私の強迫性障害が少し良くなるまでの実体験・要因
強迫性障害皆さんは、強迫性障害をご存知ですか?不安に襲われる病気なのですが、その不安の内容は、中々理解されないものが多いです。ですが本人にとっては物凄く重要で大変な問題です。
強迫性障害とは
強迫性障害とは、強い不安である強迫観念と、それに伴う確認作業のような強迫行為という2つの症状がある障害です。酷い時には、強迫観念が次々と出てきて、強迫行為を繰り返してしまい、不安の渦から抜け出せなくなります。また、その不安の内容は現実的なものもありますが、当の本人以外理解できない内容のものも少なくありません。他人に話しても中々理解して貰えない日々が、私も長く続きました。中学2年生の時に発症し、もう10年以上の付き合いになります。
私の不安の内容
これまで、様々な不安に襲われました。どこか近くで火事が起こると、自分が関わっていないかと不安になり、カンニングをしたのではないかと不安なり、自転車で誰かにぶつかったのではないかと不安なり、自分のコレクションが汚れたのではないかと不安になりしました。どれも全く根拠もなくデタラメなものだと今ならわかります。ただ、当時は不安が全て正しいと思っていました。そして、本当に正しいのか強迫行為をする日々が続きました。特にカンニングの不安に関しては2年間ずっと悩み続け、食事も喉を通らず1ヶ月で10キロ痩せた時もありました。
不安が少し良くなったきっかけと自分が思う要因
大学3回生の始め頃、いつものように大学から母に電話をして、不安を聞いてもらっている時の事でした。ふと思いました。「どっちだっていいじゃないか」と。私の強迫性障害は、強迫行為をして不安の内容を白黒ハッキリ付ける事に重きが置かれていました。この時点で7年以上様々な不安で悩み続けた私は、脳が「もう限界」と赤信号を出していると感じました。白黒ではなく灰色を認められた日でした。この日以降、強い不安が出る日数は徐々に減っていきました。世で言う、悟りに近い体験をしたと自分では思っています。
このように考えられるようになった要因として、3つの要因があると思っています。1つ目は、悩み続けたこと。2つ目は、最低限行うべき事を行っていたこと。3つ目は、理解ある人々の支えがあったことです。1つ目の悩み続けたことに関しては、この時点で7年間、起きている時間は殆ど不安を考えていました。脳が赤信号を出す程考えに考え抜きました。2つ目の最低限行う事を行っていたことに関しては、どんなに辛くても通学を続けましたし、出席日数ギリギリですが大学まで卒業する事が出来ました。行うべきことを毎日こなしていたので、不安に飲み込まれ過ぎなかったと思っています。3つ目の理解ある人々の支えがあったことに関しては家族だけで無く、高校の担任、大学の職員さん等、様々な人々に支えて頂きました。皆さんが、私の不安を馬鹿にせず、真摯に向き合ってくれました。物凄く助かりましたし、とても感謝しています。
最後に、今まさに強迫性障害と戦っている人は、出来る限り強迫行為を我慢できる時間を増やして下さい。強迫観念が物凄く辛いのは私も重々解っています。先日、私も強迫観念に負けてしまい、強迫行為を行ってしまいました。ただそこで止められたので、不安の渦に入ることなく強迫観念も消えました。強迫行為さえしなければ、不安は徐々に弱まっていくと私は思っています。だから私も頑張るので皆さんも頑張って下さい。また、仮に強迫観念に負けて強迫行為をしてしまっても落ち込まないで下さい。強迫観念は凄まじいものです。中々、強迫観念に勝つことは難しいと思います。私もこれからも頑張りますので皆さんも一緒に頑張りましょう。
強迫性障害