私の生きてきた52年間を振り返って

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出典:https://www.photo-ac.com

私は52歳です。今とこれからのために、自分の52年間の人生を振り返ってみます。

1966年、3人姉弟の二女として生まれました。父は自宅で婦人服の縫製をしていました。母も父の仕事を手伝っていました。家の1階が両親の仕事場で、2階が住居部分でした。父はT社の車が好きで、新車が出る度に買い代えていました。家にはカラーテレビが3台あり、子供の頃からテレビのチャンネルの取り合いをしたことがないくらいです。冷蔵庫も2つありました。月に1回は家族で外食をしていました。そんなに大きな家ではありませんが、広々とした感じの家です。両親が頑張って働いて父が26歳、母が25歳いの時に誰からの援助もなく、自分たちの力で建てた家だそうです。私が小学校の5年生の時に3軒隣の古い家も買って、つぶして新築で建てました。

毎週土曜日は、母がお菓子をいっぱい買ってくれて、姉弟3人でテレビをみながらお菓子を食べたりジュースを飲んだり、家中走り回ったりよく遊びました。元気のいい小学生でした。中学になって勉強に目覚めてよく勉強しました。このころから友人との人間関係で悩むことがでてきたりしました。当時は自分だけが悩んでいるように思っていましたが、後から考えると、みんな大なり小なり同じように思います。思春期をむかえて、両親に対して反抗的になったり、些細なことで悩んだりと、まあ普通の中学生でした。高校は無事志望校に合格しました。医療系の資格を取りたくて公立の専門学校に進学しました。専門学校時代は良く遊びましたが勉強もよくしました。国家試験に合格し資格も取得し就職も決まりました。ここまでは順調だったと思います。

卒業して就職してからが嫌なことの始まりでした。社会人て大人やん、なんでこの人はこんなに幼稚なの?この人はなんでこんなことするの?私には理解できないと苦悩する日々でした。よく社会人になると、学生時代がいかにいいか痛感するといいますが、本当にそう思います。職場を退職して、次は全く分野の違う事務系に就職しました。この職場が悪夢のような変な人たち、ものすごく幼稚で耐えられないくらいの性格の悪い人が何人かいて、私は何もしていないのに、「いじめられた」と嘘の作り話を毎日のようにします。私の担当の仕事が無事終わると、私がした仕事を自分がしたことのように周りに報告し、おまけに自分の手柄のように、「自分は仕事ができる」と自慢するありさまです。一日中私のことを見張っているような感じで、この頃から精神的に落ち着かず、仕事中に動悸を感じたりするようになりました。集中力が続かなくなるとトイレに駆け込み、「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせて自席に戻る日々が続きました。上司から「ノイローゼとちがうか?」って心配されたこともありました。今思えば、その頃の私は既に精神的に病んでいたと思います。約8年勤めて退職しました。

退職後は国内旅行の添乗員の資格を取り添乗員の仕事と、カード会社でのアルバイトをしていました。ただ、毎日自分が見張られているように思えて、被害妄想をいだきながら働いてました。だんだんと妄想や独話がひどくなり、結局仕事を全部辞めて実家に戻りました。それからは入退院を繰り返す日々でした。

病気になって約20年、確かに無駄にしたことも多いです。20年たってやっと現実が見えてきました。自分がいかに狂っていたが、自分の思いこみや妄想の多さには今更のごとく深く反省してます。家族や友人にどれだけ迷惑と心配をかけたか、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。本当の自分にやっと気づいたように思います。病気を受け止めると人に優しくなりました。すると自分自身が精神的にすごく楽になります。無駄から学んだことも多いです。私の人生はそんなに悪くない、今を大切にこれからを見据えて日々人生最後の就職活動を頑張ります。

yukoばばあ

yukoばばあ

52歳。30代から統合失調症になる。40代になって強迫性障害も発症する。幻覚、幻聴、妄想状態になり、現実と妄想の区別がつかなくなるが、入院治療と退院後は服薬治療で症状は治まり安定している。強迫性障害は継続中で、すぐに不安になり確認行為が続いているが、少しづつ回復に向かっていると思う。これまでに事務職や相談援助職をを経て、現在人生最後の就職活動中。自分が建てた家の中庭を見ながら過ごす休日に癒されている。

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