年を重ねるごとに楽になる統合失調症
統合失調症出典:Photo by Antonino Visalli on Unsplash
私の父はもう退職していますが、内科医でした。開業医ではなく、勤務医だったのでいろんな職場を経験してきたようです。退職前はいくつかの老健施設で働いていました。そこでさまざまな症例の人たちをみてきた中で、統合失調症の患者さんもいたようです。その経験から、若かったころとても不安だった私に何度もいってくれた言葉があります。
「統合失調症は年を取るごとによくなっていくから」です。
小学生時代
私は幼いころ「不安の多い子供」でした。他人の人生を知ることはできませんが、人よりは不安を抱えている頻度は多かったと思います。
私の小学生時代、苦手なものを3つあげるとしたら「体育」「音楽の歌のテスト」「給食のゆで卵」でしょう。他人からしたら「なんだ、そんなものか」と思われるかもしれませんが、私にとってはその予定が入るたび、心が重くなっていました。
特に「体育」は毎週3回はあったと思うので、嫌でない日と嫌な日は同じぐらいといった感じでしょうか。「歌のテスト」はめったにありませんでしたが、その分その日が近づくと「恥ずかしい思いをしたらどうしよう」と思って、家族がいないときを見計らって、お風呂場で歌の練習を何度もしていました。
「ゆで卵」は給食のメニューが配られてチェックするのですが、ほぼ1か月に1回はありました。これもその日にちが近づくと、「吐き出さないだろうか。牛乳で飲みこめるだろうか」と鬱々としていたのです。
小学生なりに悩みの多い子は多分多くいるでしょう。しかし、私の場合、その当日だけでなく「予期不安」が非常に多かったように思います。大人になって、統合失調症のお薬を飲むようになって気づいたことですが。
最近ではお薬のおかげで、嫌な予定が入っても先のことにとらわれることは特になく、当日我慢すればいいと思えるようになってきたのです。
統合失調症の緩和
私は、大学3回生のころから、本格的に統合失調症を患い始めました。それは日に日にひどくなり、社会に出てからも悪化し続けました。それを治したいがために病院ではなく、ネットで調べた催眠療法などに手を出したりしたのです。その結果「幻聴」「妄想」などの恐ろしい体験をし、3か月もの間、強制入院させられました。あまりのひどい状態に最初は薬づけでした。副作用もきつく、退院後もたくさんお薬を飲んで生活していたので、とてもしんどかったです。
当時、私は将来をとても悲観していました。そんなときに父が冒頭の言葉をかけてくれたのです。
「お父さんの患者さんにも統合失調症のおばあさんがいた。でも、年とったら楽なものでお薬なんか1日1錠しか飲んでいなかったよ」とのことだったのです。
若かった私は「そんな先まで我慢しないといけないの?」と逆に不安にもなりましたが、今となっては父がいってくれた言葉を信じられます。ひどい状態だった私もなんとか落ち着き、朝だけのバイトから始めて契約社員、正社員として社会で働くことができ、結婚・出産までできたのです。お薬もきついものから穏やかなものに変わっていきました。
年を取るのは素敵なこと
「人は変わることができるものだ」と最近感じます。小学生のころ、大嫌いだった「歌うこと」が大人になってから大好きになったのです。それも人前で。20代のころは1週間に1回のペースで友達とカラオケにいっていました。
私は3月産まれのせいか、小学生のころは人より「遅れてたいたな」と思い返すことが多々あります。小学校5、6年になれば周りの友達は好きな歌手や芸能人がいたのですが、私は特にいませんでした。それが、あとあと皆が聞いていた曲が「こんなにいいものだったんだ」と感じたり、好きな芸能人もできたりといったことが、少なからずあったのです。
中学生になると、毎日ラジオのカウントダウンに夢中でした。これが小学生のころだったら、音楽の時間もそれほど苦痛じゃなかったかもなどと思います。実際、音楽が好きになるにつれ、歌うことが楽しくて、楽しくて、毎日自分の部屋で歌っていました。カラオケにいくようになってからは友達にも「上手いね」といってもらえるようにまでなったのです。子供のころの自分に教えてあげたくなりました。
最近では、年を取るにつれ、対人恐怖が緩和されていっていると感じます。自分より上の世代の人々にはまだまだ症状が出るのですが、同世代や年下の人たちを怖く思わなくなってきたのです。これもまた「年を重ねるごとによくなっていく」ことの1つなのだと思います。
まず、私は20代のころ、30代の女性が非常に苦手でした。仕事をバリバリとこなしたり、ものすごいパワーで子育てをしている人たちを前にすると、非常に尻込みしていたのです。「失礼な口のききかたをしていないだろうか」や「常識の無い子だと思われていないか」とか色々考えてしまっていたのです。
それが今や40代になった自分にとっては、まったく怖くなくなったのです。「仕事をできる環境ならできて当たり前、自分もがんばってやってきた」という自信もありますし、子育て中のお母さんたちを見ても「ああ、がんばってるな。私もいろいろとがんばってきた」と思うと気楽に話ができるのです。
しかし、年上の人たちには、まだどう思われているかすごく気になります。たくさん子供を育ててきた人たちを前にするとやはり緊張するし「ひとりっこなんて楽でしょ」と思われていないかなどと考えてしまいます。
最近のことですが、自分の時間に余裕ができてきたので「もう少し何かできないか」と考え、スイミングスクールの体験にいってきました。ですが、通われている人々が全員年配の人で、しかもそういったところに通われている人々は非常にアグレッシブだったのです。
好意でいってくれている言葉や、仲間に入れてくれようとするのは非常にありがたいことだったのですが、やはりここでも対人恐怖が出てしまい、非常に言葉を選んで話したり、作り笑顔をしてしまったりしたのです。
これが「20年、30年先なら普通に話せたり、楽しめたんだろうなあ」と思いました。結局、通おうと思ったら家のことがおざなりになってしまったり、自分も疲れてしまうだろうと思い体験だけで、通うのはあきらめました。今、自分がするべきことは他にもいろいろあるし、心地よいと思えない空間に身を置くのはよくないと思ったからです。
私の昔の夢は「誰とでも気を使わずに話せるようになること」でしたが、普通の人でもそれは難しいのではないかと最近では思います。世の中にはそれぞれ違って当たり前の人々がいるものです。
その全員とうまくやっていくなんて、とうていできないだろうとその夢を手放しました。苦手な人とはなるべく距離を置くこと。その代わり少ない数でも気が合う人や、家族との時間を大切にしたいと思えるようになったのです。「八方美人にならなくていい」これが最近私が気づいたことがらの1つです。
確かに年を重ねるごとに、背負っている荷物が軽くなってきている気がします。