私と障がいとの付き合い(前編)うつ病になるまでの経緯~もがき続けていた頃
うつ病 パニック障害・不安障害 その他の障害・病気当時私は、まさか自分が精神障がいになるとは思っていなかったのです。
病気を発症しながらも飲食店で働いていた頃の話や、障がい者支援の支援員という立場だった時、そしてその利用者としての立場を経験した事を、私なりに伝えたいと思います。
最初の精神障がい
25歳の頃にファストフードチェーン店でアルバイトながらマネージャー職に就いていた頃です。店長より人材育成の責任者になって下さいと言われて、その責務に就きました。しかし、生真面目な性格をしていた私はしっかり責任を果たしたいと考えていましたが、店長はあくまで会社の命令に合わせて任命したので形だけで良かったのです。その為、店長補佐の社員さんが自身のお気に入りの人物を勝手に昇格させるなどの事があり、自分の権限が何処までの範囲なのであるのか?社員さんとの連携をどうすれば良いかを考えだしてしまい、見えないストレスが溜まっていっていきました。そんな中、社内コンテストに出ることになってしまい、一杯一杯になり、ある日の勤務中に過呼吸をおこして倒れてしまったのです。
たまたま後輩にうつ病を治療中の人がいたため、病院を紹介してもらい、先生に診て貰うことができました。診断名は「適応障がい」でした。周囲の反応は「働いて8年近くなるのに適応できないの?」と笑われました。私の周囲の認識はその程度だったのです。
その後、通院をしながら正社員登用を目指し仕事を続けていましたが、症状は安定せず自律神経失調症を併発してしまいました。さらに店長が変わってしまい仕事のプレッシャーは更に増して行くことになりました。
ついに倒れてしまったある日「弱すぎる、もっと強くなきゃいけない」と言われ、この仕事を続けることをあきらめてしまいました。その後、降格することとなり、他の仕事を探してヘルパー2級を取得し、訪問介護の仕事に転職する事になりました。
障がい別でも感じた差
ヘルパーとして働き始めて感じた違和感は、上司たちが精神障がいに対して軽く考えているでした。知的障がいや身体障がいの方に対しては時間厳守なのですが、精神障がいの方には「別に遅れていっても何も言わないから」とスケジュール調整を交渉しても全く相手にされませんでした。そういったストレスによってパニック障がいを発症してしまったので、その会社を辞めて休養しました。
その次に就職したデイサービスで、人権を重んじて真面目に支援する姿勢を学び、やりがいを感じることが出来るようになりました。
うつ病の引き金になった事
残念ながら怪我が原因でデイサービスの仕事を辞める事になってしまいましたが、そこで学んだ想いを自分の軸として、新しく障がい者支援で働く事を決意しました。そうして努めた就労継続支援A型の事業所では、それまでの経験をかわれてグループホームの支援員を兼任することになりました。ある日、一人の入居者様が周辺を散歩されている時に不審者と間違われてホーム周辺の町内会に注意される事が起きました。管理者はその方を外出禁止にすると言い本人の同意を得ずに全スタッフに指示をしました。その騒動の中で私は、他の入居者の方の入浴介助中に鍵を閉めて対応してしまったのです。私の中で支援員としての自分は終わったと思った瞬間です。
そして管理者や代表が「(精神障がい者より)知的障がい者の方がかわいい」「ストーカーみたいな事をしていたのだろう」言ったことで自分の中の全てが崩れていく事になりました。一人一人と向き合わずに、ただ運営の為だけにしか、障がい者を見ていない環境に私は耐えられなってしまい、うつ病を発症してしまいました。
利用者と支援者の壁
その後、障がい者手帳を取得して私自身が支援を受ける立場に立った際に感じた事です。
休養後に就労継続支援A型で働き始めた際に、管理者の方は私の経歴を見ていましたので、いずれは職員にしたいと思っていたようです。しかし、病み上がりの私には中々厳しくて、他の利用者の方との違いで悩み、職員の方に相談しましたが上手くいかなかったのです。管理者の方や責任者の方と話会った際に「私はこうしたら良いのではないかと思います」と伝えると、「どの立場で物を言っているの?」と言われてしまい返す言葉も思いつかず、それと同時に失望してしまいました。
そして私は暫定支給期間で利用を辞めてしまったのです。その時の私は、自分が何もできない人間だと感じていました。
ここまでは私自身が、もがいた経験です。当時はとても苦しく思っていたのですが、中々前に進むことが出来ずに自分自身を責める日々が続いていました。しかしこの経験は決して無駄ではなかったのです。この経験があったからこそ今の私がある、ということに気づくことになりました。
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