故意のネット荒らしには2つのタイプがある

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Photo by Antoine GIRET on Unsplash

インターネットが一般に普及しだした2000年代前半から一貫している問題として、「荒らし」が挙がります。掲示板、チャット、コメント欄、SNSなど、時代やフィールドを越えて様々な場で不特定多数を苛立たせてきました。荒らしに構うなどの「無自覚な荒らし」もありますが、ここでは故意犯だけを前提に話を進めましょう。

ほとんどは自らの悪意に気付かない

自分が荒らし行為をしたいから荒らす、そういう故意犯には社会的孤立やダークトライアドの傾向が強いと言われています。ダークトライアドとは、目的のために手段を選ばないマキャベリズム、自己愛のナルシシズム、他者の苦痛を喜ぶサディズムの3要素を総称したものです。

ネット荒らしには昔から、部屋で一日中ネットにかじりつく引きこもりニートのイメージが共有されていました。社会から隔絶されるあまり人格の歪んだ者が、不快な書き込みに精を出しているのだとする推測は、確かに当たっていそうです。

しかし、その前提で考えようとすると、かのスマイリーキクチさんへの誹謗中傷事件が反証として立ちふさがります。検挙された人々の中には大手企業の正社員や国立大学の職員など、表向きは立派に働いていた人間もおり、キクチさん自身も「ほとんどがどこにでもいる普通の人だった」という印象を抱いていました。

実はダークトライアドの傾向が強い荒らしには、「自分が荒らし行為を楽しんでいる」「自分が荒らしだという自覚がある」という“前提”があります。そして、自覚した上で荒らし行為に勤しむ者は、荒らし全体でいえば20人に1人程度の少数派に過ぎません。

ほとんどの荒らしは、自分が荒らしだと自覚しておらず、対話のつもりでやっていると思い込んでいます。だからこそ、ネットで不快な書き込みをばら撒きながら表向きは社会人として成功しているいびつな大人も少なくない訳です。そんな現実も踏まえると、荒らし=ヒキニートのイメージも「ヒキニートならどれほどよかったか」という願望の表れかもしれません。

とにかく不快にさせたい、昔ながらの荒らし

荒らしの中でも自覚の上でやっているのは20人に1人クラスの少数派に過ぎませんが、彼らの行動原理は昔から変わらず「とにかく不特定多数を不快にさせたい」の一点のみです。

不快な書き込みというのは、単に内容だけで判断されるものではありません。例えば5ちゃんねる(元・2ちゃんねる)のスレッドでは、長々とした文字の羅列や無駄な改行だけでも、コピペで何十何百と繰り返せばあっという間に1000レスの制限へ達しますし、読み物としての機能も著しく損なわれます。スレッドの進行を妨げ、雑談や情報交換を遮るだけでも「不快な書き込み」として十二分にやっていける訳ですね。

極まってくると「起きている間はずっと荒らし活動」「予備のアカウントを無尽蔵に控えている」「誹謗中傷などに引っかからないよう単語を選ぶ」など、不特定多数に不快な感情を与えるため様々な努力を重ねてきます。

共感や自己実現に繋げたい、現代の荒らし

SNSの普及により、共感を集めることの重要性もまた高まってきました。その変化は荒らしの世界にとっても例外ではなく、ただ不快感を与えるだけに留まらない新たな目的意識も芽生え始めます。すなわち、共感や利権や自己実現といったものを目的とした荒らしです。

例えば、対立を煽る書き込みをして荒れたのを自分のまとめサイトや反応集動画などに取り込む自演型の荒らしや、特定の層を猛烈に非難し同じ思想の人間から支持を得るヘイトスピーカーなどが挙げられます。特徴は、単に“敵”へ不快感を与える以外の目的があること、そして荒らし行為がコンテンツとして機能していることです。

まさに「コンテンツ」となるのが、旧来の荒らしと著しく異なる点です。叩きコンテンツとしての地位が確立されれば、全年齢向けの動画サイトでも平然と載ることが出来、そこから収入が発生することさえあります。不快になるのは“敵”だけで、“味方”は快く共感してくれるのが、現代流の荒らしの在り方です。そういえば、去年に障害者アンチでブイブイ言わせていたトンガリアイコンの彼は今何をしているのでしょうね。

参考サイト

ネットで平然とひどいことを言えるのはなぜか? 心理学的に見た荒らしのメカニズム
https://logmi.jp

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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