グループホームに住んでみて知った(2)~とあるアラフォーADHDの一意見

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出典:Photo by Carolina Heza on Unsplash

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在宅研修を受けることにより、日々のささやかな息抜きがいかに自分にとって無くてはならないものであったかを思い知った私。しかし、問題はこれだけではありませんでした。同じ屋根の下で長期過ござるをえなくなった、家族との心のすれ違い、不満。そして昔から感じていた恐怖心。やがてそれらがストレスとして精神をむしばみはじめることを、その時の私はまだ知りませんでした。

事の発端②家族が、しんどい

これまで当たり前のようにしていた息抜きができなくなったことにつて、お話ししてきましたが、息抜きを失った私をさらに追い詰めた存在があります。

それは、私の家族です。

私には過保護気味の母親と、家族のことには我関せずな父親、不仲のため同居していても一切交流のない妹がいます。当然ですが私がずっと家にいることで、自然と家族と接触する機会は、緊急事態宣言前よりは確実に増えました。

さて、そうなるとひとつ屋根の下で何が起こったのか?これに関して、いくつかエピソードをあげていきたいと思います。

例えばまだZoomでの研修が終わってないのに「お昼ご飯できたけど食べる~?」と母に声をかけられる度に、昼食を作ってもらっていることを「忘れて大事な研修を邪魔された」「もう少し空気を読んで欲しい」というモヤッとした嫌悪感を抱いてしまうのです。非常に、非常にささいなことではあるのですが。

さらに別のとき、お昼の休憩はゆっくりと好きな本を読んだり動画を見たりして頭を休めたいのに「牛乳きらしちゃったから、そこのコンビニに買いにいって」と気軽に用事を頼まれることに「せっかくの休憩なのに、通所していればこんな事しなくていいのに……」と出かける支度をしながらモヤモヤが収まらなくなります。しかし、歩いて2分もかからないコンビニにおつかいにいってほしいという小さな「お願い」を「今休憩中だから休みたいし、外に出るのが面倒」と突っぱねるのも大人げないのではないかと、断るのを躊躇(ちゅうちょ)してしまうのです。

この「小さなモヤモヤの種」が次第にストレスへと形を変え、しんしんと降る雪がやがて大きな雪原を作るように、心の中にうずたかく積み重なっていきました。

家族のことをお話したときに不仲である、と説明した妹ですが、思えば小学3年生ころからあまり関係がよくありませんでしたし、ここ2、3年は冷え切っていたといえます。ある程度は予想していましたが、この緊急事態宣言中に関係はさらに悪化しました。

「ステイ・ホーム」が呼びかけられ始めたころから「三密」を避けるために、いわゆる「Zoom飲み会(LINE飲み会)」が一時流行したことと思います。実際にZoom飲み会に参加して日ごろの憂さをはらした方も、中にはいらっしゃるのではないでしょうか。

妹は休日には昼夜問わず大声で笑いながら友人達と、そのZoom飲み会を勝手気ままにする一方、いざ私が同じようにしようとすると「Zoom飲み会をやるなら必ず日時を事前に教えて」「昼でも夜でも大きな声で騒がないでね、私は時差出勤を指示されてるから朝7時半には家を出なきゃいけないし、休みの日は昼寝したいときだってあるんだからね」「仕事をしてないお姉ちゃんには、私の苦労は解らないだろうけど」と、イヤミを交えつつ母を通してさまざまな注文をつけてきました。

思えば妹は、物心ついたころから、たとえば私や母であれば気にも留めない、ささいな出来事や、私と母にはよく解らない理由でいちいち腹を立てていました。さらにいちど気分を害してしまうとカッと激高し、ときにキツい言葉で怒鳴り散らし、ひどいときにはテレビのリモコンなどの物を壁に投げつけ、ドアを激しくバタンと音を立てて閉める、などの威嚇行為をともなう激しいヒステリーを起こすのです。

そのため私が妹に対して一方的に恐怖感を抱いている、といった方がよいかも知れません。他にも急に私にだけに冷たくしたりするので、なにか彼女の機嫌を損ねることをしたのかな?と不安になるのです。そうかと思うと突然明るくにこやかに接してくる万華鏡のように変わる「ご機嫌」にどう対応していいかわからないのです。しかもこの不可思議なご機嫌のリズムは、本人以外の誰にも原理がわからないのです。

だからといって、気まぐれに理解に苦しむ態度をいさめることを母にお願いするような年齢は、私はとっくに過ぎてしまっています。ひとつ思い切って「こんなバカなことを繰り返すのはやめてほしい」ときっぱり妹にいえばいいのですが、そうするのは私にとっては蛮勇だとしか思えません。

緊急事態宣言中妹から無視されたり、冷たく睨みつけられたりしたときには、精神的にひどく堪えました。

事の発端③悲しい「飲み会」

なによりも寂しかったのはこれまで、趣味の会などで交流してきた友人達に会えなくなったことです。まず趣味の会はすべてコロナ禍の名のもとに全て中止となり、後はSNSなどでやり取りをするのが関の山になってしまいました。しかし、直接会えないならばインターネットを通じて「Zoom飲み会」をやればいいのでは?と疑問を持たれたみなさま、実をいうと私も流行にしたがい、その趣味友達と2度ほど「Zoom飲み会」をやってみたのです。

少し前にお話した「妹からの姉に対する注文」を読む限りみなさま、恐らく嫌な予感しか感じていらっしゃらないのではないかと推察します。はい、その予感は大当たりです。ではこれから、実に空しい飲み会の様子をお話いたしましょう。

まず飲み会では最初の「おつかれさまです~!!」の挨拶から出来る限り大きな声を出さないようにします。飲み会の会話中もなるべく大きな声を出さないように細心の注意を払います。

しかしそこに注意を払い続けるのは集中力を消耗してだんだん疲れてきます。さらにどうしてもお酒が入っているために普段より声が大きくなっている他の参加者より、同じようにお酒を飲んでいるのに自分だけ声が小さいのは不自然じゃないか、とささいなことが急に心配になりだします。そうなると、他の参加者日ごろの愚痴、笑い話や噂話に、ふうん、それは大変ですね、へえ~、はあ、そうなんですか~、と相づちのテンプレートの中から適当な相槌を選び、自分から話題を振らないことが一番安全だという結論に至ります。

しかしいくら注意深くしていたところで、お酒を飲んでいるのですからアルコールが徐々に回ってくると、ついうっかり面白い話にゲラゲラとお下品に笑ってしまうこともあります。その途端に「しまった!」と頭が真っ白になり、間髪おかず次にはヒヤッ、と冷たいものが背中を走ります。妹に聞こえたのではないかと気になってしまい、せっかくの楽しい話も頭に入ってくることはありません。

結局気を使い続けることに耐えられずに、理由を適当につけて早めに切り上げてPCを閉じ、加えて飲み会の最中は妹がいつ「うるさいな!」と怒鳴り込んでこないかという懸念が結構な度合で心に浮かび、飲み会のほとんどの時間は心から全く楽しめません。終いには飲み会が終わった後までも、妹が母に「お姉ちゃん、あれだけ静かにしてって言ってるのに夜遅くまでうるさかったわ」などと言いつけていないかと気をもむ始末です。情けない話ですが、妹が不在の時にこっそり母に妹からのクレームが入っていなかったか確認し、クレームが無かったことを知るとホッとしていました。

ということがありながらも次のZoom飲み会のお誘いが入ると、前回の飲み会の記憶も喉元すぎれば何とやらで、「よし、今日こそは楽しもう」と飲み会に参加します。ところがログインした瞬間に、前回の飲み会で全然楽しめなかったことを思い出し、今日も妹の機嫌を損ねないようにしなければ、というプレッシャーに絡めとられてしまい、結局前回よりも気疲れしてしまいました。 妹への恐怖感と母へのモヤモヤした不満が積み重なり、「Zoom飲み会」という新たなストレスが増えたことにより、5月ごろから「息苦しいなぁ、しんどいなぁ」と1人呟くことが増えました。

独り言として呟き始めた「息苦しさ」は真綿のように、じわじわと首ならぬ私の心を締め上げ始めました。やがて研修途中に気分の悪さから途中で一時休み出し、次第に研修への遅刻・早退を繰り返しはじめ、とうとう2日、3日と続けて休むようになってしまいました。

そしてなぜか妹に対する恐怖感だけが日を追うごとに増大し「彼女を怒らせてはいけない」「露骨に私にだけ態度変えられるのは辛い」「外出できなくて又イライラしている。もしもヒステリーが起きたらどうしよう」と、今までにも増しておびえる様になりました。そしてついに「妹のためにも私はこの家にいない方が良いんだ。そうすれば妹だって私がうるさくすることがないから自由に生活できるだろうし、働いている妹の苦労を分かれない無職の私なんか、死んだ方がいい」という激しい希死念慮が起きてしまい、ベッドから頭も上がらなくなるほど体調が悪化してしまったのです。

アラフォー、決断をする

家にいると体調が悪くなる一方で気持ちも休まらないので、私はウィークリーマンションやホテルに「緊急避難」することにしました。これは、以前にも妹に激しい陽性症状が出たときなどにもしたことがあり、大抵は妹が入院して家からいなくなれば終わりにしていました。

「緊急避難」している間は、ウィークリーマンションやホテルのベッドに寝転がってぼんやりとスマホをいじってみたり、好きな動画や映画を見たり、好きなだけ眠ったり、思い切って好きな果物をたくさん買い込んで食べたりやりたい放題して、家族のだれにも気を使わない自由を楽しんでいました。

家族というストレスから遠ざかっているので、数日もたつと私の精神状態は次第に落ち着いてきます。「では、体調も精神状態も改善したので家に帰ろうか」と帰宅するのですが私はこの時、大事なことを見落としていました。

よく考えてみれば、今回緊急避難しているのは妹の病状が悪化したというわけではなく、自分の体調不良を改善するためのものです。妹も母親も私が避難する前と後で心や考え方が変化しているわけではありません。帰宅したところで、私を待っているのは緊急避難前と同じ家庭環境でしかないのです。

避難前と全く変わらない妹の態度に傷つき、母から受けるモヤモヤストレスのために、私の体調はまたしても悪化の一途を辿り、家から避難しなければ体調が元に戻らないと思い詰めてしまいます。「緊急避難」を2度繰り返した結果、私の出席状況は何か月にもわたって長期の欠席・度重なる遅刻早退をくり返してひどいことになっていました。

2度目の「緊急避難」から帰ってきて自室に入ったとき、私は直感的にこう思いました。

「もうこれ以上こんな事を続けていてはいけない。この家を出よう!」

「緊急避難」するためには自分でホテルやウィークリーマンションをネット検索して探し、財布の中身と相談して予算内に収まる所に決めます。次に予約の電話やネットでの入居申し込みをし、場合によっては契約書を交わます。それを起きているのも辛い体でこなしたうえで、2週間くらいは避難先で過ごせるくらいの荷造りをしなければなりません。

極めつけは、荷物がつまったスーツケースをゴロゴロ転がして、ホテルやウィークリーマンションまで息も荒く重い体を引きずっての徒歩移動。そこへ追い打ちをかけるかのように、すれ違う時に「まったく、こんな時に、旅行にでも行く気か?」と言わんばかりの視線を投げかけてくる人々。

体調を崩している私には相当につらい経験でした。

こんなことを何度も繰り返していては、いつまでたってもフルタイムで研修を受けられません。体調が安定しないままでは、就職活動がいつから始められるのかさえ目途が立たちません。(→次回に続く)

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オランプ

オランプ

長年にわたってうつ病で苦しみながらも病気を隠して働き続け、40歳になる前にやっと病気をオープンにして就労したものの生きることのしんどさや職場でのトラブルは軽減されず。実はうつ病の裏に隠れていたものはADHDであり、更に気が付けばうつ病も病名が双極性障害に変化。これだけ色々発覚したので、そろそろ一周回って面白い才能の1つでも発見されないかなーと思っているお気楽なアラフォー。
実は自分自身をモデルにして小説を書いてみたいけど勇気がない。

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