気分変調症の診断を受けた私~診断前とその後

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出典:Photo by Zac Durant on Unsplash

テレビやネットに紹介されるようになってから「うつ病」や「発達障害」などの精神病が社会に広く知られるようになりました。本コラムでは、さまざまな精神障害の中で「気分変調症」の診断をうけた私の身の上話や、困りごと、診断を経て思うことを述べていきます。

気分変調症とは?

気分変調症とは、比較的軽度な抑うつ感が2年以上にわたって持続する精神障害です。

一般的な「うつ病」は「生活に大きく影響するような抑うつ感」が診断基準として挙げられていますが「気分変調症」の憂うつ度合いは軽めです。しかしそういった「うつ病の診断までにおよばない抑うつ感」が慢性化しています。

うつ病が3か月から1年ほどの期間で寛解すると言われているのに対し、気分変調症は2年以上も症状が長引き生活や仕事に影響を与えてきます。

以上のような症状がともなうため、精神障害として診断をうける病気に分類されています。また市区町村の意向によりますが、精神障害者手帳も発行される障害のひとつです。

以降は、私が気分変調症を発症した経緯や、その後のこと、そして今思うことについて述べていきます。

診断がつく以前の私~幼少期から高校生時代まで

私は幼少期から、神経質で些細なことにこだわりやすかったと母が教えてくれました。また、すぐにくよくよしてしまう性格で、現在もそういったところを引き継いでいると思います。

小学生、中学生時代は特に落ち着きのない子どもで、周りよりも目立ちたい、面白いことをしたいという気持ちが全面的に押し出され、ときにはモラルを欠いた行動をしてしまう危うさもありました。とはいえ、このころは周囲の人間関係に恵まれ、困りごとや悩みとは無縁の生活を送っていました。

病気を患うきっかけとなったできごとは高校進学時に訪れました。初対面の同級生にひと言だけ悪口を言われたのです。今にして思うとたいした悪口ではないですが、当時の私はこのひと言により、心の中にあるガラス瓶をハンマーで割ったかのような衝撃を受けて、心の傷として深く刻まれてしまいました。

この出来事から、それまでの落ち着かなさや明るさから一変し、暗くて陰気な人間となってしまいました。それは人間関係だけでなく学校生活にも影を落としました。授業はまともに聞かず机で突っ伏し、少しでもだるいと保健室に駆け込み時間をつぶしていたのです。そんな時、保健室の先生はよく話を聞いてくれ、つかの間だけでも気が楽になりました。 文化祭や体育祭などのイベントには一切参加せず、両親には学校に行くよう強く言われていたので普段はしぶしぶ登校していましたが、それでも嫌な時は空き教室に勝手に入りサボっていました。

私がうだつの上がらない高校生活をおくる一方で、地元の友達は悲喜こもごもありつつも、高校生活を楽しんでいる様子でした。私はそんな友人たちにうらやましさといらだちを抱いていました。

このころから私は抑うつ感、悲壮感、ネガティブ思考に頭を占有されるようになっていったのです。

診断がつく以前の私~大学生時代

その後なんとか大学へ進学することができた私ですが、高校時代のトラウマもあり人間関係の構築には大変慎重になっていました。そんなとき、軽音楽サークルから入会の勧誘を受けました。高校生の時にバンド活動をしていたのでとても興味を惹き、入会以降は個性的なサークル員たちと大学生活を共にすることができました。

そんな一見順風満帆な大学生活をおくるなかで、私はある困りごとを抱えていました。どうしても抑うつ感が晴れないのです。サークル活動中でも、仲間や先輩と酒をくみ交わしていても、さらには下宿先でゆっくりしている時でさえ常に憂うつな気分がつきまとい、もやがかかっているようでした。深く落ち込むこともあれば、高校生時代の嫌な記憶を急に思い出し、少しパニックに陥ったこともあり、時には希死念慮に駆られることもありました。

こうした憂うつ感の持続は学業にも影響を与え、すべり出しは順調だった成績が年を追うごとにつれ先細りしていき、4回生になるころには留年一歩手前にまで落ちこぼれていました。

このとき私は、はじめて学内のカウンセリングセンターを受診し、就職活動と並行して心療内科にも通院するようになりました。そして就職が決まって卒業も何とか視野に入ったころには私の症状は緩和され、少しづつですが元気を取り戻していきました。

診断がつく以前の私~就職後

就職後、私が社会人として世間に関与した期間はわずか半年余りでした。就職してからというもの業務上のミスが頻発し、その都度店長や先輩社員に注意を受け、元々高くない自己評価がどんどん落ちていきました。ミスをしないように気を張り巡らしていると疲労がかさみ、集中力が切れるふとした瞬間にまたミスをしてしまうという負のスパイラルに陥っていました。

「それでもやるしかない」「もう店長や周りに迷惑はかけられない」「もう怒られる恐怖は味わいたくない」と自身にプレッシャーを与え、来る日も来る日も長時間残業をこなし、仕事が出来ない私に対する周囲の冷たい目線にも「私のせいだからしょうがない」と思いながら業務にいそしみました。

そんなある日、私はついに自分のミスによって、会社に対して損失を出してしまいました。当然店長もおかんむりで、まわりの社員さんもあきれた様子でした。すでに最低だった自己評価がさらに低下し、食事も喉を通らず睡眠も不安定で、ついには自殺を考えるようになりました。

その後しばらくして仕事でまた3つほどミスを犯しました。営業先での電話で店長に報告し、営業所に帰ってきたら「居残れよ」と指示を受けました。この瞬間私の中で何かの糸が切れ「死のう」という決意が確固たるものとなりました。そしてその夜、実行しました。 結局自殺は未遂に終わり、気が付いた時には病院のベッドで寝ていました。かたわらに両親が座り、その姿を見た瞬間私は泣いてしまいました。

会社には過労による昏倒と報告し、休職期間2か月を経て退職の運びとなりました。

診断前の私~離職後

離職後はしばらく大きな精神病院へ通院していました。カウンセラーや先生に事情を説明し、むこう半年は休養をとるようにと指示を受けました。この時点での診断名は適応障害でした。

離職直後の私は毎日お昼を過ぎてもベッドに寝たきりで、起き上がっても何もする気が起きず、ただぼーっと窓の外の景色を眺めて時間をつぶしていたのです。先生から言われた半年の休養期間をすぎても状況は変わらず、日々だらだらと時間を浪費している私に両親もだんだんいらだちを覚えているようでした。失意のどん底でしたが、いっこうに社会復帰のめどがたたない私に対して両親はついに怒り、口論になったり、いらいらしてものにあたったり、父に呼びつけられて怒鳴られたりなどして家庭環境が冷えていくのを感じていました。

そんな中、転院先のクリニックにて「就労移行支援事業所」の存在を知ったのです。当時はまだ精神障害の診断を受けていない身でしたが、社会復帰へのわずかな望みを抱いて門をたたきました。私はそこで事業所のスタッフさんに温かくむかえ入れられ、これまでの経緯について話すことができました。そして新たに心療内科を勧められ、そちらの先生から「気分変調症」の診断をもらい障害者手帳を受け取ることができました。

診断後と現在の私

手帳取得後、自身の働き方について考えてみました。それまでの職歴や離職の原因となった要素をスタッフさんの手を借りながら改めて見つめ直したのです。そこで私は「プレッシャーに対する弱さ」や「持続的な抑うつ感に伴う自己評価の低下」などの困りごとを洗い出すことができました。これらは自己対処を念頭にし、それでもカバーできない部分は「合理的配慮」という形で企業側に配慮を求めることにしました。つまり「オープン就労」をすることに決めたのです。

そして今現在も、オープン就労で就職活動しています。

これまでと、これからについて思うこと

私は今まで自分の「いたらなさ」や「できの悪さ」に焦点をおいて生きてきました。「なぜいつも気分が晴れないのか」「どうして仕事が長続きしないのだろうか」という問いに「根性なしだから」「怠けものだから」という答えを当てはめてねじ伏せてきました。

今は、自分なりにまわりへ理解を求めるための行動力を身につけることができました。これは私ひとりの成果ではなく、支えてくれたまわりの人たちのおかげだと改めて実感します。就労移行支援事業所のスタッフさんや、現在の主治医、私の障害を理解し配慮してくれるようになった家族など、たくさんの人たちに支えられて今を生きることができています。そしてそういった環境で過ごすうちに私は自分に対して少し優しくなることができたのです。

終わりに

私は精神障害「気分変調症」になってしまったことで、生きづらさや失望を感じていました。しかし、それでも前を向いて生きていけるようになったのは、たくさんの親切で優しい人たちが支えてくださったからです。 私はこの事実を決して忘れません。そして今は支えられているだけの私ですが、まわりからいただいた優しさや、親切をいつか社会に還元したいと決意しています。つらさや苦しみとまっすぐに向き合ってきた自分だからこそ、生み出せる何かがあると信じて日々精進していきたいと思います。

とはいえ、あまり意気込みすぎず自分のペースでものごとを進めていくのも大事です。「ゆっくりと幸せな人生に向けて歩みを進めていきたい」という抱負を表明して、終わりの言葉とさせていただきます。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

参考文献

【ひだまりこころクリニック 気分変調症・持続性抑うつ障害】
https://hidamarikokoro.jp/sakae

【ひだまりこころクリニック うつ病の回復はいつから?「うつ病に初めて診断された」方へ】
https://hidamarikokoro.jp/sakae/

かふか

かふか

「気分変調症」という精神障害を患っている男性です。就労移行支援事業所にて社会復帰に向け訓練に励んでおります。趣味は音楽鑑賞で、ドラムの演奏が得意です。川のせせらぎのようなジャズから、荒波のようなデスメタルまでこよなく愛しています。

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