障害を隠しての生活~障害者と気付かれないように、普通の人を演じる日々

強迫性障害

出典:https://www.photo-ac.com

私が強迫性障害を発症したのは、中学2年生の時でした。

当時は主治医も数回変わり、診断も二転三転しました。「性格」と言われたこともあります。現在の信頼できる主治医からは、強迫性障害という診断を受けました。オープンでの就活に向けて、大学を卒業後に障害者手帳も取得しました。それまで私は、障害のことを隠して生活を送ってきました。

その時のことをお話しします。

少し変な奴

中学生の頃、私は周囲に自分の障害を、打ち明けたくありませんでした。自分でも障害に対して理解が浅かったので、家族以外の人への説明や理解をしてもらおうとは、あまり思いませんでした。そして何よりも、今の関係性が壊れるのではないかと、不安だったからです。

中学2年生はじめの頃、私には多くの友人がいました。その人達に気付かれないように、強迫行為(心配事を確認する作業)を行っていました。具体的には、同じ事を何回も友人に聞いたり、同じ物を何回も買ったりしました。周りからは、心配性や凝り性だと思われていたと思います。外では出来るだけ普通の人を演じることを意識していたので、障害者だとは気付かれていなかったと思います。ですが、段々と症状が悪化し、友人からの遊びの誘いを急に断るなど、周りの方が不思議に思う行動が増えていきました。

中学卒業時には、少し友人は減ってしまいましたが、多くの友人からは「少し変な奴」として認識されていたと私は思っています。

アームカットを隠して

高校になっても症状が改善しない日々が続きました。

私の高校は進学校で、とても厳しいスケジュールだったのも、関係していると思います。また、この頃はまだ親の理解も少なく、気持ちが通じない辛さから、アームカットをよくしていました。そして、体育や水泳の時に、友人にバレたくなかった私は、大きな包帯を腕に巻いていました。先生方には事情を説明していましたが、友人には皮膚が弱いと告げていました。ありがたかったのは、友人達があまり深く詮索してこなかったことです。高校時代も、普通の人を演じるように努力していました。

その結果、友人達には隠しきり大学に進みました。

隠れて電話 そして障害を打ち明けた

大学1回生秋学期から、通学時間の関係で1人暮らしをはじめました。

1人暮らしのストレスと当時抱えていた強い不安のため、毎日かなりの時間、母に電話をして不安を聞いてもらっていました。下宿先だけでなく、講義の間や友人と一緒にいる時も、隙をみて電話をしていました。

そんな大学生活を送っていた私ですが、友人にとうとう障害を打ち明けなければならない時が3回ありました。実は、中学生の時にも1人の友人に「病気」とだけ伝えた事はありました。ですが、私の伝え方が悪く、理解してもらえていないと思います。大学生のこの時も、私の伝え方が悪く、恐らく理解してもらえていないと思います。自分勝手な押し付けのような伝え方だったので、当然だと思います。
もっと段階を踏んで、相手の事を考えて、伝えるべきだったと凄く反省しています。

障害者手帳を取得してから、就労移行支援事業所に通いはじめました。
普通の人を演じる必要がなくなり、強迫性障害を持つ1人として通所しています。とても気が楽になりました。
障害や特性、境遇は違いますが、他の利用者の方と一緒に就職を目指せるのは、ありがたい事だと思っています。ですが、障害を持たない人に打ち明ける事については、まだまだ私には、勇気がありません。

私は今、高校・大学と一緒だった友人とよく遊んでいます。一番大切な友人です。ですが、まだ障害のことは打ち明けていません。
友人が障害者に対して少しマイナスなイメージを持っていることもありますが、なにより勇気がありません。本当に大切な友人だからこそ、然るべき時が来たら、しっかりと勇気を持って伝えたいと思っています。

海老田釣り之介

海老田釣り之介

強迫性障害と戦っている、釣りとゲームが大好きな20代男性

強迫性障害

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