統合失調症になりやすいといわれる性格と統合失調症を患う私自身の性格を比べてみて思うこと
統合失調症因果関係ははっきりしていないものの、統合失調症の発症に何らかの影響があるとされている一定の性格傾向があります。例えば、内気でおとなしく、控えめ、神経質かと思えば無頓着なところもあり、傷つきやすいなどです。このことを知り、私自身の元々の性格と一致するなと思い当たった部分がいくつかあったので、実例を挙げながらお話したいと思います。
おとなしく、人見知り
小学生高学年ごろからおとなしく、人見知りをしてしまう性格だという自覚があり、クラスの中でも目立つ活発な子たちへの憧れがありました。憧れというより羨む気持ちと言った方が正しいかもしれません。しかし、小学生時代は少し勉強ができたこともあり、特にいじめられた経験は無くそれほどストレスのかかる生活ではありませんでした。中学高校時代は軽音楽部の入り、部活動に忙しい毎日で、友達といえば部活が同じメンバー、クラスに戻れば同じ部活のメンバー以外によく話す友人はおらず、孤立してしまった時期もありましたが、自分から積極的に話しかけることを心掛けると友人も増え楽しい学校生活を送っていた時期もありました。基本的には人と関わることは嫌いではなく、自分の心掛け次第、拒否された経験等のトラウマもないので、この積極性に関しては現在も自身の意思で改善できる課題だなと思います。
思考は完璧主義だが行動が伴わない
現在ではかなりましになりましたが、過去にはこうあるべきだ、こうしなくては、という思考になり、しかしながら行動は理想の姿に追い付かずストレスの溜まる一方でした。他には高い目標を設定しては達成できずなどです。私の場合、やるべきことをぎりぎりまで先延ばしにする割には、理想が高く、達成できずという繰り返しで疲弊してしまっていたように思います。現在では、まずはやるべきことを先延ばしにしない、60点取れれば合格だ、などと意識的に考え方を変え生活しています。
プライドが高い
プライドの高さが傷つきやすさの原因になっていたかもしれません。私の場合、小学生時代に勉強がよくできるいわゆる優等生だったという成功体験をいつまでも引きずり、大人になってからも、失敗するのが嫌だ、人から怒られたくない、できる人と思われたい、などの考えにとりつかれ、しかしながら、現実の自分はもう何でもできるような人間ではない、というギャップに苦しみました。プライドが高い割には努力が嫌いということも悪影響でした。20代後半となった今では、思春期も超えたこともあり、またたいして何もできない自分を自覚し始めたことでプライドの高さは薄れたように思います。しかしながら根本的には失敗したくない、怒られたくないという思いは残っている自覚もあるので、このような思考といかに付き合っていくかを今後も考えなくてはいけないなと思っています。
よく取り越し苦労をしてしまう
例えば、大した内容のメールを送ったわけでもないのに、返事が来ると何か嫌なことが書かれているかもしれない、見たくない、そして返事が遅れるという失敗を繰り返していた過去があります。これ以外にも、こんなことを言ったら怒られる、こんな行動をしたら嫌がられる、というような、実際に行動してみたらなんら問題無く済んだようなことでも、行動に移すまでには取り越し苦労があって、ということが多々あります。先ほど挙げたプライドの高さも災いしているのではないかと思います。この考えは、取り越し苦労した後にそれほど大きな失敗はなかったという経験をいくつもしている割になかなか治らないな、と今でも自身の課題に感じています。
今回この記事を書かせてもらうにあたり、自分自身の自己分析も進んだように思います。改めて自分は元々こうゆう性格もあったな、と発見もありました。しっかりとした自己分析を踏まえた上で、自身の欠点を見つめ、少しずつでも変わることが、病気の治療へと繋がるのかもしれません。
統合失調症