京アニとやまゆり園、実名と匿名
その他の障害・病気 ニュース以前、「京アニとやまゆり園を繋げるロジックは仮初めの自己優越感に浸るためのものだ」という旨で書いたのですが、そうではなくなるかもしれません。京都アニメーション放火殺害事件で犠牲になられた死者35人の名前が先月27日に全公開され、京アニとやまゆり園を比較した言説がネット上で湧き上がっています。
やまゆり園の大量殺傷事件では死者19人の実名が今も伏せられたままです。実名の扱いについて何故ここまで違っているのでしょうか。実名公表を躊躇わせる“何か”があるのでしょうか。
実名公開までのゴタゴタ
全公表1週間前の20日、京都府内の報道12社からなる在洛新聞放送編集責任者会議は「事件の全体像が伝わらない」「明らかに異例の事件である」という理由から実名公表を求めている動きがありました。メンタリストのDaigo氏による怒髪天を衝く意見表明などから、マスコミの暴走(いわゆるメディアスクラム)を嘆く動きも各所で湧きおこります。
ところが、「在洛~」の要請をはじめとする報道各社の意志はあまり関係ないようです。法律上では被害者の実名発表については都道府県警ごとの一存で決められるようになっており、京都府警は「身元が分かり次第すぐに公開する」というスタンスでした。しかし現実はというと、公表が遅れた上に2度にまで分けられました。
公表に関する決定権は京都府警の一存で決められる筈でしたが、上層部にあたる警察庁から「公表は遺族の了承を得てからにしろ」と介入されたことで公表が出来なくなったのです。警察庁との調整や遺族の意思確認などが難航したため、あのような公表となりました。
それでも京都府警がすべての遺族に対し意思確認を行うのは不可能だったとされています。事件のショックから警察に会いたがらなかったり意見がまとまらなかったりで応えられない遺族もいたからです。
非公表が通った理由
一方、やまゆり園の事件では「遺族のプライバシーを保護する」との理由で匿名を貫かれたまま現在に至ります。神奈川県警は公表しない判断をし、警察庁からの口出しもありませんでした。これだけで事情は大きく異なっています。
名前の扱いでもって両者を比較して「障害者は大事にされていない!」と憤る声もあります。しかし関係者の全てが匿名を是としている訳ではなく、黒岩祐治神奈川県知事などは「可能ならば追悼式に一人ひとりの実名と遺影を載せたい。(しかし遺族の反対を押し切ってまでは出来ない)」と公表に賛成側です。
関係者といえばNHKの特設サイト「19のいのち」では遺族のコメントが載せられており、家族との思い出や喪失の痛みが綴られています。遺族のコメントがない被害者にも施設関係者などのコメントから家族との交流が記されており、見放された入所者は極稀とみていいでしょう。
「障害者も人間だ」という意志表示のため公表に賛成する一方、公表に反対する関係者もまた居ります。気持ちの整理がつかない・メディアスクラムが怖い・身内に障害者がいると知られたくない・中傷を受けたくない等、様々な理由がありますが、共通するのは匿名へ駆り立てる「何か」が社会を覆っているのではないかということです。
匿名へ駆り立てる「何か」
「19のいのち」に載っている遺族のコメントで、明確に匿名を希望した理由を述べていたものがありました。なんでも、「事件後に知人から『ご愁傷様だけど、(解放されて)よかっただろう?』と言われ、そうした(障害者=お荷物という)思考の人間がいるなら匿名にしようと思った。」とのことです。同じページでその人の軌跡や思い出を綴り写真まで出す一方、心ない追い打ちを恐れて名前は出しませんでした。
匿名へと駆り立てているものは、誰もが潜在的に抱きかねない偏見や差別感情が発露されている現環境と言えるでしょう。やまゆり園事件の後、ネットの一部で植松被告を支持ないし英雄視する声が上がっていたことから、障害当事者やその身内は戦慄したと思います。遺族や関係者にとって名前の公表とは、地雷原に丸腰で突っ込んでいくようなものです。
やまゆり園の関係筋ですら「名前を出さないのは自己保身だ」と遺族の態度を批判する意見があります。しかし、“家族を失ったうえで”有象無象から心ない罵倒を受けるくらいならば匿名にするという判断は、“障害があろうとも大切な家族”という思いが逆説的に込められているとも受け取れるのではないでしょうか。遺族が恐れたのは「罵倒」ではなく「追い打ち」です。
いずれ実名を出すべき時は来る
やまゆり園における実名公表の可否については遺族の意志が第一となっておりますが、実名を出さず「x歳の男性or女性」などと無機質な記号で出し続けることに違和感を持つ関係者も少なくないです。個人的には「人が死んだ」ということを伝えるにはいずれ公的な実名発表が必要になると思うのですが、どうしても足並みが揃わないのが現実です。
「19のいのち」の中に「事件当初は亡くなられた方の名前が分からなかったので、昔の職場とはいえ実感が薄かった。後で人づてに聞いた名前の中に、昔やまゆり園で担当した方が含まれていたと知り、そこで初めて涙がこみ上げてきた。」という元職員のコメントがありました。ここから知ってもらいたいのは、元職員でさえ人づてで被害者の名前が伝わらなければほぼ他人事のままだったことです。
ただ、公表を止めているのは遺族の意見の不一致だけではありません。あるASD当事者の姉はNHK特集の取材にこう答えました。「社会に受容されるならば実名を出してもいいけれど、現実はそうじゃない。そうした社会意識を変えていく必要がある。」植松被告を称える声がある以上、おいそれと実名公表が受容されるとは言えません。
なんにせよ、「身内が障害を抱えているのはあらゆる面で不利」という現実や風潮が変わらない事にはやまゆり園の犠牲者19人が明かされることもないでしょう。潜在的な偏見が課題となる以上、やまゆり園の実名・匿名問題は非常に深く容易ならざるテーマとなっています。
参考サイト
被害者の「匿名問題」に隠された障害者差別という現実
https://ironna.jp
19のいのち 障害者殺傷事件 TOP|NHKオンライン
https://www.nhk.or.jp
障害者殺傷事件 「匿名」の現実に向き合う - 特集ダイジェスト - ニュースウオッチ9
https://www9.nhk.or.jp
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