強迫性障害とともに生きてきて~私の人生
強迫性障害出典:Photo by Jonathan Borba on Unsplash
私は人生の半分以上を「強迫性障害」とともに生きてきました。主な症状は何度も手を洗ってしまう「汚染恐怖」と、不安で何度も繰り返し確認してしまう「確認行為」です。他にもありますが特に酷いのがこの2つです。
強迫性障害が発症してから現在にいたるまで、何度も回復、悪化を繰り返しています。ただ、回復といっても「病気が完治した」という意味ではなく、自分の基準ですが、症状が落ち着いて日常生活には支障をきたさないという意味です。私の場合、悪化すると家から出られなくなるぐらい症状が酷くなるので、回復は私にとっての最高に良い状態ということです。
そんな回復と悪化を繰り返してきた10数年の日々を振り返り、私が感じたこと、思ったことなどを書いていこうと思います。
変わってしまった日常
私が強迫性障害になったきっかけは、中学生になって入った部活動での"いじめ"です。同じ1年生の女子2人が主犯で、他の子達はそれに同調するような感じでした。それまでの私にとっての「学校」は友達がいてとても楽しいところでしたが、そのいじめをきっかけに「学校」というものは今でも思い出したくない、触れたくない記憶になってしまいました。
症状が出始めたのは、いじめにあってすぐでした。主犯の2人に対して「怖い」「嫌い」「顔を見たくない」という感情から徐々に2人がとても「汚いもの」という風に感じるようになったのです。そこから「2人が触ったもの」「教室」「学校」「学校にいる人達」と、どんどん汚いと思うものが増えていき「帰宅してからの異常なほどの手洗い」「学校のものが触れた場所の除菌(除菌スプレーをかける)(濡れティッシュで拭く)」「お風呂に長時間入る」という症状が出始めました。
当時はこれが病気なんだとは思っていませんでした。「汚いものに触りたくない」と思うのは当たり前のことだと思っていたからです。でも、自分がもう「しんどい」「辛い」「辞めたい」と思ってるのに止められない、訳も分からないこの状態はおかしいとは感じていました。
そのころは家族にいじめのことも、私が「学校」に関するものを汚いと思っていること、などもなにひとつ伝えていませんでした。自分がおかしいと感じていても、自分でも理解できていないものをどう説明すればいいのか分からなったからです。
そのため、母が掃除の際に学校の鞄や、教科書などを触ってその手でほかのものに触れたり、私が決めた「学校のものを置いて良い範囲」からものを移動させてしまったりと、私が嫌だと思うことをされてもやめてと言えず、いつも泣きながら除菌作業をしていました。
そんな私の異常な行動に気付き心配した母が、看護師だった祖母に相談して私のこの行動が「強迫性障害ではないか」と精神科に受診することになり、先生から病名を告げられて初めて「自分は病気なんだ」と理解しました。
そこから投薬治療が始まりましたが、私は薬の副作用で眠気がとても酷く、当時は1日の大半を寝て過ごす生活をしていました。そのときはすでに"相談室登校"でしたので朝は他の生徒達に会わないように時間をずらして登校し、相談室で1日1時間の先生との授業以外は眠り、帰りも他の子達より早く下校する中学時代でした。
天国と地獄
最初の回復は高校進学のときです。地元から離れた、私を知る人がいないところに進学し、環境が変わったことが良かったのか手洗いも落ち着き、お風呂に長時間入るということもなくなったのです。みんなと同じようにクラスで勉強し、友達と遊び、小学生のときのような楽しい高校生活を送っていました。家族もまた笑顔が増え、普通の女子高生を満喫している私を見て安心していたと思います。私自身のも「普通」の生活を送れていることが何より幸せでした。
それが、また症状が酷くなり、そして悪化しだしたのは通学電車のなかでいじめの主犯だった2人を見かけたときからです。過去のことが一気にフラッシュバックしてきました。また異常な手洗いが始まり、その他の症状も出始め、どんどん酷い状態になっていきました。
汚いと思う範囲も「通っていた中学」から「その学校周り」「住んでいる町」と、どんどん広がっていき、地元から離れた自分が大丈夫だと思える場所にしか外出ができなくなり、あんなに楽しかった学校にもいけなくなりました。また前の状態に戻ってしまったこと、あの辛い日々がまた始まるということが、私にとって何より辛く目の前が真っ暗になったのを今でも覚えています。
精神的にも不安定になり、家族も巻き込む強迫行為が酷くなったので母とぶつかることが増えました。行動範囲を制限したり、手洗いを強要したり、常に家族の行動を監視するようになったのです。母はちゃんと私が言ったことを守ってくれていましたが、私は不安で一杯で「あそこにはいかないでよ」「どこで買ってきたの?」「ほんとに?」「嘘ついてないよね?」「手を洗って」などと、当時は毎日のように聞いて確認していました。あのころは私も母もおたがいいにとても辛く、地獄のような日々だったと思います。
人生の転機
そんな地獄のような日々から解放されたのは、前回の回復のときと同じ進学のときでした。病院の先生に環境を変えることが大事だといわれたこともあり、いきたい専門学校がある県外へ進学し、ひとり暮らしを始めました。
これが一番良かったのだと思います。自分以外の行動を監視しなくてもよくなり、元凶である1番汚いと思う場所から離れられたので、手洗いの症状もほぼ落ち着き、人が触ったものが少し気になって手を洗う程度、人より少し潔癖かなと思う状態までになりました。新しい生活や、学校生活が忙しく考える余裕が無かったというのも良かったです。私が何よりも望んだ普通の日常生活をまた送れるようになりました。無事に学校を卒業して働きだしてからも、3年の間はこの状態が続いていました。
何度も繰り返す
悪化しだしたのは、職場が変わったころです。人間関係が原因で、女性社員2人からのいびりや職場での仲間外れ、中学時代のいじめを思い出すようなことをされました。そこからまた「長時間の手洗いや入浴」「確認行為」の症状が出始めて、特に2人に対しての恐怖から仕事をちゃんとできているかという「確認行為」が酷くなり、それをきっかけにどんどん悪化していきました。職場でのことや、毎日の強迫行為によって精神的にも、体力的にも疲れ果て結局会社を退職することになりました。また家から出られない日々に変わり、私の生活はほぼ1日を「手洗い」や「入浴」の時間に費やし、頭の中では常に強迫行為のことを考えていて、うつの症状も出るようになりました。1日1日を何とか生きているような、1番酷い悪化の状態だったのです。
この後、引っ越したりと環境が変わったことによってまた回復しましたが、過去のいじめに結びつくような出来事がおこると症状が悪化してしまいました。そんな繰り返しを何度も続けていくうちに、少しのことが原因でも悪化のスイッチが入るようになったので、仕事をしても長く続けることはできなくなったのです。
会社には病気のことを伝えていなかったので「確認行為」が酷くて仕事のスピードが遅いことや、触れないものがあっても伝えられないので無理やり触り、結果何度も手洗いにいってしまいました。そのため仕事がなかなか進まなかったりして会社に迷惑をかけてしまい、退職することもありました。
私の支え
私はこれまで、障害のせいで学校に行けなくなったり、会社に行けなくなったり、自分のやりたいことができなくなったりと強迫性障害に常に悩まされ続けてきました。「どうして私は普通のことができないのだろう」「何で私はこうなってしまうのだろう」という思いはいつも頭の中にあります。
ただその中で私が恵まれていたことは、いつでも寄り添い、理解しようとしてくれて、支えてくれている家族の存在です。この10数年は私だけではなく、常に気にかけてくれる母や、心配してくれる家族にとっても、辛いことや不安がたくさんあった日々だと思います。
それでも家族はいつも私の味方でいてくれます。精神状態が不安定で当たってしまったり、強迫行為に巻き込んでしまったりと、たくさん迷惑をかけてきましたが、ずっと支えてくれてきました。できないことばかりで悩む私に長所を見つけて褒めてくれたり、少しでもできたことや、思えるようになったことに注目して評価してくれました。
そのたびに、つい悪い方に考えてしまう私を、こういう見方もあるのだと前向きにさせてくれました。こうして支えてくれる存在がいるから、何度悪化してもまた立ち直り、回復できてきたのだと思います。
新しい一歩
現在は症状も落ち着いて安定しており、これまでの体験から障害者雇用で、働きたいと考えて就労移行支援事業所に通っています。自己理解やコミュニケーションプログラムの訓練を通して、自分を見つめ直し、就職しても長く働けるように日々訓練に取り組んでいます。
就労移行支援事業所に通うなかで、ときおり体調を崩したり、症状が酷くなるときもありました。考え過ぎることがストレスになり、症状に繋がって悪化していくと、原因を学んだので、そのときはしっかり休み、趣味で気分転換をしたりなど「悪化させないこと」を第一に、自分なりに対処しながら生活しています。
最後に
私は自分のマイナスな部分ばかりに注目し、周りと比べてできないことが多い自分を恥たり、自分の病気を「悪」だと思ってきました。
今でもそう思う気持ちは残っています。でも、家族や支援者さんたちのおかげで、病気で苦しんできた私だから分かることや、できること、そしてこの病気の良いところなど、私のプラスな部分を学び、少しずつ前向きに考え、自信をもてるようになりました。 悪いことばかりにとらわれず、これが「私」なのだと自信をもっていえるように、病気と上手く寄り添いながら、この先の人生を生きていきたいです。強迫性障害