ユニバーサルデザイン社会って何?
暮らし出典:Photo by Mohamed Nohassi on Unsplash
最近ユニバーサルデザインという言葉を耳にしませんか?
私は初めて耳にしたときは大阪のUSJのデザインだと思いました。よく似た言葉にバリアフリーという言葉がありますが、違いを簡単に書くとバリアフリーは今は広い意味で障壁をなくしていく事です。昔は特定の障害を持った人に対して配慮するバリアフリーに対して、ユニバーサルデザインは障害者も健常者も関係なくすべての人に対して配慮する事で共生社会には欠かせないものです。
現在45歳の私が生まれる前の障害者について話を聞くと、障害は恥ずかしいとされ身体障害者でも家族の恥とされ、家の中で一生を終える障害者も多数いたそうです。精神障害となると、当時の医学でも原因がわからない障害もあり、さらには精神病者監護法(1900年~1950年)で私宅監置という家に閉じ込める法律や、優生保護法(1948年~1996年)という子供を産めなくする法律さえもありました。当時、障害者は社会から切り離される存在だったのです。
私が学生時代、1980年代はユニバーサルデザインという言葉を耳にする事はなく、ようやくバリアフリーが言われるようになって来たところで、車椅子で動きやすい街づくりが始まったころでした。
そのころの社会の障害者のイメージは車椅子に乗っているか杖をついて歩いているかで、たまに全盲の人が白杖を突いて歩いている姿を盲学校の近辺で見かけたぐらいで、知的や精神・目や耳の障害については印象が薄かった気がします。
バリアフリーというとスロープやエレベーターを設置して段差を解消する話が多いですが、よく考えると歩道に段差がないと目が見えない人は歩道と車道の区別がつかなくなり逆に困ります。
バリアフリー社会では特定の障害を持った人にしか対応が難しいので、今世紀に入って言われるようになったのが「ユニバーサルデザイン社会」という障害者も健常者も関係なくすべての人に対して配慮する社会という考え方です。
ユニバーサルデザイン社会は街のトイレを見るとよくわかり、昔は車椅子用トイレとか障害者用トイレと呼ばれ、対象が車椅子か見た目障害があるとわかる人でした。最近はみんなのトイレと言い、妊婦さんや赤ちゃん、お年寄りや人工肛門の人など車椅子だけではなく配慮が必要なすべての人を対象としています。これがユニバーサルデザイン社会の考え方です。
バリアフリー社会からユニバーサルデザイン社会へと変わって障害者に対する考え方も変わり、障害者は保護する対象から、社会の一員として役割を持った人に変わり、障害があっても社会に関わる事が重要になって来たと感じます。
しかし、今の日本の障害者の社会との関わり方は、作業所で働いたりデイサービスに通って人との繋がりを得たりする事が多く、社会の一員として役割を持った人と言えるのでしょうか?
最近は一般学校で発達障害の子を見かけますが、まだまだ重度障害者は特別支援学校へ通うのが現状で、街や一般企業で障害者はあまり見かけません。
私のような重度障害者でも用具や制度などの力で障害をカバーすることで障害の有無は関係なく、誰もが活躍が出来る社会がユニバーサルデザイン社会です。最近は瞬き一つで電動車椅子やパソコンの操作が可能になり、障害が重くても社会の一員として活躍できる土台は出来ましたが、まだまだ「障害者は社会に護られる人」という考え方が根強いため障害者の社会との関わり方は昔とさほど変わってない気がします。
本当のユニバーサルデザイン社会を築くためにはどんなに立派な設備よりも、障害の有無は関係なく「社会の一員として役割を持った人」として見る意識が重要だと思います。
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