人間不信になった私が改めて見つめ直した、人を信じるということ
その他の障害・病気 うつ病出典:Photo by Daniel J. Schwarz on Unsplash
みなさんは人を信じて、裏切られた、騙された、という経験はありますか?
そのことによって、人間不信や対人恐怖に陥いるまでの状態になったことがありますか?
「まさに今!!」と、思われた方、本当に苦しいと思います。
私は過去の様々な経験から人間不信になり、それから人を見極めるということを異常なまでに重視してきました。恐らく"これ以上騙されて傷つきたくない"という、自己防衛のために本能的に人を嗅ぎ分けていたのだと思います。
そんな私が最近あった、とある出来事をきっかけに"人を信じる"ことについて改めて真剣に考えてみたことをお話しようと思います。
人間不信になったきっかけ
私が物心がついた頃には両親がいなかったため、祖父母のもとで育ちました。10代当時の私は、とても無知で純粋でした。
私はいわゆる"おじいちゃん子"で、祖父は唯一甘えることができ、それを受け入れてくれる私にとって大きな存在でした。
幼稚園の送り迎えでは、急な坂道を自転車の荷台に私を乗せてくれました。授業参観や学校や地域のイベントでは、若いお母さんお父さんに紛れて欠かさず出席してくれました。私の習い事や得意分野も誰よりも応援してくれ、支えてくれていました。
周りには親戚も多く、日ごろからたくさんの方にお世話になり支えてもらい、自分でいうのもなんですが割と真っすぐ素直に育っていました。
しかし、祖父が7年前に病気で亡くなりました。
昔からずっと大好きで、唯一自分の心の味方だった祖父が亡くなったことはとても悲しかったです。
しかし何よりも、その後の親戚達の対応にとても衝撃を受け、人間の裏側を知ってしまったショックで私は人間不信になりました。
まず祖父の死後のお通夜で、自分がよく知っている親戚が大きないびきをかいて居眠りをしている。親戚代表のあいさつは祖父を侮辱したような内容だったり、祖父が火葬される最中外では、堂々と煙草を吸いながらこちらを眺めていたり、葬式後の飲み会では祖父の悪口が飛び交っていたりなど……。大好きだった祖父のことを昔から信頼していた親戚達が侮辱している……。そんな姿が私にはとても耐え難く、そしてとても許しがたいものでした。
その後も親戚から祖母の悪口を聞いたり、不審な出来事が多々あり、私の中で人に対する不信感と恐怖心が強くなっていき、他のことも相まって「うつ病」になりました。
善い人たちに出会って……
人間不信に陥ってしまうと、ひどい時だと何もかもにも疑心暗鬼な状態で、自分以外の全ての人が敵のように怖かったです。当時はしばらく人との接触を避け、孤独な状態で過ごしていました。
そんな中うつの状態が少し落ち着き、縁があって就職した先で信頼できる上司に巡り逢い、関わっていくうちに私の人間不信は徐々に薄れていきました。
「世の中は悪い人ばかりじゃないんだ!善い人もちゃんといるんだ!」と気づいた私は、次第に行動範囲を広げ、関わる人も増えていき積極的に自己開示もしていくようになりました。
その後様々な紆余曲折がありましたが、行動範囲を広げたことによって、現在通っている就労移行支援事業所にも出会うことができました。このとき就労移行支援事業所に通うために受診したクリニックで、「発達障害」と初めて診断されたことによって私の人生は大きく変わりました。
現在通所している事業所では、自分と同じ障がいや疾患をもった人がたくさんいて、悩みや喜びを共感でき、同時に励みや刺激をもらえとても大きな支えとなっています。また支援スタッフさんは本当に一人一人を見ており、私自身も背伸びをしなくても安心してありのままでいられて信頼できる存在です。
自分の中に存在する、警戒心とピュアな心の葛藤で辛くなる……
そんな様々な人との出会いに恵まれていた中、私はつい先日、初めて心から本気で好きになった人と出会いました。
しかし、その人のことを知っていくうちにその人を信じている部分と信じられない部分とが生まれ、「もしかして全部騙されているのではないか」という葛藤が入り混じってパニックになり正常な判断ができなくなってしまいました。
頭の中はずっと「騙しているのか」「本当なのか」このことばかりが巡り巡って、ひどいうつ状態に陥りました。
「もし騙しているのなら早く分かって、この不安から解放されて早く楽になりたい……。なんなら、もう、騙していたって言って!!」
という、極端な思考に変わっていき、その人に対して「ペテン師」と吐き捨ててしまいました……。
その人からはアプローチを受けていたのですが、その後結局お断りをし、連絡も経ちました。
私は後に冷静になって今回のことを振り返りました。未だにその人が私を騙していたのかどうかは彼本人にしか分かりません。
しかし私自身が、「騙しているのかどうなのか」に異常なほどにこだわっていたことに気付きました。
それは私にとってとても重要なことで、過去のトラウマから騙されて大きな傷口を作ることを避けていたのです。自分の身を守ることに必死になっていたのだと思います。
そもそも私がなぜ、ここまで人を信じることに慎重になっているのかを改めて考えてみました。それは恐らく、自分の生い立ちからきていることに気付きました。
冒頭に述べたように私は幼少期から両親がいませんでした。そのことについて祖母からは「あんたらを捨てて出て行ったんやで」といった母親の悪口をことごとく聞かされて育ちました。そのせいで私は両親を恨んでいました。
好きになった人にマルチ商法を持ちかけられたこともあります。私はこれまで"裏切られた、騙された"経験から人間不信な状態に陥っていたのです。
おわりに
私の場合、あまりのショックから騙した相手を恨み、信じてしまった愚かな自分を恨みました。つまり、人間不信という状態だけではなく同時に自分自身も信じれなくなっていたのです。
しかし今は「自分が本当に心からその人を信じていたのならそれは事実であって、その時の信じていた自分の気持ちを素直に認めてあげるべきだ」考えることができています。
何かを信じるということは、同時にそれ信じる自分自身も信じること。信じた結果が的外れだったからといって相手や、ましてや自分を責めてはいけないと学びました。(限度もありますが)恨んでいた両親も、父は騙されて借金を背負って、母も嫁姑の関係に疲れ出ていっており、両親それぞれにやむにやまれぬ事情があったようです。
「騙された」や「裏切られた」という結果だけに囚われていると、疑心暗鬼でとても辛いです。
私が改めて学んだのは、「"人を信じる"ことは決して悪いことではなく、素敵なこと!!」「大事なのはその経験の後、時間をおいて冷静になって振り返り、気づきや学びを得ることだ」と気付かされました。
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