決言い渡しは13時半からで、速報が死刑判決へと切り替わったのは45分後となります。ひとまず日和見の温情判決は避けられたので、判決理由について追っていきましょう。

弁護側の主張は退けられた

裁判の争点となっていた責任能力について、裁判長は弁護側の主張を全面的に退けました。弁護側は大麻精神病による心神耗弱を訴え無罪を主張していましたが、大麻の影響について述べた弁護側医師を含め完全に否定された形となります。

責任能力を問う上で重要なファクターとなる「行動の一貫性」については、計画性や犯行の経緯などから有意なものとして認められました。動機については「意思疎通の出来ない障害者は不幸を作り、彼らを殺害すれば世間から賛同を得られると被告は考えていった。」とし、散々におわせていた差別思想については「やまゆり園での勤務によって醸成された」としています。

死刑判決の理由については、「遺族の峻烈な処罰感情」と「19人の命を奪った甚大な被害と犯行の悪質性」を挙げています。判決後すぐ閉廷となりますが、植松被告は手をあげ「最後に一つだけいいですか」と制止しました。しかし発言は認められず、45分で閉廷となりました。

被告は最終意見陳述で「長い裁判で負の感情が湧きおこってきた」との理由で控訴の意志がないとしています。しかし公判中は「死刑に値するほどのことではない」と死刑を避けたがっており、主張の合わない弁護団とも最後は歩み寄っていました。

控訴についてはこちらのコラムの冒頭で触れている通り、ほとんど被告の意志で行うようになっています。有言実行ならば遅くとも「控訴取り下げ」という形で刑を確定させるでしょう。

問いはまだまだ続く

事件当初から「19のいのち」などにコメントを寄せていた映画監督の森達也さんは、植松被告の死刑判決に対し「終わらない問い」の存在を示唆しています。

「命の見方について被告は我々の矛盾を突いてきた。独善的に命の選別をした植松被告を、司法もまた『不要な命』とする矛盾。出生前診断など社会が何をもって命とするかという矛盾。それらを考え直す前に裁判が終わってしまった」

命の平等性を説くならば数多くの矛盾を生み、反省し続けねばなりません。しかし、「命を平等とするならば、なぜ植松被告の命を差し出さねばならないのか?」と問われて毅然と答えられる人間はそう多くないでしょう。明確な正解などありませんし、各々の思想や解釈がぶつかり合いかねない厄介な問いです。森監督の言うとおりに自問自答していては早々に参ってしまいます。

「司法の手で命の平等性を担保するには、理不尽に命を奪った重罪人の命を差し出すほかない。」では答えになりませんか。ならないのであればもう何も言うことはありません。せめて死刑の存在理由については「現代で被差別階級というガス抜きを作る最後の手段だから」と答えられるのですが。

膝をつく時を待っている

さて、植松被告ひとりを異端として裁き葬って終わりではいけません。「内なる植松と戦いつづけろ」という途方もないメッセージもあります。それ以上に植松被告自身が、障害者との共生を社会が諦め膝をつくその時を望み待ち続けているのです。

被告は公判中、「事件からの3年半で、社会は障害者との共生に傾いてしまった。共生など無理だと早々に悟ってもらいたい。」という旨の供述をしていました。共生を諦めることを確信しているようですし、期待すらしているふうに思えました。

被告は「やまゆり園の待遇が原因ではない」と施設を庇うような供述をしていました。額面だけで受け取ると、障害者施設のありようは事件に関係ないと見做していいことになります。しかし障害者施設(というより介護施設全体)の過酷な労働環境が入所者への憎悪へ転換される事例は枚挙にいとまがありません。裁判長も「被告の差別思想はやまゆり園での勤務で育った」としています。

まさか、「やまゆり園は悪くない。施設の待遇が原因ではない」と庇うことで介護施設を改善する議論をストップさせ、虐待を生む病巣のひとつを放置させようとでもいうのでしょうか。なんにせよ、共生社会を進めるうえでこの判決はスタート地点に過ぎません。今後の動き次第では植松被告に「それみたことか」と笑われる事態にもなるでしょう。

無反省については述べられず?

ところで、NHKニュースの記事に載っている限りでは裁判長の判決理由読み上げに「被告に反省の態度は無く…」という旨の文章が見当たりません。機械的ながらも謝罪の言葉を述べ、初公判では小指を噛みちぎろうとした被告ですが、従来の差別的な主張は全く崩さず心からの謝罪や反省については皆無でした。

もし「反省の態度がない」と裁判長が指摘していないのであれば、そこにも一考の余地はあるかもしれません。反省どころか挑発や罵倒をし続けた宅間守元死刑囚の判決要旨にも「反省の態度がない」とは書かれていなかったので、「深い意味は無いし見ればわかるだろう」という調子だったともとれますが。

テレビ朝日は13日に接見取材を行っていました。「美帆さん」の母親本人による意見陳述に対し、被告は「心に響かなかった」と酷薄な回答をしていたようです。被告の主張をそのまま返す涙ながらの意趣返しにすら動じなかった心境は却って気になるところですが、それを解明する機会はもうないでしょう。

参考サイト

池田小児童殺傷事件/宅間被告への判決(要旨)
https://www.jcp.or.jp

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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