旧優生保護法、賠償のため制定の経緯など数年がかりで調査することに~戦後の混乱とモノ不足から生まれた優生学由来の法律

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旧優生保護法の賠償をする話についてご存知でしょうか。実は去年4月に一時金を支払う法律が成立し、その救済法では「同じ過ちを繰り返さないように調査する」という旨も記されています。

その約束を果たすため、旧優生保護法が成立した経緯を衆参両院の厚生労働委員会が調査することになりました。当時の文献調査や関係者への聞き取りなどを数年間かけて行うようで、「議員立法として制定されたからには、立法府が調査するべき」「国の過失なのでアクションを起こすのは当然」と気合が入っています。

しかし、望まぬ不妊手術に曝された当事者らはほとんどが高齢化しており、いざ賠償する段階になって何人生き残っているのかが心配です。何しろ旧優生保護法は48年もの間幅を利かせていたのですから。

旧優生保護法の一生

優生保護法は1948年から1996年にかけて制定されていた法律です。廃止というよりは、障害者に関する記述を消去し「母体保護法」へ改称する形をとっているため、それ以前のものは「旧優生保護法」と呼ばれています。

旧優生保護法の時代である48年間は、「障害者への不妊手術」が(場合によっては)本人の同意なしで出来ていました。親族が拒否すれば手術はされないのですが、同調圧力など様々な事情で手術せざるを得ないケースもあり、少なくとも16,500人の障害者が不妊手術を受けたといわれています。

法案策定のきっかけとなったのは、戦後の急激な人口増と治安の悪さでした。海外の生き残りが帰還しただけでなく、望まぬ妊娠の問題も顕在化していたのです。そこで当時の国会では、「中絶を軸に人口調節しよう」というアイデア(?)が生まれました。

そこに「どうせなら優秀な遺伝子を残したい」という優生学的な欲望が入り込んだのです。当時はほとんどの障害が遺伝性と考えられていたので、「障害者は悪い遺伝子を持っている。積極的に中絶・不妊手術しよう!」という意見も取り入れられました。こうして、障害者から繁殖能力を奪う優生保護法は制定されました。

50年代から高度成長までは不妊手術の件数に目標まで設けており、当時の厚生省が「目標を下回っているぞ!」と叱咤までするほど乗り気でした。不妊手術が集中していたのもこの時期です。

高度成長からは再び人手が欲しくなったうえに、様々な団体や個人からの反対が寄せられるようになりました。しかし優生保護法を守ろうとする勢力も存在しており、決着は1996年の法改正まで長引くこととなります。法改正では優生学に基づく文言がバッサリ削除され、中絶に関する取り決めだけを残す形となりました。

(優生学:早い話が、優秀な人間どうしで子孫を残すことを是とする19世紀の学問です。20世紀前半まではそれなりに権威のある学問でしたが、ナチスのホロコーストを招いたとして戦後は一気に凋落しました。)

未熟だった時代

優生保護法の全盛期とされる戦後から高度成長の間は何もかもが未熟でした。確かに日本の歴史では高度経済成長によって一気に生活水準が上がるのですが、それは結果論でしかありません。高度成長までは先の見えない不安な状況が続いており、生活弱者を顧みる余裕が無かったものと思われます。ゆえに「障害者を断種・不妊にして不幸な遺伝子を断ち切る」という優生保護法が持てはやされたのでしょう。

1960年に宮城県の福祉協会が作成した書類では、当時の県知事や仙台市長の他にも県内の大学や医師会や有力企業といった面々が異口同音に障害者そのものを問題視していた価値観が残されています。例えば「障害者は犯罪や非行に関わりやすい」「障害者を減らすことが犯罪率低下につながる」といった具合です。

障害者へのサポート体制も当時は全く整っておらず、出来ることと言えば収容する施設を建てることくらいでした。おまけに障害の遺伝性についても解明されておらず、「障害は全部遺伝だろう」と大雑把に思われていました。そこで優生保護法が幅を利かせたために、望まぬ不妊手術が横行したのです。

時代が進むにつれ先天性と後天性への仕分けも整ってきましたが、未だに「障害は全部遺伝だ」と考えている人もおり、障害への認識精度には格差が生じています。時代錯誤の差別法案と成り果ててからものうのうと法律として生き続けたことは、障害者への誤った認識や偏見に多少なりとも関わっているでしょう。

不妊手術のエピソード

本人の同意については立場も意思表示も比較的弱い障害者では簡単に押し切られるため、親や周囲の圧力の方が決定力では上でした。本人の意思を尊重し手術を避けた家庭がある一方で、以下のようなエピソードもまたありました。

・用件を告げずに呼び出し、道中で睡眠薬入りのおにぎりを食べさせる。それから診療所へ向かい、眠っている間に不妊手術を済ませる。(つまり、完全な騙し討ち)
・素行不良を理由として、更生施設から強制的に不妊手術を受けさせられる。しかもその対象は健常者。
・「施設を出てからは働いて結婚したい」と夢を語っていた女子が、両親の意向で不妊手術を受けさせられる。国の法律である以上、一介の施設職員に逆らうことは許されない。
・別の施設では法律を拡大解釈し、月経介助の手間を省く目的で不妊手術を行った。
聴覚障害者も対象に含まれており、聞こえないのをいいことに騙し討ちでの不妊・堕胎手術が横行した。

一方、これに「テレビ向けに盛った虚偽の話だ!」と噛み付いた人も見かけました(テレビ向けに盛った部分は分からないでもないですが)。彼の個人サイトでは旧優生保護法を「優生学ありきではなく、単に中絶や堕胎の基準を示しただけの法律だ!」と擁護していましたが、その基準が狂っているから悪法となったのではないでしょうか。そもそも第一条でいきなり「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」から入っているのですが。

「旧優生保護法は間違いだった」と認める大事さ

法改正から22年後となる2018年、旧優生保護法により不妊手術を受けさせられた原告らによる訴訟が各地で起こりました。かなりタイムラグがありますが、不妊手術を受けたと気付いていなかったり記録や証拠が散逸していたり事情があって体勢が整うまで遅れたのでしょうか。とにかく訴訟の動きが活性化しています。

2019年に仙台地裁は「違憲と認めはするが、賠償責任にはあたらない」という判決を出しており、原告からは「違憲認定だけでは不足」とされています。ちなみに、宮城県には県議が不妊手術の強化を要請したという過去があり、旧優生保護法関連において注目度の高い場所です。

一方、同年に国では判明している被害者へ一時金を支給する案も含めた「強制不妊救済法」も可決されており、仙台地裁では断りながらも国家賠償への準備を着々と進めています。この度決まった数年がかりの調査も、賠償の一環として行われるのでしょう。

被害者を救済することも大事ですが、国策や判決を通じて「旧優生保護法は間違いだった」と国が訴えていくこともまた大切です。障害者への断種や不妊を国ぐるみで推していた証拠が旧優生保護法であり、それを国自身が甚大な過ちと認め頭を下げていくアクションが、旧優生保護法によって助長された偏見への打撃になると思います。

また、歴史の闇に葬るのではなく、旧優生保護法が存在していたことを忘れずに語り継いでいくことも重要になってくるでしょう。これからの調査で全てが明るみになることを期待します。

参考サイト

Wikipedia 母体保護法
https://ja.wikipedia.org

16歳で不妊手術を強いられた。旧優生保護法が2万4991人の生殖機能を奪った理屈
https://www.fnn.jp

旧優生保護法ってなに?|NHKハートネット
https://www.nhk.or.jp

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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