双極性障害〜私の入院体験記

双極性障害(躁うつ病) うつ病

出典:https://www.photo-ac.com

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悪性症候群で意識不明の中、断片的な意識回復とせん妄状態をくり返した頭の中の面白ワールドをコミカルタッチも交え体験談を投稿します。

臨死体験で走馬燈を見た

意識不明の重症に陥っていた場合、臨死体験を皆さん殆ど覚えて無いそうです。何か分からないけど凄く怖い夢を見たという方が多いらしい。私の場合は臨死体験の走馬燈は結構記憶に残っていました。登場人物はアニメのキャラクターで、ドラえもんクレヨンしんちゃん、宇宙飛行士のアームストロング、昔仕事でお世話になった人、母方の祖母などが出てきました。

悪性症候群なので高熱が出ていたのだと思います。何故か私は月にいて太陽の放射する熱でもう持たないと思っていた時に宇宙飛行士のアームストロングが出てきて地球のNASAと連絡を取って地球に連れ戻してもらうという内容のものでした。

クレヨンしんちゃんは、みさえが出てきました。多分その時に妻が来ていたのでしょう。医者に横紋筋融解症の事を説明されたのでしょうか。頭の中で水戸黄門の歌が流れました。多分、横紋と黄門の空耳だったのでしょう。

ドラえもんはこれもまた環境に起因することで病院の近くに電車が走っていてそれが戦闘機のジェットエンジン音に聞こえたのだと思います。戦闘機から発射された核ミサイルをドラえもんの便利アイテムで打ち返した記憶が残っています。

私は意識不明の状態でベッドに固定されていました。しばらくはアームストロングが私の枕元に座っていました。次の宇宙飛行に連れて行ってくれるという約束を交わしました。
私は次の宇宙飛行に連れて行ってもらおうと階段を必死に登ろうとするのですがベッドに固定されており身動きが取れません。
やがて、アームストロングは宇宙船の出発時間に間に合わないからお前は置いていくと言われました。

そして、祖母が出てきて私に謝りました今まで赤マンガン電池で良く頑張ってきたね。今度はアルカリ乾電池を入れて上げるから、まだこっちに来てはイケませんと言われ、しばらく経ってから意識が回復しました。

身体拘束が解けた後もせん妄が続き隔離室で身体拘束されることに

目が覚めた後、私は点滴をされていました。しかしそれを何故か点滴と認識できず、身体に悪影響を及ぼすものと感じ、身体拘束されていた時に唯一動かせる首から上で点滴のチューブを銜えて引っ張り、薬剤が体の中に入るのを阻止していました。やがて、身体拘束が解けた後も、せん妄状態は残り続けました。病室の天井の点検口を開けようとしたり、病室の収納ボックスの鍵識別のための文字列を何かの暗号だと考えたりしました。時計も電波時計で秒針が滑らかに動くもので時間の把握がしづらく、何よりも病院のガラスが推測ですがアクリルガラスを使っていたのだと思うのですが太陽光の感じ方が全く違っていたのです。

妻は面会に来てくれましたが平日は仕事でこれません。でも不定期であることも原因だったのかも知れません。ついに私は誰にも接触されたくなり病室のドアに障害物を置きバリケードを作ったのでした。

やめるんだショッカーとせん妄の回復

隔離室に移され再び身体拘束を受けることになったのですが、ここである事件がおこりました。全く知らなかったのですが提携病院の皮膚科の先生による私の胸や背中の膿ニキビの診察予定日だったのです。隔離室に移され身体拘束とオムツをされてしばらくすると、白衣を着た見知らぬ人が来ました。そして、私の胸にあるしこりのデキモノに注射器の針を刺しサンプルを採取したのでした。何をされているのか分からない私は本当に、やめろ!やめるんだショッカー!!と心の中で叫びました。

そして、診察が終わり看護師も通常業務に戻り1人になった後、せん妄が解けるのでした。それはいつも感じている柔らかい太陽の光、秒針が一秒刻みで動くアナログの目覚まし時計、しばらくしてやってきた妻、やっと今現実の世界を生きているんだという実感を得ることが出来たからです。

病院という安心空間から自宅復帰訓練

12月の年末ようやく主治医から外出許可が出て、大丈夫なようであれば正月の外泊の許可を頂けることになりました。約1ヶ月ぶりに見る子どもはやや大人になった感じの印象を受けました。正月は自宅で過ごせるように外泊の許可が出たのですが、悪性症候群を患った後の私は極度の不眠を患っており睡眠薬なしでは自力で眠ることも叶いません。睡眠薬を飲み就寝しましたが夜中に救急車のサイレンが鳴って飛び起きました。この時に服用していた向精神薬の量が少量であったためか聴覚過敏に陥っていました。そして自宅で錯乱した時の状況を思い出すことがあり手指に振戦が発生したりしたので予定日数を切り上げて病院に戻りました。その後、向精神薬の調整を行い自宅復帰訓練を何度かトライしてようやく退院に漕ぎつけました。入院期間は約2ヶ月でした。

退院後から2回目の入院

退院後、すぐに就職活動を始めましたが15分の徒歩移動がしんどい状態での就職活動でした。主治医の意見書をハローワークに提出して雇用保険説明会を受けるのに必要な行程も当時の私には苦難の道のりでした。同職種の派遣の仕事についたは良いのですが、4日で参ってしまい退職することになりました。

退院後うつ状態が続いていた自分にはエビリファイという薬の単剤処方は合わなかったのかも知れません。
やがて、うつ状態は酷くなり病院に任意入院しました。薬を変更せずに入院していたのですが、日常とは隔絶された世界に嫌気がさして良くなった振りをして退院することにしたのです。

最後の入院から現在まで

うつの病巣を残したまま退院したので、すぐに体調は悪化します。やがて希死念慮を強く頂きインターネットで自殺の方法を検索するようになります。睡眠薬は死ぬのに1万錠も飲まないといけないだとか、電車に飛び込むと賠償金が家族に降りかかって迷惑がかかるだとか、手首を切っても出血多量で死ぬのにはかなり難しいだとか、死ぬのに余計な知識ばかりが入ってきます。結局は死にたい欲求と生きたい欲求が入り混じって頭が混乱してうつ状態が悪化したのです。前回の入院から日がそんなに経っていないため、急性期病棟には入れず慢性期病棟に医療保護入院することになりました。

慢性期病棟は認知がしっかりしている人には地獄絵図のような環境でした。解放病棟にも空きはあったそうですが希死念慮が強かったため慢性期病棟への入院となりました。

入院中に薬をエビリファイ漸減してから中止とし、代わりにバルブロ酸ナトリウムとクエチアピンという双極性障害の処方箋のお手本のような薬に変更されて一気に良くなっていきました。主治医曰く悪性症候群を患った患者の精神疾患の予後は比較的良い方向にあるということでした。慢性期病棟から解放病棟に移ってしばらくしてから自宅に戻り今は非常に元気なっています。

焦らずじっくり自分の感情をモニタリングする。

双極性障害は一般的には躁とうつをくり返す病気ですが、うつ状態で過ごす時間の方が長いと言われています。
だから、私は退院後に復職を焦らずに自分の心をモニタリングして観察することにしました。
私の現象では幸いにも気分変調はあるけども、平常心を保っている時間が長く、たまに軽躁状態になり易怒性が高まる程度で済んでいます。双極性障害の症状である、多弁や談話心拍、行為心拍なども自分でモニタリング観察できれば使いようによっては仕事上の武器にもなるのであまり気に病んでいません。最初の入院から約2年が経過して今は安定して就労移行支援事業所に通所できるようになっております。

余談

臨死体験の走馬燈で私の電池を交換してくれたお祖母ちゃんへ、私の電池を入れ替えてくれたのには感謝していますが、マンガン電池とアルカリ乾電池にはそれぞれ利点はあります。マンガンは休み休み使う物には最適の電池で、アルカリはパワー、容量が共に大きく長持ち。大電流で連続する機器に最適といった特徴があるんですよ。つまり今の私は少し元気すぎます。この記事を天国で見ていたら是非エネループに入れ替えてくださいね。
また、意識障害から覚醒した後に新聞で遺灰をロケットで宇宙に散骨する記事などを読み、私は意識障害の中で少し先の未来を見ていたのかなと思った次第です。

機械仕掛けのマリオネットによる双極性シリーズ3部作いかがだったでしょうか。前2部が読み手にも私にもまじめ過ぎて面白くないだろうと思いましたので、入院体験記は少しだけコミカルタッチで書かせていただきました。

機械仕掛けのマリオネット

機械仕掛けのマリオネット

双極性障害の40代男性です。平成19年にうつ病を発症。経過療養中に双極性障害に移行。一度は社会復帰を果たすも悪性症候群を発症し退職。現在は復職目指して訓練中です。

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