障害は個性?~凹凸の“凹“を認めない社会が”障害者“を作る

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「障害は個性だ」という意見を耳にすることがあります。その言葉にあなたはどういう印象を持ちますか?「障害者に寄り添ってくれている」と感じますか?果たしてその言葉を言ってくれた人は、本当の意味で障害を個性として見てくれているのでしょうか―

「障害は個性だ、甘えるな。」という言葉の矛盾

よく「自分は発達障害なので配慮してほしいことがある。」と伝えると、「そんなのは医者が勝手に病気にしただけで、それは障害ではなく個性だ。」という答えが返ってくることがあります。そして「同じ条件でやれ、甘えるな。」と続くことが非常に多かったです。一方、身体障害者の方々に対しても同じように障害を個性ととらえよう、という考え方があります。実際、義足を活かしてモデル活動を行い、誰にも出すことのできない個性で人々を魅了する方もいらっしゃいます。しかしその方々に「50m走を健常者の平均タイムで走れ、甘えるな。」という人はおそらくいないでしょう。彼らの得手・不得手、すなわち凹凸を皆が認めているからこそ、個性として受け入れられるのだと思います。
発達障害者に対する「それは障害ではなく個性だ。甘えるな。」と言う意見は、凹凸を認めない思想から出る言葉です。結局のところ「皆だって個性を押し殺して周りに合わせられているのだから、お前も合わせられるはずだ。」と言いたいのであって、本当に個性を尊重しようとは思っていないのです。「障害は個性だ。」と言いながら個性を殺そうとしてくるのですから、矛盾した言動としか言いようがありません。

個性、ととらえても潰される

障害を個性だ、というとらえ方自体は考え方の違いですので、全く間違っているとは思いません。とかく発達障害者は得意・不得意の凹凸が激しいので、凸部分をうまく活かすことができれば、凹部分も含めて個性として受け入れられることもあるでしょう。
しかし私が受けてきた日本の教育は、凸部分を活かすよりも凹部分を埋め、凹凸を少なくすることに注力しているように思います。「ここは苦手だけどこういう所が得意だからすごい!」よりも「ここはすごいけど、こういう所が苦手なのはいけません。直しましょう!」と言われることの方が多かったです。
幼い頃と成人後の知力テストの結果を比較してみると、成人後は凹凸が少なくなっていました。つまり苦手がいくらか克服された反面、得意も平均化されてしまったのです。その結果、定型発達者より少し劣る部分があり、かといって優れた部分もそれほどでもない、という個性が失われた人間となってしまいました。
こうなると元々日本社会は凹部分に目を向けがちなので、凸部分で挽回しにくい分ますます肩身の狭い思いをすることになります。障害を“個性”と言い変えたところで、凹部分を認めない社会のままでは発達障害者は“障害者”のままだと思います。

某チャリティー番組に感じる違和感

前々項で身体障害者の方々における障害を個性ととらえよう、ということについて述べましたが、実際に彼らの障害は個性としてとらえられているか、と言えば私はそうとは感じられません。特に顕著なのが毎年放映される某チャリティー番組です。この番組では毎回障害者が何かにチャレンジする企画があります。
私には、この企画こそまさしく凹部分を認めようとしない日本社会の象徴に思えてなりません。苦手なことを番組の力でできるようにする、そのこと自体は決して無駄ではありません。本人の自信や経験というかけがえのない財産ができるかもしれません。
しかし、真の“障害への理解”とは、苦手なことをできるように手助けすることではなく、苦手なことを個性と認めることだと思います。「できないことがあってもいい、代わりにこれができる」、もしくは吃音を独自の歌い方に昇華させたスキャットマンのように「障害だと思っていたことがかえって強みになった」、そういう思いを当事者に抱かせることの方が大事だと思います。

ポケモンと個性

個性を尊重した教育の例として、ゲーム”ポケットモンスター(通称ポケモン)”の話をしたいと思います。ポケモンにはそれぞれ特徴があり、育成方法も様々なものがあります。様々あるといっても、基本的には「伸ばしやすい能力を伸ばし、伸びにくい能力は伸ばさない。」という育成方法が一般的です。
例えば、フーディンという超能力を使うポケモンは、パンチのような物理攻撃はあまり得意ではなく、防御面も非常に脆いのが特徴です。反面、とても素早く、サイコキネシスやビーム技など魔法のような攻撃(特殊攻撃といいます)が得意です。ですからフーディンを育成する人は、防御面を伸ばさずに素早さと特殊攻撃力を伸ばして倒される前に倒す!という戦法をとる人がほとんどです。その代わり他の手持ちに防御力の高いポケモンを入れる、といった戦略もあります。
このように凹凸を認め、互いの凸部分で凹部分を補い合える環境は発達障害者にとって非常に良いといえるのではないでしょうか。少なくとも私はこういう教育に変わるべきだと思っています。もっとも、ポケモンは極端なまでの実力主義の世界ではありますが…。

この社会で生きていくために

凹凸を個性として認めてくれる社会になれば良いですが、そうそう社会は変わるものではありません。私は現在、自分の凹凸を活かせる場面を見つけたくて職業訓練所に通所しています。だいぶ平らにされてしまった凹凸ですが、一般就労してみると凹部分が目立ち、反対に凸部分で貢献できる機会が少なかったので随分苦しめられました。もし凸部分で大きく貢献できていれば、会社での立場だけでなく、自己評価も大きく変わったことでしょう。
例え社会が凹凸を個性として認めてくれなくても、自分が個性として愛することができるように、己の凹凸を知り、それを活かせる場所に就職したい―それが今の私の目標です。

吉田 猿好

吉田 猿好

20代。幼少期にアスペルガー症候群と診断される。一般就労するも苦手のオンパレードで2年足らずで退職する。現在は就労移行支援事業所にて自分の”強み”を見つけるべく通所している。模型と空想が大好きなので、いつか自分の行ってみたい世界をミニチュアで再現することが目標にしている。

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