「休むという仕事」で救われた〜次長課長・河本準一さん、うつ病とパニック障害を語る

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・メイク:GLEAM
・衣装:神山トモヒロ
・撮影:川田直美

お笑いコンビ「次長課長」の河本準一さんが、6月にうつ病とパニック障害の公表をされています。今回、河本さんにインタビュー取材をさせていただきました。

通院のきっかけ

── パニック障害が発覚した経緯を教えてください。
「呼吸のしづらさ、どちらかといえば吐きにくさが最初の違和感でした。横隔膜のしこり、喉元にビー玉のような感覚もありました。睡眠不足でもこういう傾向にはなりましたけれども」

── その時は病院などにかかろうと考えましたか。
「それ以前に膵臓と糖尿病で薬漬けで検査も沢山あり、これ以上薬を増やすのを避けられるなら避けたいと思っていました」

── ドクターとの関わりはどうでしたか。
「自分は昭和の人間なので無意識のうちにサボりや怠けを恐れていました。それで印象的だった一言が、『今から“休む”という仕事を与えます。スマホも切って』でした。誰からもそう言われたことはなかったんです」

── 病院以外、例えば行政サービスなどは受けましたか。
「姉が来てくれた時は心強かったです。通院そのものへの励みになりました。身内なので異変にはすぐ気付けるんです」

止まっていいというアドバイス

── パニック障害の発症はいつから、どのペースですか。
「具体的にいつからかは分かりません。ただ昔は、うつ病やパニック障害という表現がなかったわけで、分からないですよね。呼吸が浅くなると言い出せばずっと前からあったような気もします。芸能は緊張と隣り合わせなので、過呼吸になることもありました。それで去年くらいに限界を感じましたが、SOSを出してもなお仕事を続けていました」

── 物事に楽しさを感じにくくなったのはいつからですか。
「去年の10月くらいからでしょうか。ただ、一回一回の仕事やウケに達成感を抱くとそれはそれで持たないので、当たり前と思うしかありません。ウケるよりも、スベったのをフォローできた時に嬉しさを感じた程です。サッカー選手で例えるなら、点を取った時の嬉しさが希釈されていくような領域でしょうか」

── 20年前に見た『人形劇』のコントは衝撃的で、ずっと自由に演じてこられた印象がありましたが、実際は必ずしもそうではなかったのですね。
「(披露する)ネタには時間制限が決まっているので、必ずしも自由とは言えません。ただ自由に見せていたというだけで。そこに責任感や真面目さを持ちすぎていたと、お医者様から指摘を受けましたね。もう少しずさんでいいというか、任せられる部分は任せる、任せることに慣れるべきだと。いずれも人生で一度も言われたことのない言葉でした。『全部ストップしていい』『足を止めていい』『スマホを切って天井を眺めていてもいい』『嫌なことを考えても、悪夢を見ても、それを持つのは唯一自分だけ。自分を否定してはいけない』など、言われたことのないこと、金脈を掘り当てたような感覚でした。止まるな・走れ・サボるなの世界、お前ならできるの世界。それと逆のことを言われたのが、症状が和らぐ契機でした」

── どん底から復帰までの実感などはありますか。
「実感と言えば、私生活で動悸が減ったのと、集中できる趣味が2つくらいできたことですね。野球観戦ならボーっと見られますので、時間をかけられます。メジャーリーグなら、眠剤の切れる朝方に起きてすぐ見られるので、これを唯一の楽しみにしています。日記をつけるのも、後で自分を俯瞰できるのでハマっていますね」

隠し通す時代を越えて

── 病名の公表に抵抗はありましたか。
「抵抗はありましたけれども、自分について隠し通す時代を皆乗り越えてきたわけです。なりたくてなった訳でもないし、目標にするものでもない。『笑顔うつ』なんて言葉がありますけれども、人前で楽しそうに笑顔を振りまく姿を『普通』と見なされる裏で一人泣いているわけじゃないですか。そういうやせ我慢をしなくていいように、まず自分からメディアで言う。それが、恐れて隠そうとしている人が勇気を出す第一歩になればと思います」

── 身近な人、会社の人の反応はどうでしたか。
「全員が『まさか』だし、『頑張れ』と『大丈夫か』しかないですよね。言葉をかけるのが難しいのか、この病気が認知されていないんですよ。『頑張れ』と『大丈夫か』という言葉が苦しいことに気づいてほしい。この病気になった方というのは全員『よう頑張ったな』って言ってくれるんです。ネプチューンの名倉さんからは『よう頑張ったな』って最初に電話がありました。声の掛け方が経験した人と経験していない人では違う。無理に声をかけなくていいですし、一人になりたい時は一人にしたほうがいいんです。『孤独』と『孤立』は違って、自分なり生きていける『孤独』がいいんですよ」

── 一人の時間というのも大切ですよね。
「喋れる相手が多いほどいいと思われるでしょうが、それ自体が我慢になっているものです。一人にしたら危ないと思わないでと伝えたいですね。一人で考える時間や楽しめる良さ、個人差のある一歩一歩、歩いていいと思います。日本人、走りがちですから。病名を公表してから、これらがまるで登山のザックを下ろしたように楽に言えるようになりました」

── ラジオ復帰時の井上さんの対応が、いつも通り雑な感じだったのが印象的でした。
「“雑さ”がかえって楽なんです。中学から同級生で37年、家族よりも誰よりも長く一緒なので、いたって自然な対応なんです。普通に友達が戻ってきたというようなニュアンス。何が起きても普通に接するのが、これぞ相方という感じですね」

逃げ場所を作ってもいい

── 復帰後の活動について目標などはありますか。
「50歳からのスピード感で、人間いつ死ぬか分からないし誰も教えてくれないので、先送りにしないことが一つですね。大病を二度したので、再発が怖いなら猶更です。農業も手伝っておりますが、芸能と二足の草鞋でやっていけるのであれば、やっていきます。太陽を浴びて土をいじったり、日本を出てマレーシアに行ってみたりするのも、心の拠り所に変わっていきました。皆様に伝えたいのは、苦しい時の逃げ場所は早く見つけたほうがいいことです。言うなれば、ハンターのいない『逃走中』、どこへ行ってもいいんです。自分の生活圏に留まる理由はなく、変わる一歩になるのならば移住してもいい。環境を変えるのは自分次第、逃げ場を作ってもいいんです」

──1度ミスしたら終わりの社会をどう生きるかでもありますね
「1アウトしたら3アウトみたいな風潮はありますが、法律でも何でもないルールに縛られる必要はないと思います。ただ弱者に寄り添う社会であってほしいですね」

──最後に、今頑張っている方や苦しんでいる方へのメッセージを。
「落ち込みがちな中で180度違う意見を頂けたのは、語弊を恐れず言えば宝物を掘り当てた心境でもあります。これがなければ、もっと悪い疲弊の仕方をしていたかもしれない。気づかせてくれる第一歩でした。マイナスでもマイナスをかけてプラスになると思えば、いつでも止まったり逃げたりできる。自分の人生だからいつ再スタートしてもいいし、他人に急かされる道理もありません」


・準組 公式通販サイト
https://jungumi.com/

・河本じゅんちゃんねる
https://www.youtube.com/@komotojunichi

・【緊急動画】病気のことを全部話します。
https://www.youtube.com/watch?v=1Tmp31VifkI

・次長課長 河本準一 X
https://x.com/junkoumon

・吉本興業株式会社
https://www.yoshimoto.co.jp/

障害者ドットコムニュース編集部

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「福祉をもっとわかりやすく!使いやすく!楽しく!」をモットーに、障害・病気をもつ方の仕事や暮らしに関する最新ニュースやコラムなどを発信していきます。
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