ストレス耐性の低さが引き起こす病気や症状〜パニック障害、私の場合〜HSPと、ともに。<vol.15>
パニック障害・不安障害 その他の障害・病気HSPと、ともに。vol.15 <毎月1日連載>
HSPという敏感すぎる気質が強くなることによって、病気を引き起こすこともあると言われています。最も多いのが自律神経失調症で、慢性的なストレスが原因で起こるはっきりと病名がつかない状態です。同じく精神的な症状としてよく見られらのがパニック発作です。心臓発作かと思うほどの動悸や呼吸困難、このまま死んでしまうのではないかという恐怖にとらわれます。それから、うつ病や慢性疲労症候群など、過度のストレスが原因とされる病気に罹りやすいと言われています。
私は阪神大震災の翌年からパニック障害を発症し、良くなったり、再発したりを繰り返しながら、22年経ちました。電車や飛行機などの乗り物、高所、閉ざされた場所は、今だに苦手です。病気で母親と早くに死別しており、そのことが一番の原因だと思っています。母の死を受け入れることができないまま、元気に振る舞っていました。また、ちゃんと悲しむこともせず、自分の本当の感情に向き合うことも怖くて、ずっと感情を麻痺させてきました。阪神大震災の時も兵庫の自宅で被災し、父親が仕事で不在だったことも物凄く不安や恐怖を感じましたが、「こっちは大丈夫だから、今は危ないからしばらく落ち着くまで帰ってこなくていいよ!」と安心させるようなことを言ったりしました。祖母と犬がいてくれたので、本当に大丈夫だと思っていたところもありました。その年の3月、気分転換に祖母と1日東京へ朝から遊びに出かけると、その日は地下鉄サリン事件があって、東京に着くと、街は騒然としていました。電車に乗っていても、「気分悪い」と話している方もいて、不安になったのを覚えています。
私が初めてパニック発作を起こしたのは、その翌年の3月で、父がニューヨークの出張から帰った日の夜中でした。2週間のあいだずっと「無事に帰ってくるかな。父までいなくなったらどうしよう。」という、不安と恐怖が、強烈に襲ってきました。父が無事帰宅し、おみやげをもらって、ほっとして眠っていたところ、突然の心臓発作と呼吸困難が起こり、救急車で病院に運ばれました。心電図をとっても異常なし。注射を打って落ち着いたので帰宅しました。その日から、何度も何度も発作を繰り返し、救急車で運ばれることが続きました。「一度精密検査を受けてください。」と医師から言われ、入院することになりましたが、どれだけ検査をしても異常はありませんでした。今ならそれが、過呼吸だとわかるのですが、その頃はまだそんなに知られていない症状でした。
そのうち、ピアスを開けていた左の耳から首や腕までパンパンに腫れて、お腹や背中に焼けるような痛み、吐き気とめまいで起きていられなくなりました。そして、母が骨になった姿や阪神大震災の瓦礫の映像のフラッシュバックで苦しみ、泣き叫び、暴れるようになりました。病院から心療内科の受診を勧められ、PTSDと診断されました。精神安定剤を数種類処方されて、段々症状は治まってきました。
今まで自分なりに感情を押し殺し、無理やり前を向いて頑張ってきましたが、寂しさ・悲しみ・恐怖・不安が爆発したんだと、そういうストレスで人は病気にもなるのだと初めて思いました。また、心療内科とは別に入院先の病院で、カウンセリングも勧められたので、受けることにしました。カウンセリングルームに見学に行った時、1人の優しそうで綺麗な女性が目の前を通り過ぎました。もうカウンセリングの先生は決まっていたのですが、私は「あの人がいい!」と言って、先生を変えていただきました。母親の愛情に飢えていたので、その先生とのカウンセリングの時間が何よりも楽しみになりました。電話をしたり、手紙を書いたり、依存していきました。本当は良くないことですが、先生もギリギリのところまで親身に対応してくれました。今でもその先生のおかげで、私の心の病は回復に向かっていったと思っています。
その当時は自分の病気はPTSDだと思っていましたが、なかなか完治せず、薬の副作用で別の病気にもなったので、違う心療内科の先生に診てもらってパニック障害であることがわかりました。薬もすべて変えてもらい、1年ちょっと前まで飲んでいましたが、今では薬もすべて止めることができました。ここまでくるまでに、親友が亡くなったり、辛いこともたくさんありましたが、なんとかふりだしまで戻ることはなく、これています。今まで支えてきていただいたすべての人に感謝しています。これからも無理することなく、マイペースで前に進みたいです。
パニック障害・不安障害 発達障害