アイデンティティ・クライシス

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@Creator Mio

はじめに 『自己同一性」とは何なのか?

今回は、「アイデンティティ=自己同一性」とは何なのか?というお話から始めていきたいと思います。

自己同一性(アイデンティティ)とは、「自分が何者であり、どのような人間であるのかを理解」し、「自分自身を一貫して認識」することを指す言葉です。これは、価値観、信念、役割、目標などを含む、個人の内面的な認識と、外部からの評価のバランスによって形成される「概念」のことであり、「自己認識」や「自己肯定」などと同様の解釈が可能な、心理学・社会学上の専門用語の一つとして定義されているものです。

この言葉の意味を、正しく解釈しようとする段階で、

「変わらない確かな自分」のことを、健全に認識できているかどうか?が、

個々に問われることになる。と、私は思うのです。

そして、なぜ、今、私が、このような記事を書いているのかというと、

自身の経験から、この「アイデンティティの確立=自分を知ること」自体がとても難しい人たちが、私の他にも、沢山いるのではないか。と、思うからです。

以降は、私自身の経験をもとに、「アイデンティティを確立することの難しさ」や、「自己認識を再構築するための建設的な方法」などについて、一人でも多くの方々に向けて、情報を整理しながら、お話ししていきたいと思います。

アイデンティティの危機とは

「自己同一性に関する悩みや混乱を感じていること」を「アイデンティティ・クライシス」と呼んでいるそうです。

「自己を喪失している状態」をそのように名づけているのですが、「クライシス」とは「危機」を意味し、このクライシスは、言葉どおりの意味そのものを表していて、非常に脆弱で危機的な精神状態にあることを指しています。

では、「非常に脆弱で危機的な精神状態」とは。具体的に、どのようなものかというと。

・「やりたいこと」が、分からない。
・「今、どうしてそれをしているのか?」という問いに、答えられない。
・そもそも「自分のこと」が分かっていない。
・どこにいても「ズレのような違和感」を覚えてしまう。
・何かを成し遂げていけるような意欲や「自信」がない。
・「生きている意味すらよく分からない」と、悩んだりしてしまう。
・「不確かな自分」が、いつも何かしらの答えを求めている。
・「自分不在」。自分がいない。自分がどこにも、見あたらない。

といった、感覚的なもので、そこに、あまり感情はありません。

「無自覚に不思議な感覚の中を生きている自覚」は、指摘をされれば気付く程度には、持っています。

「思春期などによくあること」などと、症状を軽く見て、放置したままにしておいてはいけない問題です。

混乱・無力・喪失感は、やがて、うつ病などに発展したり、鬱症状そのものを、悪化させたりしてしまいます。

それだけではなく、こういった症状が、継続し、悪化した場合には、気分障害や、境界性パーソナリティ障害などの、より具体的な診断に結びついてしまう。などの、懸念があるからです。

これは、いつでも、誰の身にも起こり得ることで、「自己を喪失している状態」が、長期間に渡って続いたり、日々の生活に支障をきたすようなことが、繰り返し起きたりしている場合には、専門的な支援が必要である。と、いうことを、私たちは、知っておく必要があるのです。

クライシスの渦中にいる当事者の頭の中は、混乱しています。

自ら、物事を整理して見つめ直したり、リアルタイムで、当事者が、経験している危機的な状況を認識したりすることが、多くの場合において、できておらず、精神的に、とても脆い状態にあるのです。

ただ、何となく、自分が、危ないような。危なくないような。

当人は、現状で、自分の身に一体何が起きていて、何をどうすればいいのかがさっぱり分からないので、透明色になって、その辺りの景色にな~んとなく、ぼんやりと馴染んでいる。ように見える。

判断能力が麻痺しているので、身の危険を察知することが、そもそもできていない状態です。

何かしらの情報や、周囲の支援なしでは、それぐらいのことしか、できない状況に、置かれているのです。

ある意味では、ショック状態にある。と、表現できるでしょう。

自分の向こう側の景色が、相手から見て透けて見えるくらいに、何もかもが消えてしまった。

この、感覚的なものは、私自身が、震災後に漠然と感じてきた、脱力感や虚無感と、非常によく似ていました。


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今思えば、ですが。私の場合は、いろいろなライフイベントがきっかけとなり、このクライシスを繰り返し、経験することになってきたのですが、危機的な状況からの脱却を図ろうとする際に、自分を知る上で、とても大切な「プロセス」を「スキップ」しながら、生きてきてしまったことに「気付くこと」が、段々と、できるようになってきたのではないか?と、思うのです。
では、次に、「どのような要素が、このクライシスを引き起こすのか?」について、順に見ていきたいと思います。

クライシスに陥るさまざまな要因

かつては「同一性障害」と一括りに定義されていた、この「同一性の問題=自己喪失」の要因は、多岐にわたるようですが、一般的には「生物学的、心理的、社会的な要因が、複雑に絡み合って発生するもの」と考えられているようです。

生物学的要因としては、「脳の発達異常」や、「遺伝的な要素」が原因で、影響を及ぼしている場合があるそうです。

例えば、脳内の神経伝達物質の不均衡が、自己同一性に関する問題を引き起こしている、というケースです。

このことは、「発達の遅れ」が関係している。と、いうことなのかも知れません。

心理的要因としては、「幼少期のトラウマ」や「虐待」、「不適切な養育環境」などが、要因として挙げられるそうです。

一方的な負の経験は、子どもの自己認識や、発育段階における自尊心の形成に、深刻な影響を与えることがあるのです。

実際に私は、自己肯定感を持つことすら許されることなく育ち、いつも、暗い絵を描いていました。

また、思春期や、成人期における、重大なライフイベントや、それに伴うストレスも、自己同一性の混乱を引き起こす要因となることがある、とのことです。引っ越し、生別、死別、事故、災害など、不可抗力的に見舞われる、想定外の、様々なことが要因となり得る。と、いうのです。

思春期にあたる時期には、唯一、私の誕生を祝い、名付け親となってくれた祖父との別れと、地元からの引っ越しを、ほぼ同時に経験しました。お葬式の帰りに、電車の中で、延々と大泣きしてしまったことを、覚えています。

社会的要因としては、「文化的な期待」や、「過度なプレッシャー」が、「自己同一性の混乱」に寄与することがあるそうです。性別、民族、職業などに対する固定概念や、偏見が、個人の自己認識に、悪影響を及ぼし得るのだそうです。

人によっては、結婚や、思わぬ昇進、業務内容などが、発症のきっかけとなっている場合もあるでしょう。

時折、「自分の性別が分からなくなっている人」を見かけます。自分自身も、そうでした。

「自分とは何者であるのか」ということが明確でないままに、社会的な順応を試みようとしていた当初、多くの場合、「社会性」とは「男性性の追求」であり、そこには、前提として、当たり前のような女性蔑視、或いは、女性性の存在自体を軽んじるという文化的な背景がありました。

さらに、インターネットやSNSなどの普及によって、「他者との比較」や、「思い込みによる自己評価」が容易になり、「自己同一性に関する問題」は、ますます増加していくことなども、懸念されているそうです。

これらの要因が、複合的に作用し、自己喪失状態を発生させるに至る。というのですから、単一の要素だけに目を向けるのではなく、「自己同一性に関する問題を抱える人々」には、「個別の状況に応じた、包括的なアプローチ」が必要になる。と、いう訳です。

私の場合は、はじめから、幼少期の虐待やトラウマに焦点を当てていたのではありませんでした。

成人期には、阪神大震災と、今でも後遺症を抱えている、緊急開腹手術が、時期的に被り、誰からの支援も受けることができないまま、一人、希死念慮さえ抱きながら、茫然としていたのです。
今でも、天が、このように、「人が、人たらしめ生ひ行くに、橋をば、誰が、渡いて参らすべき」と。

川岸の反対側から、私の方に向かって、手を振っていたのかも知れない。と、思うことがあります。

クライシスからの脱却を図る 見えてきた本当の自分

物の整理をすること。自分の部屋を片付けることが、ずっと、苦手でした。

今でも、家の中で、身の回りの物を紛失してしまうことが、ままあるので、自分なりに、試行錯誤を繰り返しながら、必要な物を、必要な時にすぐ取り出せるよう、週に一度は「片付けをする日」。と決めて、取り組むようにしています。

それでも、失くし物は、してしまう。

つい最近のことでいうと、先日、長年愛用してきた、眼鏡を失くしてしまいました。そんなことで。と、笑われるようなことなのかも知れませんが、私はその後の、数日間、とても、落ち込んでしまいました。特に高級な物でも、何の変哲なものでもない、普通の眼鏡なのですが。

それによって、私は、その眼鏡が、私にとって、いつの間にか、「身体の一部のような大切な存在」になっていたことに、気付かされたのだと思います。その眼鏡は、当たり前のように、いつも、私の枕元に居て、私の視界をサポートし続けてきてくれたのですから。そんな、眼鏡のお話の続きは、一旦、さておき。

「大切なものを、失くしてしまった」。

私は、ここに、「すべての要因に共通する要素」のすべてがある。と、思うのです。

あなたはそもそも、どんな人で、どんなことに興味があり、どんなことが得意でしたか?

あなたはこれまでに、ずっと、何を大切にし、どんな夢を見て、どんな希望を抱いて、暮らしてきましたか?

「自己喪失に至るほどの衝撃的な体験」をしているのですから、現状を受け入れることは、容易ではありません。

止まらない涙の理由も分からないほどの、とても、つらい体験をしているのです。

だから、ゆっくり。ゆっくりでいい。

自分を、新たに、「再認識」していくチャンスの到来です。「新しい自分の発掘」が、始まろうとしている。

人によっては、その作業は、とても長い道のりになることか、と、思います。

私自身がそうです。まだ、長い、長い道のりの道中にいて、毎日「新しい自分」を発掘し続けようとする段階にいます。

諸症状を緩和させるためのお薬を服用したり、自らに暗示をかけ、目の前の苦況をやり過ごしてみたり。と。

「混乱そのものが解消されないまま」であっても、「邁進」を試みることは「短期的には可能である」と考えます。

また、どこかには、支援技術に長けた、エキスパートが存在し、その恩恵を十分に享受することができる場合もあることでしょう。ですが、「魔法はない」。と、私は思うのです。個々人の其々が置かれている状況に応じた「専門家による適切な支援」を求め、日々新たな「情報」を取り入れ、整理し、適宜、「アップデートを試みる必要がある」でしょう。

失くしたパズルのピースは、毎日、少しずつ、拾い集めていくしかない。

そのようにして「新しい自分に出逢う度」に、「懐かしさを覚え」ながら、自分自身のことを、紐解いていくのです。

このような表現は、理屈として矛盾しているので、滑稽な印象を与えてしまう場合があるのかも知れませんが。

これが、自己喪失状態からの脱却を図ろうとする際の、当事者による「主観的な感覚」なのです。

あぁ。自分は、ここに、居たのだな。と。

失くした眼鏡を、ようやく、見つけた時の、

「ありがとう」。と、同じ気持ちで。

「君が、居たからだよ」。

「変わらない君が、ずっとそこに。居てくれたからだよ」。と。

「ようやく、今になって、本当の、自分のことが。少しずつ、分かってきたような気がするよ」と。


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次に、「健全な自己認識を持つことの重要性」に関するお話をしていきたいと思います。ここからは、お勉強です。


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健全な自己認識が自身を肯定 他者との健全な関係を築く

「自己認識」とは、自分自身の特性、感情、行動、価値観、信念などを理解し、「自分がどのような人間であるのかを認識すること」であり、また、「健全な自己認識」は、「個人の幸福感」や「心理的な安定」にとって、「極めて重要」なものであり、健全な自己認識を持つことにより、「自身を肯定」し、「他者との健全な関係」を築くことができるようになる。と、まとめられているようです。

・「健全な自己認識」は、「個人の幸福感」や「心理的な安定」にとって、「極めて重要」な役割を果たす。

これは「他者との健全な関係を築く」ためには、「健全な自己認識」で「自身を肯定すること」が必須である。

と、言い換えることができるでしょう。

「それならば、是非」。「そのように、なってみたい」。と、誰しもが、思うことではないでしょうか?

クライシスからの脱却を図ろうとしている当事者は、「幸福感」や「安定感」、「自己肯定感」の獲得を。

まずは、そこを。目指して、頑張っているのですから。

「ないものねだりをする」のではなく、「不足している感覚を補う」必要がある。と、言えると思います。

では、一体、どのようにして、これらの、不足している感覚を補うことが、可能なのでしょうか?

まずは、「健全な自己認識の構築方法」から。順に、見ていくことにしてみましょう

健全な自己認識の構築方法

1. 自己反省と振り返り

定期的に、自分の行動や感情を振り返り、「何が原因で、どのように感じたか?」を考える習慣を身に付けることが大切であり、これにより、自分の行動パターンや、感情の「傾向を理解する」ことができる。とのことです。

「日記」を書くことも、有用な「自己反省や振り返り」と、なり得るのではないでしょうか。

2. 他者からのフィードバック

信頼できる人からの「フィードバックを受け入れる」ことは、自分では「気付かない側面を知る」ことに繋がるため、「建設的なフィードバック」を受け入れ、「改善点を見つける」ことが重要である。とのこと。

先日、お話しした、「自分が自分の赤ペン先生になる」ことによって。ですが、私は、これを実践しています。

3. マインドフルネスと瞑想

「マインドフルネス」や「瞑想」の実践により、現在の「自分の感情や思考に意識を向ける」ことができるため、これにより、「感情のコントロール」や「自己認識」が向上する。というもの。段々と、できるようになります。

4. 自己啓発書やセミナーの活用

「自己啓発書」に触れる、「セミナーへ参加」することなどを通じて、「自己認識の方法」や、「自己成長のヒントを学ぶ」ことができる。と、あります。様々な視点から、「自己を見つめ直す機会を持つ」ようにしたいものです。

5. カウンセリングや心理療法

「専門家のサポート」を受けることで、「深層心理の理解」や「自己認識の向上」を図ることが可能になります。

特に「トラウマや、深刻な自己認識の問題を抱えている場合」には、「専門家による定期的なカウンセリング」が有効な場合があります。このことは、私自身が継続して治療を受けていることから、そのままの解釈が可能です。

人によっては、適切な医療にたどり着くこと自体が、難しいケースがあるかも知れません。

ですが、根気よく、「状況を総合的に理解しつつ、固定概念による決めつけを行わない」医師等による、カウンセリングや、投薬などの「医療行為」を、「積極的に求める」ようにしてください。

「自分を発掘する作業」を行っていく上での「心強い下支え」になります。

いかがでしたでしょうか?

周囲のサポートは必要ですが、「実際にやってみれば、できそうなことばかり」だったのではないでしょうか?

もし、「そんなことで」と、思うのであれば。

「そんなこと」ぐらい(できそうだな)。と、いった気持ちから。で、いいので。やってのけてみせましょう。

さらに、「何もピンとこない」なら。

きっと、あなたには、そもそも、その必要がない。か、或いは、別のアプローチが、必要なのだ。と、思います。

私自身も、「現実が変わらない限り、自分がいくら努力をしようとも、仕方のない問題」を、抱えています。ですが、それも、「見えてきた自分」が、明確にしてくれたことであり、まして「自分のことが分かってもいないのに、他者のことなど、もっと分からないのでは」。と、私は思うのです。

それでは、いくつかの「症状からの脱却を果たしたエピソード」に、軽く、触れていきたいと思います。

症状からの脱却を果たしたエピソード

思春期に、性的アイデンティティの混乱に悩んでいた、Aさんのエピソードがあります。
Aさんは、幼少期から、「社会的な性別の期待に対しての違和感」を抱いていました。周囲が異性に興味を示し始めた頃、Aさんは、自分の感情が皆とは異なることに気付いていましたが、家族や学校からのプレッシャーによって、自分の本当の感情を抑え込むことが多くなり、「自己同一性についての混乱」は深まっていったのです。

最終的にAさんは、信頼のおけるカウンセラーに出会うことができ、自分の感情を理解し、受け入れることで、徐々に、「自己同一性に対する確信」を持つことができるようになりました。

また、Bさんは、幼少期に虐待を受けた経験があります。
虐待の影響で、自己認識が歪んでしまい、自分自身を否定的に捉えがちでした。社会的な期待や、他者からの評価に対しても、過剰に敏感になり、「自己同一性に対する不安」を、一人で、抱え込んでいました。

そんなBさんは、心理療法を通じて、過去のトラウマを整理し、自分自身を再発見するプロセスを経て、「健全な自己認識を構築」することができるようになりました。

さらに、Cさんは、30代後半に離婚を経験しました。それまで、家族のために生きてきたCさんにとって、突然の離婚は、「自己同一性の危機」を引き起こしてしまいました。これまでの役割や、アイデンティティが崩れ、自分が何者であるのかが、分からなくなってしまったのです。

Cさんの場合は、新しい趣味や社会活動に積極的に参加することによって、自分の「価値観や興味を再確認」し、「自己同一性を再構築」することができるようになりました。

おわりに 最後にお伝えしておきたいこと

これらのエピソードは、「アイデンティティの危機」がいつどのように発生し、どのように克服されるかを、端的に示しています。個々の状況に応じたアプローチが、「自己同一性に関する問題」を解決する上で、重要だということが、分かります。

自己認識は、個人の幸福感や、心理的な安定だけでなく、「人間関係の質」にも大きく影響しているのだそうです。

また、「日々の努力と継続」は、「健全な自己認識の構築」に繋がり、クライシスに陥ってしまった場合でも、自分自身と真摯に向き合うことにより、「アイデンティティの再構築が可能である」ということも、書かれています。

私自身も、Bさんのケースと同様、長年にわたり、自己評価の低さや、日常的に感じていた「喪失感を解消するための方法」を、模索し続けてきました。いつも、「混乱や葛藤などの違和感」の中で、もがき、苦しんでいました。

ここでお伝えしたかったことは、一体、何をどうすればいいのかすら、何も分からなかった自分が、まさに求めていた内容だった。と、いうことでした。自分に自信を持つことは、中々難しいことですが、答えのない世界を堂々巡りしてきた、自分のことを励ましながら。これからは、もう少し、「自分自身の成長」を意識して、頑張っていきたいと思います。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

同時に。もし、これが、読者の方々が「新しい自分を発掘」する作業の一助にでもなれば。幸いです。

まとめ 自己肯定は自己成長へと繋がる

    1. 自己肯定感の向上
自己認識が高まると、自分の強みや弱みを理解することができるため、自己評価が向上する。
    2. 意思決定の質の向上
自分の価値観や信念を明確にすることが、より適切な意思決定を行うことに繋がる。
    3. ストレスの軽減
自分の感情や反応を理解することで、ストレス状況に対処しやすくなる。
    4. 人間関係の改善
自己肯定感が高まることで、他者とのコミュニケーションが円滑になり、関係が深まる。
    5. 自己成長
自分の成長に必要な領域を特定し、目標達成に向けて努力できるようになる。


@Creator Mio

Creator Mio

Creator Mio

長期的な不眠や複雑性PTSDという形で後遺症が残っていて、慢性的な鬱症状に加えて、予期不安等による外出困難などの症状がある。定期的に精神科を受診し、投薬治療を受けながら、長いリハビリ期間を経て、現在は、積極的に、イラスト制作や執筆活動などに取り組んでいる。

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