障害を告白する〜「障害者」というレッテルを貼られるということ

強迫性障害

unsplash-logo Wynand van Poortvliet

幼い頃から強迫性障害の症状はあったものの、それが病気であると自覚し、精神科を受診してはっきり強迫性障害と診断されたのは30歳になった頃です。その後、障害者手帳も取得しました。したがって、30歳頃、私は名実ともに障害者となったわけです。そして、家族や友人にそれを告白しました。

診断を受けて

まず、強迫性障害との診断を受けたことで、私はすごくスッキリして楽になりました。それまでは、どうでもよい些細なことが頭から離れず、ずっと気になって仕方がなかったり、自分でも不合理だと分かっていることを繰り返して行わなければならなかったりすることは、性格の問題であると思っていました。したがって、「自分が悪い」との思いを非常に強くもっていました。しかし、診断を受け、「強迫性障害」というそれほど珍しくもない病気であることを知ってホッとしました。「病気」だと判明したことで、自分を責めなくてよいと感じましたし、また、病気であれば対処法があるだろうし、薬も使えるだろうと考えたからです。

障害者というスティグマ?

もっとも、「障害者」というレッテルについては、やはり少し抵抗がありました。障害者をめぐる環境については、近時の障害者の法定雇用率の引き上げにみられるように、以前と比べるとより良いものになってきていると思います。しかし、それは法制度上のものであって、人々の意識が劇的に変わったというようなことはない気がします。とくに「精神」障害者となると、いまだ偏見がないとはいえないように思います。その意味で、精神障害者であることは、現在でも一つのスティグマであると言えます。したがって、私も初めのうちは精神障害者であることに、恥ずかしさや後ろめたさのようなものを感じていました。私のそのような意識が変わったのは、まわりに障害のことを告白し始めてからです。

家族への告白

私が家族に強迫性障害であると告げたのは、初めて精神科を受診し診断を受けたその日です。それ以前から、自分でもなにかおかしいとは思っていたのですが、それを家族に相談することはできずにいました。なんと説明してよいか分かりませんでしたし、どこか恥ずかしさを感じていたからです。しかし、定期的に病院に通うことになれば、家族に隠していることは難しいと思い、自分の病気を告白したのです。母は、それを聞いて悲しんだり、がっかりしたりすることなく、素直に心配してくれましたし、その後も、強迫性障害に関する本を買ってきて、私の病気を理解しようと努めてくれています。

友人への告白

友人に告白することは、少々抵抗がありました。私は、一人でいるとき以外は家でも外でも強迫性障害と気づかれないように振る舞っていましたので、友人としても、まさか私にそのような障害があるとは思ってもみないだろうと考えたからです。しかし、実際に、告白してみると、「へぇ〜。で、どんな病気なん?」と言われたのみで、さほど興味がない様子でした。私としては、少し拍子抜けした感がありましたが、そのような反応に安心し、また嬉しく思いました。また、すごく心配してくれる友人もいましたが、だからといって腫れ物に触れるような感じではなく、心から気遣ってくれ、今まで辛い思いをしていたことを理解してくれました。

まとめ

私の場合、障害を告白したところで、それまでの関係が崩れるということはありませんでした。このような経験から、私としては、自分の障害について身近な人には積極的に話す方がよいと思います。むしろ、告白することで、言ってくれてありがとう、という言葉をもらうことが多かったように思います。

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30代男性。大学卒業後、それまで勉強などしたことはなかったが、法律に出会い勉強を開始。しかし、30歳あたりで幼少期からの強迫性障害が急激に悪化し、人生が頓挫。リスタートしようと思い、現在は就労移行支援事業所にてPCスキルを学んだり、セルフマネジメントに取り組んでいます。

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