やまゆり園事件を想う~れいわ木村議員が改めて指摘する「障害者施設の構造」
その他の障害・病気植松被告への死刑判決という形で一区切りのついた相模原のやまゆり園事件ですが、風化させることなく常に多くの人がこの事件について考え意見していけばと願ってやみません。判決後2週間は気が変わって控訴しないかが懸念材料となりますが、判決後接見した者らによると控訴しない意思は変わらず弁護側が控訴しても取り下げるつもりのようです。
ただ、控訴しない理由は「疲れる裁判をもうやりたくない」というだけで、死刑判決については納得していない様子です。まだ思想を語り足りないと思っている節があり、判決言い渡し後に引き留めた理由も「世界平和にはマリファナが必要。マリファナを吸えば、意思疎通できない者は死あるのみという真理に気付ける」と説きたかったからだそうです。
ところで思い出してもらいたいことがあります。植松被告は元々やまゆり園の職員として重度障害者の介護に従事していました。しかも就いた当初は「障害者はかわいい」「自分は必要とされている」と上機嫌だった程です。それが勤務の中で180度変わって差別思想を抱いたのは、判決文で裁判長が指摘した通りです。
「植松への死刑判決以外に得たものは何も無かった」と遺族や関係者が酷評する裁判でしたが、それでも「介護施設に問題があったのではないか」と仄めかすような発言を裁判長がしていたことには意義があったのではないでしょうか。
れいわ木村議員、施設入所者の目線で語る
判決が出たことを受け、れいわ新選組の木村英子議員が自身のHPにてコメントを発表しました。重度身体障害者である木村議員は、かつて施設に入れられていた頃の経験から介護施設の問題点を提起しています。
介護施設の構造における単純な問題点として、入所する障害者数十人を少数の職員で介護する人数的な問題が挙げられます。業務内容も日々の食事や排泄などを介助する繰り返しの毎日で、志ある職員でも心身的に摩耗し簡単に虐待へ走るのです。
入所者はそうした職員の機嫌を伺い怯えるだけの生活で、自由な飲食や外出という当然の希望すら叶わない世界しか生き場所が無いと、木村議員は入所者時代の目線から語っています。
木村議員は、障害者と健常者を過剰に別けて共生を端から諦める姿勢が事件の根本的な原因であると指摘しており、これを是正しない限りは植松被告ひとりが刑死しようとも新たな植松被告が誕生するとも述べています。
同じくれいわ新選組の舩後靖彦議員も、「植松被告ひとり裁くだけで優生思想や選民主義が消え去るわけではない」と警告しています。舩後議員も施設に入所していて職員から虐待を受けた経験があり、「施設とは職員と入所者の間で上下関係が形成されやすい環境である」と指摘しました。
舩後議員は、植松被告のヘイトクライムとはやまゆり園に限らず全ての障害者施設が考えるべき問題であるとし、「判決を機に、誰も排除しない社会を作るためにどうすべきか皆で考えていきたい」と呼びかけました。
施設側は判決文に不満
やまゆり園の入倉かおる園長は裁判について「裁判所で見た植松被告は、職員だった頃とはまるで別人。身も心も変わり果てたなと思った。」と振り返りました。死刑判決については、「執行まで時間はある。これからはもう外にアピールなどせず、死の直前まで自分の行いと向き合い続けてもらいたい」と述べています。
職員時代の植松被告について入倉園長は、「当初(障害者を「かわいい」と言っていた頃)から利用者への杜撰な接し方や遅刻や早退などがあり、出来の悪い職員だった。それでも悪い印象は無かったし、当時は明らかな変わり者という訳でもなかった」と振り返りました。しかし、変心の末退職した際には「彼は介護に向いていないと思った」と評しています。
ところで、判決文で「職員が利用者に暴力を振るうなど人間として扱っていない様子が、被告の思考形成に関わっている」と指摘されたことに関しては、「職員に聞き取りをしたところ、そのような事実は確認されなかった。」と否定しています。仮に虐待していても正直に白状することは無いので、聞き取りは無意味だと思うのですが。
一方、運営母体である社会福祉法人かながわ共同会の草光純二理事長は「運営上の問題点」などを聞かれ、「決して問題は無かった。軽々しくそう考えること自体が失礼で無責任。事件の本質を見誤る。」と激しく反論しました。植松被告の思想に関しても「裁判で明かされなかった生育過程の中に多くの要素があったのではないか」と責任をより過去に求めています。
しかし、かながわ共同会は事件前から過剰な身体拘束を行っていたという告発があり、前理事長の逮捕など運営の資質を疑問視されて後継施設の運営から外されていました。もう少し身の程を弁えた発言をしていただきたいものです。
庇い立ては無自覚に翻された
公判中、植松被告は「やまゆり園の待遇が原因ではない」と施設を庇うような答弁をしていました。差別思想に取りつかれた経緯は語らず仕舞いでしたが、待遇と犯行の関連性だけは明確に否定していたのです。
しかし、その庇い立ての矛盾は被告自らが作っていました。供述の中で「入所者へ命令口調で接したり暴力を振るったりする職員がいると聞いていた」「理由を聞くと『2、3年勤めればわかる』と言われ、それから自分も入所者を小突くなどした」と同僚らの影響を仄めかしていたのです。
障害者との共生を社会が諦めるよう願ってやまない植松被告のことです。痛いほど体感した介護施設の職場環境を庇うことで、重度障害者が施設で虐待される状況を保全しようと考えているのではないでしょうか。ただの一考察ではありますが、介護施設の構造や職員の窮状が事件の一因であることは間違いなさそうです。
風化を防ぐために
やまゆり園での障害者殺傷事件は戦後最悪の凶悪犯罪でありながら風化の一途をたどっています。異端として片付けて終わらず、事件への考察や再発防止策を考え続けることが、風化を遅らせるのには良い案ではないでしょうか。
様々な人による接見のレポートや事件・被告への考察などを取り上げていきながら、やまゆり園事件と植松被告について語ることで風化を防ぐ一助になりたいと考えています。また意見がまとまれば続きを書いていくつもりです。
参考サイト
障害者施設で虐待を受けた政治家がみる、植松聖被告の“死刑判決“の意味
https://headlines.yahoo.co.jp
彼は、一緒に働いていた「植松聖」ではなかった。相模原事件で死刑判決、施設園長の思い
https://headlines.yahoo.co.jp
その他の障害・病気