【社会不安障害】視線恐怖症との付き合い方~アドラー心理学のススメ
その他の障害・病気私は、パニック障害とうつ病を患っていますが、その原因の一つに視線恐怖症があると考えています。聞きなれない名前かと思いますが、どのような症状なのか、どのように対処しているのか、私の体験を踏まえて書いていきたいと思います。
視線恐怖症について
視線恐怖症とは、視線に関して発生する不安要素や不安要因、不安症状を指す言葉で、正式な診断名というわけではありません。また、視線恐怖症は、症状によって以下の4つに分類されています。
- ①自己視線恐怖症
自分の視界が、相手に対して不快感を与えるのではないか、と考える症状 - ②他者視線恐怖症
人の視線を極度に恐れる症状 - ③正視恐怖症
人と距離が近い時に、目を合わせることに恐怖を抱く症状 - ④脇見恐怖症
視界に人が入ると、その対象物に視線がいってしまい、たとえその人を見ようと思わなくとも目がそちらを向いてしまう症状
私に起こっていた症状
私の場合は、4つ目の脇見恐怖症の症状が強く出ていました。具体的には、教室で授業を受けているときに、黒板を見ているはずが、周りの生徒の顔に視線がいってしまうのです。イメージとしては、最近のカメラのフォーカス機能が近いです。フレーム内に人の顔が映っていると、自動でフォーカスして、ブレないように補正が掛かり人の顔の部分が固定されます。私の目線は正面の黒板を見ていても、周りの生徒の横顔などが視界に入ってしまうとカメラと同じような機能が働くのです。生徒の顔がロックされて、見たくなくても自然とそちらを見てしまいます。すると、視線を感じた生徒が私の方を不審な表情で見返します。しかし、私は理由があって視線を送っているわけではありません。そのため、目線を外し、見てなかった振りをします。そうしたことが授業中、休み時間、ホームルームまで延々と繰り返されるのです。
視線恐怖症への治療
現在では、視線恐怖症・対人恐怖症・赤面恐怖所などを総称して、社交不安障害と呼ばれることが一般的になってきました。そのため、視線恐怖症の治療は、社交不安障害の治療に沿って行なわれることが一般的です。治療法としては、大きく薬物療法と心理療法の2種類が中心で行なわれています。症状の度合いや、日常・社会生活への支障の大きさで治療のアプローチの仕方は変わってくるようです。症状が重い場合には、薬物療法と心理療法の両方を用いられます。しかし、症状が限定的(特定の人物や場面)であったり、支障がなく日常生活を送れている場合には、心理療法をメインに頓服で抗不安薬などを用いながら治療を行なうケースも多いようです。心理療法では、認知行動療法や森田療法、暴露療法などが用いられます。
具体的な心理療法とは
視線恐怖症の根本は、社会不安が過剰になっているケースが多く見受けられます。社会不安とは、「周りにどう思われているだろうか」や「より良く生きたい、多くの人に認められる存在でありたい」と思う気持ちのことを言います。社会不安は、決して特別な感情ではなく誰もが持っているものです。問題は、過剰に不安を抱えてしまうことにより、自分や他者の目線に意識が集中しすぎてしまうことです。ここでの治療は、極端になっている認識を、生きやすい認識の仕方に調整していくことが主になります。具体的には、「相手に良く思われたい」という視点を、「自分はどうして相手に良く思われたいのか」という視点から考えてみます。相手に良く思われたいという心の裏には、「相手と仲良くなりたい」というような気持ちが隠れているのです。ここで大切なのは、この「仲良くなりたい」という本来の気持ちを自覚することです。嫌われないことが目的ではありません。この心の持ち方の変化だけで、相手への認識の仕方が変わってきます。もちろん、自分の本来の気持ちを理解しても、すぐに対人関係の急激な変化が起こるわけではありません。しかし、相手と接するときに「仲良くなりたいんだ」と思いながら接することで、コミュ二ケーションへの意識が前向きなものへと変わります。こうした小さな認識の変化を積み重ねることで、社会不安の感じやすさを適切なレベルまで抑える心理療法が、視線恐怖症への治療では有効であると考えられます。
心理療法と心理学
わたしは現在、心理療法の他に心理学の本を読む事で認識の仕方を生きやすい方向へ変えていこうとしています。心理学者には、ユングやフロイトなど有名な方も多くいますが、私のオススメは最近話題のアドラー心理学です。アドラー心理学と他の心理学との違いを一言でいうと、行動原理が「目的論」であるか「原因論」であるかです。これまで主流であった心理学では、原因論で患者を分析してきました。言葉だけではイメージしづらいと思いますので、小学生の頃の私を具体例に、原因論と目的論の違いを説明してみます。
原因論と目的論の違い
小学生の私は、脇見恐怖症で学校が酷く苦痛でした。そのため、学校を休みがちで親にも怒られることが多く家庭内も苦痛でした。その後、パニック障害を発症し、頻繁に息が苦しくなるようになりました。息が苦しくなっても周りの大人は助けてくれず、次第に誰も信用できなくなり、塞ぎこんでうつ病になってひきこもりがちになりました。
これを原因論で分析してみます。私は、【脇見恐怖症が出た結果】として学校や家庭が苦痛になりパニック障害を発症。そしてうつ病になりひきこもりがちになった。つまり脇見恐怖症が原因で発症した。と分析ができて非常に明確だと思います。
では、目的論で分析してみるとどうなるでしょうか。私は、ひきこもりがちになりました。ひきこもりがちになった理由は、周りの人たちが私の苦しみを理解してくれないからです。では、当時の私は「脇見恐怖症を直したかった」と考えていたのでしょうか、いいえ違います。私は、第一に「私の苦しさを周りの人たちに理解してほしかった」のです。ひきこもりがちになっていたのは、「苦しい・つらい」からではなく、「周りに理解をしてほしかったから」なのです。目的論で分析すると、私の行動原理は周りに理解してほしかったから、という答えにたどりつきます。
どちらの考え方も間違いではない
原因論と目的論、どちらが正解というものではありません。過去から現在まで原因論が主流であるのは、病気を分析することにおいて非常に効果的であったからです。ただし、原因論で原因をつきとめても、そこで分析は終わってしまいます。原因に対するアプローチは一般的な方法が提示されるだけで、個人個人に合わせて治療法が見つかるわけではありません。一方、目的論では、患者の目的が明白に出来れば、アプローチの仕方がわかりやすい利点があります。患者の行動原理や価値観を知る手掛かりになるので、心理療法を行なう上で非常に参考になります。しかし、目的を明確に掴めないケースや、目的を誤って認識してしまうケースも起こりえます。このように、原因論と目的論では、利点と欠点がそれぞれに存在します。
それでも、私が目的論であるアドラー心理学をおススメするのは、自分と向き合い、自分を知り、自分を受け入れられることに繋がるからです。具体的な内容は次回の記事にまとめたいと思いますが、アドラー心理学を学ぶと、きっと気持ちが前向きになって認識の仕方が楽になることでしょう。また、仮に目的論を用いて分析した目的が誤っていても良いのです。目的は日々変わっていくものなので正解はありませんし、その都度修正していけばよいのですから。
私の視線恐怖症への付き合い方
私は現在もまだ脇見恐怖症が治っているわけではありません。しかし、自分の症状との付き合い方は少しずつ学べていけているように感じます。今までは、どうしてしんどいのかは分かってもどうしていいのか分かりませんでした。それが、心理療法や様々な心理学を学ぶことによって、物事に対する認識の仕方が楽なものに変わってきているのです。次回は、より詳しいアドラー心理学について書いていきますので、視線恐怖症をはじめとした社会不安障害をお持ちの方に読んでいただければ幸いです。
Wikipedia 視線恐怖症
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8
元住吉こころみクリニック 社会不安障害(社交不安障害)
https://cocoromi-cl.jp/
アドラー臨床心理学入門カウンセリング編 山口麻美
「もう疲れたよ・・」にきく8つの習慣働く人のためのアドラー心理学 岩井俊憲
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